悪魔の住処

 火を欲する煩い月弓を引っ張るようにしてヘカテーについていき、到着した場所には禍々しい色をした大木があった。

 青紫の樹皮に、赤い葉が生っており、オルトロスの口内を思い出して少し寒気がした。


「ここが、私の家ですわ」


 ふんわりと地面に着地してから、その大木を指差して自慢の赤髪を揺らすヘカテ―。

 家というか、どう見てもただ禍々しいだけの木である。もしかして悪魔って樹上生活するのがセオリーだったりするのか?


「そこの煙女さんには、入ってほしくないのですけれど」


 煙女……仮にも神に向かってその呼称をするヘカテーはもしかすると大物かもしれない。

 直後、俺の脳内にはルメによって死を体験させられ泣きべそをかいていたヘカテーの姿が浮かんだ。やっぱりただのませガキだな。


「ユウスケ、憐憫れんびんのオーラをわたくしに向けていると燃やしますわよ」


 そう言うとヘカテーは指先に俺に向けて火を灯した。先程も見た発火フォーティアという魔法だ。

 ……そうでしたね、心の種類が読めるんでしたねこの子。相変わらず反則である。


 ヘカテーの出した火に待ってましたとばかりに咥えたタバコを近づける月弓。

 吊り目が垂れ目に戻ったままの月弓は、美味しそうに煙を吐き出すと、小さく頭を振った。


「とりあえず私はとりあえずここで失礼するよぉ。やることが残っているしねぇ。空間の時間を後退させるのも大変なんだよぉ? 副産物の処理とかで」

「そう、なんですね」


 何がどう大変なのか全く想像がつかないのでこういう返事しかできなかった。


「……俺達が目的を達成して、元の時代に戻る時には俺達のもとに来てくれるんですか?」

「んー、どうだろうねぇ」


 おいおい。

 ヘカテーと二人異世界で暮らしていく、なんてのも悪くはないかもしれないが、俺には大切な目的があるのだ。


「はは。冗談だよぉ。まあ私のことを呼びたくなったら、四次元に干渉するといいよぉ。歪みを察知して飛んでいくことはできるから」

「四次元? どうやって……」

「そこの赤い髪の半魔ちゃんならできるはずだよ」


 月弓は垂れ目のままヘカテーに意味有りげな視線を送った。

 ヘカテーは「わけありませんわ」などとしたり顔をしている。本当かよ。


 ……いやまあ確かに、五次元干ディアスタシー・渉魔法レイトロギアを放てるくらいだから、四次元くらいやれそうな気はするが。というかそもそも四次元ってなんだよ。ドラえ○んかよ。


「それじゃ、頑張ってねユウスケ君」


 月弓はそう言うと鈍い光を発しながら徐々に透明になっていく。


「ありがとうございました! 月弓さん!」

「こーらっ。月弓さんじゃなくて、命ちゃん、でしょ?」


 最後に悪戯な笑顔をくれた月弓はそのまま空気と同化するように消えた。


 月弓には感謝しかない。居なければここまで来れなかった。

 俺にいつか月弓の望みでもきいてあげることにしよう。……危ない関係はちょっと勘弁だけど。


「感傷に浸るのもいいですけれど、そろそろ入りますわよ?」


 俺の頭上をふわふわと浮いていたヘカテーが気怠そうに声を出す。


「入るって……やっぱりこのキモ……不吉な木がヘカテーちゃんの家なの?」


 禍々しくて近寄りがたいという意味では防犯バッチリな家かもしれないけど。


「不吉とは失礼ですわね。でもそれが正しい反応ですわ。本来悪魔というのは畏怖の対象。人間に恐れられてこそですわ! オーホホホホ!」


 浮いたまま両手を腰に当てて高笑いしてやがる。


「正直、俺にとってはヘカテーちゃんは言うほど怖くないけどね」


 何度も助けられてるし。それに半分は人間らしいしな。


「……ふんっ」

「それよりかは、どっちかといえば可愛いと思うよ」

「なっ!」


 ヘカテーの頬がみるみる髪の色と同じになっていった。


「ば、馬鹿なことを言ってると電撃ブロンティですわよ!」


 人差し指と中指を俺に向けてくるヘカテー。俺は苦笑いをしながらホールドアップのポーズを決めた。

 照れているヘカテーなんていうレアなものを見れて嬉しくなったが、そろそろ油を売っている場合ではない。


「それで、ヘカテーちゃんの家がここってのは分かったけど……どちらかというと俺は木登りは苦手なんだよね」

「何を言ってますの? いいから早く入ってほしいですわ。本当は初めて招待するのはマリナストライアと思ってましたけど……この際仕方ないですわね」

「入るったって」


 どこに入るんだよ。

 見えるところに扉や穴のような入口的部分は無い。


「いいからそのまま――そういえば人間には空間認識能力がなかったのでしたわね。そうですわね、この幹に体当たりをする要領ですわ。そのまま入れるようになっていますわ」


 空間認識能力って、そういうことじゃなくない?

 というか体当たりって……まさかあれか? 九と四分の三番線的な?


 おそるおそる樹表面に手をかざすと、幹に俺の右手が飲み込まれるようにしてめり込んで「ぅあ」と声が出た。

 そのままゆっくりと全身で、顔を付けるときには目を閉じて木の中に入った。

 恐らく、地球人初じゃないだろうか。物理的に木に入った人間。


 * * *


 中はあの禍々しい木の大きさとは比べ物にならない程無駄に広かった。

 無駄という表現は本当にそのままで、野球の試合が出来そうなほど広いスペースなくせに物が殆どない。

 薄暗い空間にナイトランプのような光源が無数に浮かんでいて幻想的と言えなくもないが、間違っても住居という雰囲気ではなかった。


 ただ何故か、どこか居心地がよかった。


 ゆらりと動く無数の光を無作為に眺めながら、何となくその場に胡坐をかいて座ると、ヘカテーも傍まで来てちょこんと正座で座った。


「それで、これからどういたしますの? まさか無策ではないですわよね?」

「ああ」


 俺がこの世界、グリース・アステリ星に来た理由。

 百年の時空を遡ってまで獲得しにきたもの。


 それはもちろん、絶望の淵に眠るマリナの目をさましてあげる為だ。

 希望となる何かを得るためには、まず――


「プリュギアに行こうと思う」

「プリュギア……マリナストライアの故郷、ですわね」

  

 空間の薄暗さとはまた別の翳りを帯びた表情をするヘカテー。

 悪魔的には、人間の暮らす国に赴くのはやはり気が重いのだろうか。


「マリナは前に言っていた。プリュギアで剣や魔法を教えてくれた師が居るって。確か『メーディア』という名前で、両親が無くなってからは親のような存在でもあったって」

わたくしに敵対する力がみるみる強くなっていった元凶、ですわね」

「元凶かどうかはアレだけど……とにかく、そのメーディアって人ならもしかしたら何かを知っているかもしれない。マリナの出生の秘密とか、何か希望が生まれそうな事実とか」

「相変わらず短絡的発想ですわ……まあでも可能性はありますわね」

 

 俺を見つめてそう言うヘカテーの表情は先程とは打って変わって真剣なものに見える。

 きっと、それだけヘカテーもマリナを救いたいと心底思っているのだろう。感情のオーラなんか読めなくても、その顔を見ればヘカテーの気持ちはひしひしと伝わってくる。


「それじゃ、早速行こうか。ヘカテーちゃん、プリュギアまで案内してくれるかい?」

「案内は構いませんけれど……知っての通りわたくしはここに住む悪魔。プリュギアの人間どもにも顔は割れていますわ。行けても国の入り口までですわね」

「だけど俺一人じゃ……まだこの星のこともよく分からないし」


 俺が女々しい言葉を吐くとヘカテーは厳しい視線を向けて、


「言語の共通化もできていますし何も問題ないはずですわ。それに……悪魔であるわたくしは人間から疎まれる存在。居るだけでユウスケにもほかの人間にも迷惑にしかなりませんわ」


 急に弱々しい声になったヘカテーの表情を見て、俺はグググと心臓が締め上げられる気持ちになった。


 周りからの白く冷酷な視線、誰も近寄ってこない孤独。

 俺はその気持ちが痛い程分かる。


 そしてその地獄のような環境から引っ張り上げてくれた、一人の快活な女の子の姿が脳裏に現れた。


「よし、決めた」


 つかさが俺にとって救いになったように、もしも俺にできるならヘカテーの救いになってやりたい。

 この子には本当に助けられっぱなしだからな。


「ヘカテーちゃん、やっぱり一緒にプリュギアまで行こう!」

「そうですわね……って、聞いてましたの? ですからわたくしは人間たちから――」

「そうかもしれない。でも、俺も人間だぞ?」

「はぁ?」


 片眉をこれでもかというくらい歪ませて「何言ってんだコイツ」みたいな表情を向けてくるヘカテー。


「俺はヘカテーちゃんのことを疎んでも嫌ってもいない。ヘカテーちゃんがいかにいい子かも知っているし、何よりも味方だ」

「いい子って……ですからわたくしは悪魔ですわ。人々から忌まれている存在で」

「周りがどう言おうが関係ないさ。俺はヘカテーちゃんの味方だし、それに……いや、偽善染みた言葉はやめる。単純に、俺がそうしたいんだよ」


 もしかしたらエゴでしかないのかもしれない。

 でも俺は同じ境遇の存在を放っておけない。


「ですからそれだとユウスケにも迷惑が」

「迷惑も白い目も迫害も爪弾きも、味方が居れば怖くない。多分、そういうもんだろ?」


 精一杯勇ましそうな表情を作って、ヘカテーに向けてから、


「だから、ヘカテーが隣に居てくれればそれでいい。俺もヘカテーの隣に居る」


 ちょっぴり恥ずかしい言葉を吐いた。


 少しだけ口を開けたヘカテーは、すぐに顔を背けてツンとした表情を作った。


「ふんっ。もう知りませんわ。人間という種族ははやはり下等なだけあって馬鹿ですわね。どうなっても知りませんわよ」


 ヘカテーのほんのり赤い頬に俺の表情筋も緩む。


 さて、である。

 未知なる世界も熟知者ヘカテーと一緒なら何とか渡り歩ける。


 人知を超えた存在のおかげでこうして俺はマリナの元居た世界に来れた。

 全ては、ここからだな。


 マリナの為に俺は何としても希望的な情報を持ち帰る。

 俺のこの思いがヘカテーの洗脳プリシーモによる行動だとしても構わない。今の俺にはそんなことは関係が無い。


 ん、待てよ?


「ところでヘカテーちゃん、どうして俺にマリナを好きになるように洗脳プリシーモをかけたの?」

「それはもちろんマリナストライアの為、ですわ」


 んーと。ん?


「待って待って。ヘカテーちゃんはマリナのことが好きなんだよね?」

「す!? すすす、すす、好きだなんてことはななないですわ!」


 倍速で動く動画みたいになっているヘカテーに口角が上がった。


「それなら、マリナに洗脳プリシーモをかければよかったんじゃないのかな? ヘカテーちゃんを好きになるように、さ」


 短絡的な問いをすると、ヘカテーはより一層顔を赤らめてそっぽを向いた。


「それは、マリナストライアが望んでいることではないですわ。マリナストライアがユウスケのことをあるじとしていると知った時、ユウスケにはどう見ても困惑と戸惑いのオーラが溢れていましたわ。その瞬間、このままではもしかするとユウスケにマリナが突き放され傷付くのではないかと思いましたの」

「それで、マリナの為に、俺がマリナを好きになって離れないように?」

「そうですわ」


 いやいや、だからだから。

 それだとヘカテー、お前の願望はどうなる。


「ヘカテーちゃんはそれでいいのか? 地球に飛ばしてまでマリナとの共生を望んでいたはずのヘカテーちゃんにとっては、俺は邪魔でしかないだろうに」

「それは……その」


 珍しく歯切れの悪いヘカテーは、激しく赤髪を手で払ってから言葉を継いだ。


「マリナストライアの幸せが、最優先、ですわ」

「幸せ……」


 顔を見てられないくらい真っ赤にしているヘカテー。


 やっぱりそうだ。絶対にヘカテーは悪魔なんかじゃない。

 自分の想いをも後回しにして好意的対象の幸せが最優先とか……ヘタな人間よりも人間らしい、心根の優しい子だ。


「そ、そんなことよりも! 行くなら早くいきますわよ! わたくしに魔法で怪我をさせられてわたくしを恨んでいる愚かな人間が大勢いるプリュギアへ」


 ……。

 やっぱりこの子悪魔かも。


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