クリスマスケーキと木刀と

麗玲

クリスマスケーキと木刀と

 200X年12月24日。


 クリスマス・イブは一年で一番セックスするカップルが多いらしいが俺には関係無い。


 俺は親友かと自分では思い込んでいる友達、カズに請われ、チーマーをシメに行くことになった。


 当時はまだボクシンググローブの内部に嵌める簡易バンテージと言うか、インナーグローブなんてものは無かったと思うが、喧嘩の際に手を掴まれて爪が食い込む事やパンチを打つ時に少しでもクッションになればと軍手の指先部分を切ったものと、ギターをしまうのに使っていたギブソンのソフトギターケースに木刀を入れて喧嘩の準備をしていた。


 公共住宅の団地の5階に住んでいる俺は外で鳴らされた原チャリのホーンの音を聞いて、下に降りて行った。


「ようタカ君。今日はありがとうね」


 カズはヘルメットを脱ぐとアニメにでも出てきそうな少女の様に端正な顔が現れる。


 二重瞼にかかる重そうな長い睫毛に、ぱっちりとした目と同じぐらいの大きさの小さな赤い唇。


 この女の子みたいな顔をした、一見虫も殺せなそうな美少年がチーマー五人と喧嘩して、俺を助っ人に頼んできたのだ。


 わざわざ俺の家まで来てくれたって事は俺が逃げるとでも思っていたのだろうか?


「ああ。準備は出来てるぜ、コイツを使えよ」


 俺はカズの為に先程準備した指先部分を切った軍手を渡した。


「サンキュー。結構良いんじゃない?」


 カズは軍手に手を通し、握り具合を確かめながら言った。


「まぁ、拳を守るクッションとしては微妙だけどな」


 この頃ぐらいから年末の格闘技イベントは盛んになってきたが、オープンフィンガーグローブのような指貫のグローブはまだ認知度が低く、そもそも当時はあまり格闘技に興味が無かった俺も知識が無かった。


「ところでタカ君さ。これ貰ってくれない?」


 カズは俺に白い箱を渡してきた。


 何かと思って中を見れば、イチゴが乗ったクリスマスケーキだった。


「オイオイ……こんなもの一体如何したんだよ?」


 これから喧嘩に行くのにクリスマスケーキを男からプレゼントされるなんて思いもしなかった。


「いや、トキちゃんから困っているって連絡あってさ。逢いに行ったら、どうやら親に黙って不二家でバイトしていたらしくて、それで店長から余ったクリスマスケーキを三つも渡されて困ったってね、俺に二つも渡されたんだよ」


 トキちゃんとは小学と中学で同級生だった女子で、俺とカズの認識では学年一の美人である。


 ブサメンである俺と違い美少年な上に面白くて人気者だったカズは付き合ってこそいないものの、トキちゃんと交流があり羨ましく思っていた。


 それはとにかく、ケーキと言っても当然ショートケーキではなく、家族で食べるようなデコレーションケーキである。


 こんなものを渡されても正直困るのだが、ケーキは両親にあげる事にして、俺達は喧嘩予定の神社に赴くことにした。


 ……行きたくねーけど。



 ◇



 そもそも何でこんな事になったのか?


 カズと再会したのはこの時から更に1年遡る成人式の夜だった。


 成人式に現れなかったカズは俺の家までわざわざやってきて逢いに来てくれたのだ。


 俺の数少ない友人だったから嬉しくない訳がない。


 そして、再会したカズは俺が中学時代にやった喧嘩の数々と、その時の会話の内容まで覚えていやがった。


 俺ですら忘れていた様な事を楽しそうに語るカズに対して単純な俺は正直悪い気はしなかった。


 高校の系列の大学に進学した俺は高校の時は大人しくいていた同級生達が髪を染め、校舎内の通路でも平気で煙草を吸う姿に幻滅していた。


 そんな大学に居場所を見いだせない俺にとって、16歳の時には家を出て仕事をしていたカズは大学の同世代よりずっと大人に見えたし眩しくさえ思えた。


 それに昔の仲間と再会し煽てられる事に良い気分にならない訳が無い。


 だから大学の友達よりも自然とカズとの付き合いを俺は優先した。


 そんな中、事件が起こったのだ。



 ◇



「俺、学校の奴と喧嘩しちゃったんだ」


 以前、定時制の高校に通うカズは授業中煩い連中がクラスに居ると話していた。


 当時カズはボクシングをやっており、俺は適当に「じゃあ殴っちゃえば?」なんて無責任な事を言ったら本当に殴りやがったみたいだ。


「喧嘩しちゃダメだろ!」


 俺はカズに言った事も忘れたフリをしてカズを叱ったが、結構深刻な事態になっているらしい。


 カズが喧嘩した相手は何と五人も居たらしく、カズと同じく、その連中に憤りを感じていたものが四人、カズの側に着いたらしい。


 ボクサーであるカズが喧嘩で負けるはずも無いが、悪かったのは後日の事である。


 カズと喧嘩した連中はチーマーであったらしく、あろうことか再度喧嘩することになったらしい。


 しかも、よりによって喧嘩する日がクリスマス・イブだと言うのが呆れる。


 そんなの放課後にでも校内の連中だけでヤレよと言いたいが、カズと喧嘩した連中は全員学校を辞めたらしい。


 そこに部外者のチーマーも絡んで来てややこしい話になった様だ。


「まさかカズが喧嘩する何てなぁ……」


 子供の頃のカズは女の子みたいな容姿であるだけでなく、小柄で悪戯で椅子を引いて落ちるだけで泣いてしまうようなひ弱な子だったので、何回か守ってやった事もある。


 とても喧嘩するようなイメージは無かったけれど、何時の間にか身長が俺と同じくらいになり、ボクシングまで初めており、ひ弱だった頃の面影は無くなっていた。


「でさぁ、タカ君に助っ人に来て欲しいんだよ」


「はぁ? 俺が?」


 俺は自分の耳を疑った。


 高校の時は五日市線沿線の学校全部と喧嘩していた俺も大学生になるとすっかり牙を抜かれて丸くなっていた。


 大学では喧嘩の強さなんてミジンコ程も役に立たず、このまま生涯喧嘩なんてしないで過ごすのかとばかり思っていたからだ。


 でも、喧嘩が強い奴が大好きなカズは俺に対して昔の幻想を抱いており、まだ俺が強いと思い込んでいる。


 てか、ボクサーになったし一人で五人相手に喧嘩したカズの方が明らかに俺よりも強いのだが……。


「いや、俺三年位喧嘩してないし無理だろ?」


 俺は正直に言って断ろうとした。


「今度アユと逢わせてあげるからさぁ。タカ君ずっと好きだったじゃん」


 アユとは俺の初恋の子で、中学ではトキちゃんと並ぶ美少女だ。


 女子と縁が無く、アユとも接点が無かった俺は親し気にカズの肩に手をかけて言った。


「……分かった。付き合ってやるよ」


 俺は目先の欲に流されアユの趣味を色々とカズからリサーチしていた。



 ◇



 喧嘩予定のクリスマス・イブ数日前の事だった。


 俺達は同級生だった前口に助っ人を頼む事にした。


 前口は俺の通った中学の副番長で、喧嘩の腕だけなら恐らく市でナンバーワンだろう。


 中学の頃は中学1年生の時には暴走族の総長と殴り合ったとか、市内の中学全てをシメて、隣の市にまで攻めていったという話もある。


 成人を迎えた頃はボクシングをやっており、五輪代表候補合宿に行ったらしく何かの大会でも優勝した経験がある。


 極めつけは、30円だけ入れた財布を準備してわざとカツアゲされて、カツアゲの腹を殴ったら相手はアバラが肺に突き刺さり、口から血を吐いたとか恐ろしい逸話もあったなぁ。


 昔は腕っぷしには自信があった俺が唯一喧嘩を避けた相手だし、前口さえいれば相手が何人居ても負ける気がしなかった。


 だが期待はあっさりと裏切られた。


「前口に助っ人頼んだら喧嘩なんかするなって怒られたよ」


「マジかよ?」


 俺は愕然とした。


 前口とカズは仲が良かったので当然来てくれるものだと思ったのだが、あっさりと断られたのだ。


 別に前口が真面目になったのが理由ではなく、昔貧弱だったカズが喧嘩する事が気に入らなかったらしい。


「じゃ……じゃあ、太田は?」


 太田は中学生の時、俺と喧嘩した相手の中では一番強かった相手であり、恐らく地元ではナンバー2か3ぐらいだろう。


 俺は番長すらボコボコにした経験があるが、太田は俺相手にほぼ互角に渡り合い、決着がつかなかった。


 この太田は格闘技経験こそ無いが、ボクサー相手にスパーリングしてボクサーをKOしたり、前口と一緒にカツアゲ狩りをした事もあるから、喧嘩の腕は鈍っていない様だ。


 喧嘩好きな太田ならば喜んで加勢しそうなものと期待していたが―


「太田は仕事で来れないって」


「クリスマス・イブでも仕事って、社会人って大変だよな……って。一寸待って! 加勢するの俺だけ?」


 カズは申し訳なさそうに頷いた。


「中田は……無理だよな。少年院ネンショー出てから更生したっていうし」


 中田は俺が毎年喧嘩していた番長の事である。


 喧嘩の実力自体は俺から言わせるとそれ程でもなかったが、他の奴からすると結構強かったらしい。


 前口の実力とは比較にならないが、人望が厚かったので中学では番長をやっていたが高校中退後、警察に掴まり少年院に入れられたらしい。


 その後、保護観察官との出会いが中田の運命を変えた。


 保護観察官が善い人であったらしく、根が素直な中田は更生し、その後会社まで作り、地元の不良ワル達が生きる為に働く場所を提供していた。


 一個上の先輩であり地元で有名な不良を社員にしたという話を聞いた時は驚いたもので、その後も地元の不良達にいさかいがあると仲裁をしていたりしていたようだ。


 半端者の俺何かと全然違って格好良いなとは思っていた。


 それはとにかく、助っ人が俺しか居ないという状況であるにも関わらず何故かカズはヤル気と勝つ気満々である。


 仕方ないので俺は色々と小細工する事にした。


 先ず、相手のホームで喧嘩しても不利なので、こちらの地元の神社に来させる事。


 夜、神社の境内近くに人が近づくと突然照明が点灯するので相手が驚いた隙に不意打ちをかける事。


 あとは高校の時喧嘩の為に剣道同好会の知り合いから買って、結局使う機会が無かった木刀をギターケースに隠し持って行く事である。


 何か防具でも準備しようかと思ったが、手頃なものが無いので、せめて指貫の軍手を準備したぐらいだ。


 今考えると20過ぎた男の発想としては余りにも稚拙なものだったが、当時の俺は余りにも馬鹿すぎた。


 この様にして万端でもない準備をしてクリスマス・イブを迎えた。



 ◇



 そしてクリスマス・イブ当日。冒頭の部分に至る。


「どうしよう! チーマーの溜まり場を偵察していたらどんどん人数増えているんだって!」


 カズは学校の友達からの電話を聞いて焦った様子で言った。


「何人居るんだよ?」


「今11人だって!」


「いや……こっち6人何だけど無理じゃね?」


 喧嘩離れした今の俺じゃあ2人倒せれば御の字だからこの人数は無理っぽい。


 それなのにカズは友人に対して俺の事を「秘密兵器を連れて行く」何ぞ大袈裟な事を電話で言ってやがった。


 カズも友達も幻滅するだけだろうから止めてくれよ……。


 そして、また友人から連絡があった。


「15人まで増えたって!」


 ……。


 帰って良い?


「仕方ないな。今からそっちに行こうぜ。で、何とかしてチーマーも一緒に来させよう」


 ビビりまくっている俺は本心を押し殺し、そんな事を言った。


 当初の予定ではカズの友人に言ってチーマーをこちらに誘い出すハズであったがどうも連携が上手くいってない様だ。


 今考えればチーマーが大人しくこちらの地元にホイホイ着いて来る訳が無いが、自分に都合よい事しか考えられないのは色んな意味で若かった。


 埼玉にあるチーマーの溜まり場に行くにはバスから電車に乗り継がなければならない。


 俺もカズも車を持っていなかったからこんなに時間が掛かる方法を取らざるを得なかった。


 行きたくねーな……と思いつつ、乗ったバスは向かう駅とは行き先が違った。


「アレ? バスの方向違くね?」


 俺はカズに指摘した。


「バス停が同じだから気が付かなかった。降りなきゃヤバいね」


 地元のバスに乗り慣れていなかったのが原因で只でさえ時間が無いのにタイムロスした。


 無駄な運賃を払い、バスを降りると再びカズの友達から電話がかかって来た。


 一通り会話が終わったカズは電話を切ると現状を俺に伝えてきた。


「チーマーの奴らに『偵察しに来たのか!』とか言われて喧嘩になったみたい」


「え? マジかよ……」


 今から行っても全然間に合わなかったという事か。


 ある意味バスを乗り間違えて良かったかも知れない。


 考えてみれば、カズを通してのやり取りしかしていなかったから、都合よく意思の疎通が出来ているものかと思い込んでいたが、相手にこちらの地元に来る意思が無いのに鉢合わせすればその場で喧嘩になるのは自明の理であった。


「その公園が人目につくところだから目立ったみたいで凄いパトカーが一杯来たみたいだね。で、友達は全員逃げたけど何人かチーマーは逮捕されたらしい」


 そりゃあ行かなくて良かったわ……。



 ◇



 こうして俺は喧嘩をしなくて済んだ。


 チーマーとの抗争はあやふやになったが、カズの学校のチーマー連中は全員退学している為、その後特に狙われたりするような事は無かったらしくて良かった。


 あの時俺がカズの誘いを断っていたら如何なっていたのか?


 俺と合流せず、直接チーマーの溜まり場に行っていた可能性が高く、もしかしたらカズは怪我をしていたか、下手したら逮捕されていた可能性がある。


 その方がカズも反省したかも知れないけど、俺には如何してもこの人騒がせな悪友を見捨てる事は出来なかっただろう。


 俺は家に帰り、カズから貰ったクリスマスケーキを「不二家でバイトしている女友達から貰った」と半分嘘をつき両親と食べた。


 その後、俺は部屋に戻るとギターケースから木刀を抜き出した。


「まぁ……今度もコイツを使わなくて良かったよな」


 俺は誰に向かって言うでもなく、独りごちた後、押し入れの奥深くに木刀を仕舞った。


 それ以来、俺はこの木刀を握った事が無い。

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