【おまけ】コメンタリー版『狂気山部屋にて』
*0 題名は『狂気の山脈にて/ハワード・フィリップス・ラヴクラフト』と「二子山部屋」のマッシュアップと思われる。
「発狂用意」*1 行司の声がそのように聞こえた、と大関・
*1 瘴気で「発気良い《ハッキヨイ》」が濁り「
*2 群馬灘は『国技館ロイヤルランブル』シリーズの登場人物と同名・同設定の力士。プレーンでバニラな巨漢力士であり様々な次元で活躍している。なお、群馬に海はない。
「初めは強く当たって――その後のことはよく覚えていません」*3 取組のVTRを見ると幕内最重量の巨漢大関が小兵・
*3 有名な八百長サインからの引用。
*4
今大会の台風の目となった小兵・土根性。長年膠着した上位陣を切り崩す若手の台頭に相撲界が沸いたのも数日間だけのことだった。当初は「奇跡だ」「無気力相撲だ」と騒ぎ立てた好角家達も八連勝の全ての決まり手が「腰砕け」であるという異常事態*5 を前に沈黙し、力士達は土根性との取組を恐れた。(なお、腰砕けの発生確率は0.04% 大相撲の歴史の中でも30回に満たない希少な決まり手である)
*5 「腰砕け」の発生確率と件数は大相撲公式サイトより
土根性と対戦した多くの力士がショックで精神を蝕まれ休場となった。かろうじて安定を保っているのは群馬灘のみである。立ち合い時から口中に甘い痺れがあり思考が揺らいだ、と大関は語る。「ウス今場所はもう休場ス、もう休ませてください、スンマセン、ウス」
*6 モデルは二子山部屋か。
「本田サン、ここから先はイケナイ」
犬公方部屋の若手・
*7 IQ300で三重思考を行う天才力士。廻しの上は白衣を着用している。
*8 英国に実在する施設
「ここから先は瘴気が蔓延していマス。これ以上、嗅ぎまわらナイほうが身のためデス」
「しかし」
「記事にするのもやめて下サイ、ここから先は我々の仕事デス」
「関取、土根性には秘密があるんですね」
犬犬犬は沈黙でそれを認める。
「……決着は土俵でつけマス」
若手力士の真剣な眼差しを受けた本田は道を引き返した。編集部へ戻り別のアプローチを検討する必要があるだろう。
◆ミ◆ミ◆ミ *9
*9 あまりのヒドい展開に読者が投げこんだ座布団
「
犬公方親方 *10 が力士たちに檄を飛ばす。
*10 確かな育成方針と特殊性癖を兼ね備えた親方、元横綱太郎次郎関。
「「ワン!!」」
所属力士たちが吼える。大関・
*11 実在する漢字。とても犬密度の高い四股名を誇る名大関。
*12 犬公方部屋のデンジャラスポメラニアン。
*13 セントバーナードのような巨体の酔漢力士。
*14 国技館ロイヤルランブル事件ならびに旧ナチス力士残党との闘いで存在が明らかになった旧賜杯者に対抗するための訓練を積んだ力士たちの総称
「標的は土根性、正体不明だが何らかの毒物を用いる」
犬犬犬が鼻を鳴らしながら補足をする。
「おそらく植物系の揮発神経ガス、"マンドラゴラ"由来のものデス。土俵で呼吸を合わせないようにして下サイ」*15
*15 土俵でのイクサの開始は呼吸を合わせることで始まる。力士たちは死地へ向かうことを理解している。
決死の戦いとなる。犬力士たちの顔に恐怖が張り付く。
「ボクたちは協会の犬じゃないが、親方の犬だ。これまでの恩義に報いる時が来たぜ!」
「ぶははは、力水は俺がつけてやるよ!」
ムードメーカーが褒羅仁と聖華道が空気を和らげる。
「行くぞ!」
◆ミ◆ミ◆ミ
相撲記者・本田は、土根性の故郷である赤森県西部の雪深い山脈 *16 へ向かっていた。人里離れたその街の名産品は、世界遺産・黒神山地 *17の雪解け水と豪雪によって甘味が凝縮された「雪下にんじん」*18であるという。秋田駅で新幹線を降りて在来線へ乗り換える。移動だけでも1日仕事だ。明日は土根性の生家があるという集落*19 を目指し黒神山地のトラッキングガイドに山中を案内してもらう予定だ。
*16 実在しない架空の地域
*17 実在しない架空の世界遺産
*18 実在する甘い人参
*19 『妖怪ハンター/諸星大二郎』のエピソード「生命の木」より
◆ミ◆ミ◆ミ
褒羅仁が土俵で死亡した。犬系力士は毒物耐性が強く腰砕けになることはなかったが取組開始1分後に昏倒、その場で死亡が確認された。土俵ドクターの検死によると死因は急性心筋梗塞。一切の毒素は検出されなかった。聖華道は担架に乗って花道を去る親友の手に強く握られたものに気づく。それは土根性のサガリ*20 だった。
*20 サガリ=力士の締め込み差し込まれた、力士が発する静電気を地面に流し発火事故を防ぐための設備
◆ミ◆ミ◆ミ
「俺たちはね、黒神山地には近づかねえよ」「山からは恵みを頂いているがね」「名物の"雪下にんじん"は食べたか? 甘くてうまかったろ」「ああ、にんじんだ」*20 「あれはもともと野生のにんじんを里で育てられるように"家畜化"*21 したものなんだ」「マタギが遭難したときには木の根元を掘り返してにんじんを探すんだよ」*22 「絶対に引き抜いちゃならねえ」「ひとクチかじれば身体もポカポカだ」「ふたクチかじったやつは全員狂って死んだよ」「"発狂人参"って呼ばれている」「あの集落に行きたい?」「バカなこと言うな」「あの村はふたクチかじっても死ななかったやつらだけが棲んでる」「あれはもう、人間じゃない」「この話は聞かなかったことにしてくれ」「俺もあんたもここには来なかった」「オイ」「あんたをここに埋めてもいいんだ」「帰ってくれ」
*20 『妖怪ハンター/諸星大二郎』のエピソード「ヒトニグサ」より
*21 マンドラゴラは動物と植物の中間であるとされているため。
*22 行者にんにくの由来より
◆ミ◆ミ◆ミ
聖華道が土根性と向かい合っている。前日の不慮の事故は事件性なしとして処理された。「ツイてるぜ」聖華道が独り言ちる。自らの手で親友の仇を討つ、今日は死んだっていい。*23 聖華道が力水と同時に密かに隠し持ったサガリをひとクチかじる。ドクン、強烈なキックと共に聖華道の血液が沸騰。背中から湯気を発しながら仕切り線に拳を突く。*24 これが
*23 「バキ」末堂厚が親友の仇討ちをする際のセリフより
*24 このシーンでは興奮作用による湯気だが、上位力士は自らの熱/発気によって勝身煙と呼ばれるオーラを発するようになる。
「発狂用意」
聖華道が頭から突っかかる。ゴチンという物凄い音がして今場所で初めて土根性が揺らいだ。鼻から大流血しながらも冷えた視線が聖華道を見上げている。張手、張手、張手、張手。聖華道の猛攻に少しずつ後退をする土根性の姿に国技館が沸いた。土俵際、聖華道得意のがぶりよりの体勢に入ると升席は総立ちとなった。
聖華道がガブる!小兵・土根性を上下にガブる!ガブる!だが、土根性は足に根が張ったように微動だにしない。聖華道は密かにふたクチめのサガリをかじる。ドクン、再び強烈なキックを受け怪力乱神を発した聖華道が一気に土根性を引き抜き、吊り出しの体勢! *25
*25 マンドラゴラを引き抜くとどうなるか、という伝承の再現。当然死亡する。
だが、そこまでだった。聖華道は身じろぎもせず、そのまま数秒が経過する。観客席が静まり返ったころ、土根性を持ち上げた体勢のまま聖華道は仰向けに倒れる。決まり手は浴びせ倒し。*26
大酒呑みで知られる巨漢力士はその場で絶命が確認された。死因は急性心筋梗塞であった。
*26 浴びせ倒しは吊り技の返し技として多用される自然な決まり手である。
◆ミ◆ミ◆ミ
本田はすでに秋田新幹線に乗車している。あれから人参マタギは頑なに口を開こうとしなかったが、唯一(何があったかは聞かないが、人参封じのまじないがある)とだけ口を開き魔除けを預けられた。急いでこれを国技館へ持ち帰らねばならない。本田は新幹線内から
*27 最近では新幹線内で仕事を進められるので良い時代になりましたね。
「土根性のサガリは干した発狂人参に間違いありません。地元の人参マタギから聞いた保存食に似ています。発狂人参、西洋ではマンドラゴラと呼ばれている滋養強壮食材です」
「なるほど我々が探った情報と一致しマス」
「
東京駅へ到着した本田を犬犬犬が出迎える。二人はタクシーで直接国技館へ向かうことになった。本田は犬犬犬にマタギから預かったつけ毛 *28 を手渡す。
*28 人参マタギの妻の遺髪である。
「これハ?」
「マタギの奥様の髪です。これを大関に」
「なるホド、マンドラゴラは女性にとても弱い 、ケンブリッジの伝承にもありマス」*29
「発狂人参を引き抜くと発狂して死ぬ。マタギは犬に紐を繋いで抜くか、女性の髪の毛で誘い出して捕獲していました」
*29 歩き出したマンドラゴラは女性の体液で動きを止めることができる(英国正相撲教会の秘儀より)
「ヤツらが女人禁制の土俵を標的に定めたのはこのためデシタカ」
「ヤツら?」
(あの力士の正体は呪いを帯びた魔植物、旧賜杯者 *30の尖兵の一つでショウ)そう言いかけて、犬犬犬は沈黙した。
誰に明かすことができない事情があるのだろう、本田も察する。二人が沈黙したままタクシーは国技館へ着いた。まもなく14日目 *31 の取組が始まる。
*30 旧賜杯者とは、かつて土俵を支配した旧神全体を指す。全てが優勝経験者で構成されて人間離れした神=横綱の実力を持つ集団である。
*31 本田が旅立った数日間で犬公方部屋の若手力士が絶命しているがここでは省略する。
◆ミ◆ミ◆ミ
「発狂用意」
式守伊之助 *32 の掛け声が澱んで聞こえる。この症状はマンドラゴラの揮発成分が原因であると
*32
*33 冬虫夏草に近い繁殖手段である。
無理に引き抜こうとすれば、聖華道の二の舞である。
大関がマゲを揺する。鬢付け油に混じりかすかに女の匂いが漂よい、土根性の冷えた目が気色ばんだ。
*34 緊急時であっても女性は土俵に立つことができないという脆弱性を旧賜杯者が突いたという形になる。緊急時の対応に関しては日本相撲協会は検討をするべきではないか。
女色に興奮した土根性が自ら間合いを詰める。
土根性が間合いを詰める。
詰める。後退する。詰める。後退する。
詰める。後退する。
やがて大関は土俵端に追い詰められた。死に体だ。*35
*35 相撲用語の「死に体=土俵内で体制を崩し倒れる前に決着がついた状態」ではなく、バランスを崩した状態の比喩としての「死に体」である。
好機と見て土根性が飛びかかる。
だが「つむじ風」の四股名は伊達ではない。突進の勢いを利用した高速巻き落とし *36 を仕掛ける。「ノコッタ!!」
*36 巻き落としとは廻しに手をかけず、相手の圧力と体裁きで投げる極上技巧の決まり手。廻し及びサガリのマンドラゴラへの接触を避けたと思われる。
力士本能で思わず踏みとどまった土根性の背後を取った
*37 ほどくな。
「ノコッタ!!」
ど根性の廻しの下に隠された巨大な
ギョワーーーー!! *38
*38 発狂人参特有の叫び声
国技館のカクテルライトに照らされたマンドラゴラが悶絶して悲鳴を上げる。
「ごっつあん!!」
思わず下半身をかばった土根性の背後に回り、
*39 いわゆるフルネルソンの体勢。
*40いわゆるドラゴンスープレックスホールド。飛竜原爆固め。
「式守ィーーッ!!」
*41 行司は公平なジャッジであるのと同時に神聖な神官でもある。常に聖別された懐剣を持ち、軍配を差し違えた場合は腹を切る覚悟で土俵に臨んでいる。
ギョワーーーー!!
寄生したマンドラゴラが切り離され、懐剣で土俵に縫い留められる。
「発気良し!」 *42
*42 霊魂放逐によって邪気が去り土俵の澱みがなくなったことを表現。ヨシッ。
式守伊之助の邪気封印によってマンドラゴラは土俵深く沈められ鎮呪された。土俵上に倒れた土根性の肉体はシオシオと生気が漏れだし抜け殻となっていた。検死の結果、どう見ても何十年も前に死んでいた人物である、という結論となり事故として処理された。 *43
*43 黒神山地の集落では代々心をなくした人々が生活をしていた。土根性もその一人であり脳死したまま何十年も生かされ、マンドラゴラの宿主となっていた。
テケテンテン テケテンテン・リ テケリ・リ テケテンテン *44
*44 現時点での説明は不可能である。
本日の取組終了を告げる跳ね太鼓が鳴り響く。明日は千秋楽だ。 *45
*45 跳ね太鼓は、「明日も来てくださいね」という意味の太鼓で、千秋楽にならされることはない。
◆ミ◆ミ◆ミ
【決まり手は、飛竜原爆固め《ドラゴンスープレックスホールド》。なお、この決まり手が土俵上で披露されるのは12年ぶりの珍事である。】
『角界マンドラゴラ汚染事件』のレポートを校了した本田はゲラ刷りの相撲誌に目を通す。そこには先場所の事件に対する、狂気山部屋 九頭竜親方のコメントが掲載されていた。
【大変に痛ましい事故です。土俵上のインシデント管理はどうなっているのか。力士への呪物の寄生に関しては再発防止策を協会に提案させていただきたい。当部屋も諸牛頭、三牛をはじめ若手も台頭しておりますので相撲界を盛り上げるべく……】*46
*46 九頭竜、諸牛頭、三牛は、なんらかの旧賜杯者との関係を匂わせている。
犬犬犬の、あの眼差しを思い起こす。(まだ戦いは終わっていない、いや始まってもいないのではないか)*47
*47 『黒い仏/殊能将之』より
漠然とした不安に駆られながら、本田は窓の外へ視線を送った。 *48
*48 『ダゴン/ハワード・フィリップス・ラヴクラフト』より
【おわり】 *49
*49 ごめんなさい
『狂気山部屋にて』 お望月さん @ubmzh
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