06
「……あら?」
宮殿を後にしたメリナがデリスモ街道を歩いていると、遠くから猛然と走ってくる人物の姿に気付く。
見慣れた神官服に、距離が縮まるにつれて上昇していく気温。世界広しと言えど、そんな人物はメリナの知る限り一人しかいない。
通称『サラマンダーの如く熱い男』ことプライであった。
「――む? げえっ! メリナ殿!」
ようやくプライもメリナの姿に気付き、慌てて急ブレーキをかける。
「熱血神父じゃない。そんなに慌てて何かあったの?」
「い、いえ! 宮殿に魔物が出たと耳にし、急ぎ駆けつけた次第でして! 一刻を争う故、私はこれにて失礼を――」
「待ちなさい」
「ひいっ!?」
まるで逃げるようにその場を去ろうとするプライをメリナが引き留めると、プライは引きつったような声を上げた。
「ま、まだ何か……?」
「その件なら問題ないわ。魔物はもうすべて倒したから」
「な、なんと!? まさかメリナ殿が……?」
「ええ。正確には私とアルド、それにあなたの上官とね」
「チルリル殿も!? むう……完全に出遅れてしまいましたな。このプライ、お二方のお役に立てず面目次第も――」
頭を下げたところで、プライはあることに気付いて慄然とした。
(げっ……この服は……!)
メリナがいつもの神官服ではなく、祓魔師としての正規兵装に身を包んでいたのである。
「メリナ殿、つかぬことを伺いますが……」
「何かしら?」
「い、いえ。その兵装は……その魔物はそこまでの難敵であったと?」
普段、メリナは普段は膨大過ぎる魔力を制御するための服を着用しており、全力で戦う必要に迫られた場合に限り正規兵装を身にまとう。とはいえ、そこまでの事態は及ぶことは滅多になく、メリナと共に戦う機会の多いプライですらその姿を見たことは数度しかなかった。
そして、出来ることならば目にしたくない姿でもあった。何故ならば、魔力を解放した時のメリナは――
「ああ、これ? 気にしないで。そこまでたいした敵ではなかったわ」
「そ、そうでしたか。これは要らぬ心配でしたな、はは……」
メリナが軽い口調で言うので、プライは胸を撫でおろす。どうやら自分の杞憂に過ぎなかったようだ、と。
しかし、残念ながら――プライにとっては不幸なことに、そうではなかった。
「ただちょっとだけ、暴れたい気分なだけだから」
「なるほどなるほど、そういうことでしたか……ん?」
聞き流しかけたメリナの言葉に、一度は収まった動悸が再び激しく鼓動を打ち始める。
「……メリナ殿? いまなんと……」
「あら。聞こえなかったかしら」
メリナの瞳が怪しく光る。
普段の冷静さからは考えられない、獲物のトカゲを狙う猫のようなサディスティックな目……そう、この目は以前にも見たことがある。それも幾度となく。
(こ、この流れはまさか……)
「上官の言葉を聞き逃すなんて、どうやら教育的指導が必要のようね。そこに直りなさい、プライ」
「め、メリナ殿――!」
必死に声を絞り出すが、助命を請う言葉がその口から出ることはなかった。
「修行が足りない!」
「ぶはっ!?」
平常時比数倍の威力を持った槌の一撃がプライの胴体に叩き込まれる。
「そういえばさっき、私の顔を見るなり何か言っていたわよね。よく聞こえなかったけど、もう一度言ってもらえるかしら?」
「い、いえ! 私は何も……げえっ!」
二撃目。
「そう、それよ。相変わらず上官に対する口の利き方がなってないわね」
「お、お待ちをメリナ殿! 決してそんなつもりは……」
「口答えしない!」
「あばっ! がふっ!」
三撃目、四撃目。
「それに上司の教育もなってないわ。あの子はまだ子供なんだから、暴走しないよう監督するのもあなたの役目でしょう」
「い、いえ! 私がチルリル殿を監督するなど畏れ多く……それに子供というならメリナ殿も――」
「私を子供扱いしない!」
「さらまんだっ!?」
五撃目。
「リアクションが暑苦しい!」
「く――熱血っ!」
「避けるな!」
「ぎゃふっ!!」
六撃目。
(な、何故このようなことに……メリナ殿の身にいったい何が……?)
滅多打ちにされ朦朧とする頭で、プライは自問を繰り返す。
だが、メリナが凶暴化している原因など知る由もないプライがその答えにたどり着けるはずもなく――薄れゆく意識の中、プライの脳裏に最後に浮かんだのは、敬愛する幼い上司の眩い笑顔だった。
(あ……後は頼みましたぞ、チルリル殿……がくっ)
完全にのびて動かなくなった熱血神父を眼下に、ようやく興奮状態から醒めたメリナが「ふう」と息を吐く。
「ありがとうプライ。おかげで発散できたわ」
メリナから礼を言われることなど滅多にないことだったが、残念ながら気を失っているプライにその言葉は届かない。
メリナは宮殿の方を振り返る。
「それにしても、たったのひと口でここまで攻撃的な気持ちになるなんて……被害者が増える前に止められてよかったわ。まったくあの子は、いつも周りを振り回して……」
いつだって対抗心を燃やして自分に張り合ってくる。突飛なことばかり思いついて、考えるより先に体が動く、自分とは真逆のタイプ。
「お菓子で世界を救う」なんて発想は自分からは絶対に出てこない……当然だ。世界はもっと複雑で、人間の心は御しがたく、そんなお菓子のように甘い考えが通じるようなものでは決してない。
「でも……本当に美味しかった」
相容れない部分も少なくないが、裏を返せば、自分に足りないものを彼女は持っているのだろう。
メリナは夢想する。
ゼルベリヤ大陸の困窮した人々。飢えて痩せ細った子供たち。苦しみ喘ぎながらも救済の日を信じ、自分たちの活動の成果を心待ちにしてくれている彼らと一緒に卓を囲み、共に美味しいお菓子を楽しんで笑い合っている――そんなおとぎ話のような光景を。
「ふふっ」
堪え切れずに笑ってしまう。
そんなことがあるはずないとわかっていても、願わずにはいられない。
「もしかしたら、いつか本当に世界を救ったりしてね」
完
超時空おやつパーティ 一夜 @ichiya_hando
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