俺の彼女の故郷

 ヘカテーの住処である禍々しい大木を出る頃には、朝日が差していた。

 風は冷たいのに浅い角度の陽が肌を直接暖めてくれる。太陽、と呼んでいいのかはわからないが、この星にもそれに類似するものはあるようだ。


 ふわふわと浮きながら進行するヘカテーの指示のもと、俺達は森を抜けて荒野と草原の中間のような広大な敷地をひたすらに歩いた。


 道中、草むらや木陰から蛇や蠍や狼に近い魔物どもが度々出現したが、どの魔物もまるで敬礼でもしているかのように俺達の行進を阻害することなく立ち止まってくれて――悪魔であるヘカテーのおかげだろうか――特段障害もなくプリュギアのそばまで辿り着いた。


 広大な自然の中にそびえ立つ大きな円柱状の国壁。見上げれば首が痛くなるほど高い壁が王冠のように取り囲み、国との出入り口には番兵と思わしき鎧を纏う大男が二名立っているのが見える。


 俺とヘカテーは現在、その入口から少し離れた枯れた大木の陰に身を潜めている。


「さて。それでどうしますの? ユウスケ。プリュギアへの入り口はあそこしかないですわよ」

「ヘカテーちゃんなら飛んで上空から侵入できないかな?」

「無理ではないですけれど、プリュギア直上には魔力探知の防衛センサーが張られてますわ。以前に侵入した時には、ものの三分程で大量の衛兵さんがわたくしを追ってきましたわ。まあ飛んで逃げましたけれど。オーホホホ!」

「そ、そっか」


 目的の為には騒ぎを起こすわけにはいかない。

 敵認定されてしまったらメーディアに会うことが叶わなくなるかもしれない。


 時折強まる風に赤髪を靡かせるヘカテーは少し眉を寄せてから、


「何やらいつもよりは入口の防護が手薄に見えますわね」

「そうなの?」

「いつもなら少なくとも五人以上は居ますわ」


 手薄とは言ってもあれだけ強そうな男が二人いれば、そのまま二人堂々と正面突破しようとしても間違いなく門前払いだろう。

 一人は地球いせかい人、一人は魔族だ。さらに言えばヘカテーは悪魔として顔が割れている。悪魔をみすみす国に通す門番がいるとしたら、俺が国王なら即刻解雇通知を送るしな。


「とりあえず、一応これを羽織ってくれ」


 俺は着ていたフードつきのグレーのパーカーを脱ぎ、ヘカテーに渡した。

 ヘカテーはぽうっとした表情でそれを受け取ると、何を思ったかパーカーの匂いをくんくんと嗅ぎだした。


「おい! 嗅ぐなよ!」

「ユウスケの匂いですわね。これは……マーキングのつもりですの? わたくしをユウスケ色に染めたいという」

「ちがうよ! そのフードでできるだけ顔を隠すんだよ! 髪の色とか目とか、そういう個性を極力隠しせば、もしかしたら通してくれるかもだろ」


 俺の提案にあからさまな落胆顔を向けてくるヘカテー。


「そんなことであの男達を謀れると本気で思っておりますの? 顔など隠したら逆に怪しまれて一瞬でばれますわ」

「その時は、その……俺がうまく誤魔化すよ」

「……」


 ヘカテーはやれやれといった感じに手と頭を振ってから俺のパーカーを羽織った。

 フードを被っても長めの赤髪ははみ出ていたが、これ以上はどうしようもない。


「さあ、行こうか」

「どうなっても知りませんわ」


 どうなるもこうなるも、行くしかない。

 ヘカテーと一緒にマリナを救うと決めた以上は、コイツを放っておくことは絶対にしたくない。


 とりあえずは当たって砕けろだ。なるようになるだろ。




「後ろの女。とりあえずフードを取れ!」


 全然何ともならなかった。


 案の定入口で二人の門番に止められ、俺達は入国の意図と身分を問われた。

 俺の後ろに隠れるようにしてくっつくヘカテーのみならず、俺自身も強靭そうな男二人にガッツリ怪訝な視線を向けられてしまっている。


「あーと、コイツは俺の妹で、その……日光アレルギーなんだ。だからどうかこのまま通してくれないかな」

「アレルギー? そんなうさんくさいこと信じられるか! そもそも貴様らは誰で、我が国に何用なのだ? 返答によってはこの場で処罰するぞ!」


 二メートルはあるだろう大男が、突き刺すような視線を向けながら声を荒げている。

 だーめだ。全然無理そう。


「ユウスケ、わたくしはいつからあなたの妹になったんですの?」

「バッ、お前、少し黙ってて!」

わたくしとの関係というなら、愛人ではなくて? マリナストライアの純潔を守るための捌け口、とも言えますわね」

「何だよそれ! 人聞きが悪すぎだろ!」

「こら、何をこそこそ話している! さては貴様ら、国を脅かそうというんじゃないだろうな? 魔族の類か!?」


 大男が金属製の鎧をガチャリと鳴らしながらじりじりと詰め寄ってくる。

 半分ご名答。でも半分はか弱い人間です。そんなに睨まないで、漏れちゃう。


 もう一人の門番は、そばにある小屋みたいなところから巨大な槍を持って戻ってきた。


 万事休す、手詰まりか。

 しかしながら諦めるわけにもいかない。どうする。


「ほら、後ろの女、まずは被り物を取れ! 取らねば我らが取るまでだぞ」

「そう! そうだ! メーディアさん! メーディアさんに会いにきたんだ! ほら知ってるだろ? メーディアさん。俺達はメーディアさんに呼ばれて来たんだ」


 苦し紛れに嘘をついてみると、番兵はより一層怖い顔になり、


「はんッ! メーディア様の名を利用して通ろうとする不届き者などごまんといるわ! 逆に怪しいとも言えるな!」

「だけど、本当なんだ。どうしても俺らはメーディアさんに会わなくちゃいけなくて……」

「ならばその証拠を見せろ。何故会う必要があるのか、説明してもらおう」


 今にも掴みかかってきそうな屈強な男に気圧されて一歩後退してしまった。


「それは……マリナが……」


 どう説明するべきか分からない。

 そもそもメーディアとは本当に知り合いではないので、うまく説明できるはずもない。


「貴様今何と言った?」

「え?」

「まさか……マリナストライア様をさらったのは貴様らか!?」

「え、え!?」


 マリナを攫った?


「昨日からマリナストライア様が戻っていないのは貴様らの仕業なのか!? だとしたら今すぐに居場所を吐かせてから即刻処刑だ!」


 番兵が物凄い力で俺の二の腕を掴んできた。

 冷静に考えればそうだ、俺達が来たのはグリース・アステリ星だった。

 となれば、一夜を明かした今現在、マリナが失踪したと騒ぎになっていてもおかしくはなかった。

 門の警備が薄いのも、マリナの捜索に駆り出されていると考えれば合点がいく。


 俺は後方にいるヘカテーにチラリと目を遣る。フードを被って俯くヘカテーの表情はよく見えない。

 マリナストライア様が戻っていないのは貴様らの仕業――うーん、あながち間違いとも言えない。俺は関与してないけどもな。


「とりあえず話は駐在所にて聞かせてもらうぞ。来い! 怪しい奴らめ!」

「いや、だから俺らはそんなんじゃなくて!」


 抵抗虚しく俺は男に引っ張られてたたらを踏んだ。

 そしてもう一人の槍を持った男がヘカテーの方へ近づく。まずい、フードを取られれば悪魔ということがばれて全ておしまいだ。


「待てッ!!」


 その時だった。

 稲妻のような叫声が周囲に響き、俺の腕を引っ張る男が制止した。

 ヘカテーのそばの男も、声の発生源に視線を向けて控えめな驚嘆顔を作っている。


「その者達は私が世話になった者達だ。乱暴はやめろ」


 門の先、プリュギアの国から現れたのはヘカテーが着ている服と似たような黒系のフリフリワンピースを着た若い女性だった。

 黒いスカートから透き通る白い足が覗いていて、黒くて長い前髪で目は見えない。


「で、ですがメーディア様、こやつらは非常に怪しく……」


 どうやらその女性がメーディアらしい。


 って、え? メーディアさんこんなに若いの!?

 マリナの母親代わりって聞いてたからもう少しご年配を想像していたんだけど。


 メーディアはゆっくりと首だけを動かして視線を男の一人に向け、


「私の言うことが信じられないと?」

「い、いえ! 滅相もありません!」


 門番の二人はその場に跪き、頭を下げて沈黙した。

 若干離れた位置にいる俺ですら、萎縮するには容易い程のオーラを放っている。メーディア――マリナの育ての親はそんなに威厳のある人物だったのか。


「さて。こちらへ」


 メーディアは俺とヘカテーにチラと見えない視線をくれてからそう言った。


 何故俺達を知っているのか、何故助けるような態度なのかは理解が及ばないが、何にせよ助かったようだ。

 俺とヘカテーは跪く大男二人の間隙を縫って、城門をくぐり抜けるメーディアに続いた。


 * * *


 入ってすぐ、大きな噴水が中央にある広場があった。

 何かの武器の様なモニュメントの先端から噴き出る水は、太陽の光を反射して薄い虹を作り出している。地球との共通点を見つけるたびに、俺は何故か口角が上がる。物理法則さえ違わなければ、まあ当たり前のことではあるのだけど。


「あ、あれがマリナストライアの育ての親、なんですの? 私も見るのは初めてですけれど」


 俺の後方のヘカテーが耳打ちしてくる。

 数歩先をゆっくりとした歩調で進むメーディアに聞こえないように俺も小声で、


「分からないけど、あの兵士どもはそう呼んでたよ」

「ふん……あの貧弱そうで変な格好の女のかたが、マリナストライアに剣術や魔法を教えられるほどの強者には見えないですわ」


 格好については似たような格好のお前が言うなだが、確かにどう見ても身体の小さい二十代そこそこのひ弱な女性にしか見えない。


 しかしながら城門前で一瞬感じた威圧感とは別に、明らかに異色な光景を先程から目にしている。

 周りの国民たちが、メーディアの歩く道を作るようにして避け、各々がその場で屈み頭を下げているのだ。さながら大名行列に目を伏せる民のように。


 どこに向かっているのかも訊くに訊けない絶妙な緊張感のまま歩くこと五分程、レンガ造りの市街地の中で異端を放っている大きめの木造の建物に辿り着いた。

 玄関と思わしき扉のそばには看板がついているが、文字が読めない。


 道場を彷彿とさせるその建物に躊躇なく入るメーディアに続き、俺とヘカテーも中へと入った。


「しゃっす! メーディア様、お帰りなさい!」「「「しゃっす!」」」


 ニス光沢の木目床の上で木刀を持って汗を垂らす男女数名が、メーディアに向けて声を上げてから激しく一礼している。


「皆、今日はもう上がれ。明朝は七時に。遅れれば罰は重いぞ」

「「「しゃっす!!」」」


 幼い子から中年と思わしき男まで、皆が声をそろえてメーディアの言葉に返事をしてぞろぞろと玄関から出ていく。 

 まるで日本の武道の道場そのものの雰囲気だった。


 汗のにおいが残る広い空間で取り残された俺とヘカテーが呆気にとられていると、メーディアは玄関を閉めてから俺たちの目の前まで近づいてきた。

 ヘカテーは俺の後ろに隠れるようにしてぴったりくっついている。いやいや、どう考えてもキミの方が戦力上でしょうに。


「あ、あのう……メーディアさん、ですよね?」


 至近距離で静止している前髪で目の隠れたメーディアに声を掛けると、突然その場に跪いてきて驚いた。

 俺とヘカテーが顔を見合わせていると、タンタンと優しい打撃音が道場内にこだまし始めた。


 跪くメーディアに視線を戻して、俺達は更に驚いた。


 優しい打音は、メーディアの顔面から滴る涙が床を突く音だったのだ。

 メーディアは泣いていた。


「メ、メーディアさん!?」


 俺が困惑と動揺の羽交い絞め状態になっていると、しばらくして大きく呼吸をしたメーディアが顔を上げた。

 相変わらず前髪で目の見えないメーディアは、涙で濡れている顔の表情を優しく崩してから、震える声で、


「お会いしたかったです、ヘカテー様」


 わけのわからない言葉を吐いてきた。


 ヘカテー

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