最終話 大将の胸臆は衆人の知るところにあらず(by織田信長)

「え、そこですか?!」


 藤村は前のめりに芳子を問い詰める。芳子はその動きを読んでいたように、藤村が動くのと同時に一歩後ろに下がった。


「長たらしい恨言など有りませんよ。兄じゃあるまいし、そんなことに労力を割くほど暇ではありません」

「うーん、何故か風当たりめちゃ強い」

 

 芳子の背後で、哲男は引き攣った笑みを浮かべた。藤村も苦笑いだ。


「私はただ、分不相応にもこの私を洗脳できると思って近づいてきたこのジジイの絶望した顔を見たかっただけです」

「わぁ〜、サディストだー」

「しかも、私が洗脳にかかっていないことも織り込み済みで、手のひらで転がそうとしてくる態度が気に入らなかった」

「うわぁ〜、高飛車だー」

「煩いです」


 哲男が芳子の発言に毎度間の手を打っていると、ピシャリとはねつけられる。


「兄さんも、てっきりそうなのかと」

「ごめん、俺は単純に命かかってたから」


 哲男は真顔でツッコんだ。

 芳子と哲男の会話を大人しく聞いていた藤村は、瞬きの回数を2倍に増やし、首を傾げた。


「えっ、でも、先生最初『兄が殺されそうだから力を貸して』って...」

「ええ。いかすけない老害が兄を殺そうとしているので、兄はどうでもいいですが老害を是非とも邪魔したいから力を貸して、と言いました」

「なんかこれ、俺が一番ダメージ受けてんな」


 芳子は棘を纏ったモデル立ちで華奢な腕を組んで言い放った。その言動には、逐一哲男に攻撃的な一文が含まれている。タイムロスが無い分、嫌味の応酬に制限が課されず、一言に一嫌味どころではなくなったのだ。

 一連の出来事を傍観していた県は、時間が差し迫っていることを確認してディスプレイに表示された時間を指した。


「申し訳ありませんが、次がありますので。それでは、私は失礼します」

「「「お疲れ様でした」」」


 芳子等は、声を揃えて口々に挨拶を述べた。


「何だろう、すんげー気にくわねぇ」


 いつもの研究室でのノリで返事をする三人に、尋常ではなく不服な面持ちの哲男であった。

 こうして、哲男の誘拐と殺人未遂事件は平穏無事に幕を閉じたのだった。



 全面半透明ガラス張りの廊下を、ぞろぞろと集団が歩く。窓の外はグレー一色、雨粒が散弾銃の如く吹き付けていた。

 5月にしては少しばかり肌寒い。空模様と同系色のカーペットを身長が同程度の、どこか違和感を感じる男女を筆頭に、四人が暗がりを闊歩している。

 集団に会話は無く、ザーという雨足とヒールの音が永遠とこだましていた。


「それで、先程からとても気になってたんですが...」


 静寂を切ったのは、藤村だった。振り返らない...というか話を聞いてさえいなさそうな芳子の代わりに、哲男が振り向いた。


「ん? ああ、顔のことっすか?」

「それ、僕もずっと聞きたかったです」


 少し離れてついてきていた鈴木が、おずおずと手を挙げた。


「鈴木くん?! いつのまに...」

「藤村さん、僕、ずっといました...」

「...ごめんなさい。気配が薄過ぎて」


 あははと苦笑いを浮かべ、鈴木は後頭部をさすった。哲男も同様だったらしく、軽く眉を上げている。

 ガラス張りの壁には小窓が有り、換気のために開けられたそこからは雨の日独特の匂い-コンクリートの匂いらしい-が漂う。

 しばらくして、藤村の問いかけを思い出した哲男が口を開く。


「双子かってよく言われるんすけどね、ちゃんと干支違いますし。もちろん、12月31日の午後11時59分に俺が生まれて...とかじゃないっすよ。俺夏生まれだし」

「でも、驚くほど似てますよね?」

「あー、まあ、女装すれば限りなく芳子になる自信あります」

「身長も、先生は女性としてはかなり高いですしね。先生、どちらかと言えば男より女にモテますし。そうか、うん...」


 藤村は期待した眼差しを哲男に向けるが、当の本人はというと思いっきり顔を背けている。藤村の脳内で、哲男が女装した画ができていることを何となく察知したのだろう。

 哲男が引いた気配を敏感に感じ取り、観念して視線を進行方向に向けた藤村は、ふと疑問が浮かんだ。


「それにしても、なんで哲男さんが織田信長に似た脳になるって確証があったんですかね? 少し聞いたところによると、生前から県先生はお二人に関わっていたようですし」

「あー、それは......ね?」


 哲男は気まずそうに目を逸らす。短髪をガシガシと掻き、視線をひたすら彷徨わせている。芳子の方を仕切りに見ては、口角が居所を失っている。


「私達がトランスジェニックチャイルドだからです」


 明らかに動揺した哲男を他所に、芳子が淀みなく答えた。


「...マジですか?」


 トランスジェニックチャイルドとは、その名の通り遺伝子組み換えを行った子どものことだ。大豆などの農作物と同様に、生育の初期段階、遺伝子発現をする前段階で遺伝子をいじることをいう。

 これは、クローンを作る過程と酷似していて、倫理の観点からは非常に厳しいところである。

 トランスジェニックの技術は、食糧問題の解決に大きく貢献したが、人への実用は忌避する国が多い。

 しかし、人間はどこからが一つの命とカウントするかということを除けば、それほど危ぶむことではない。

 人は遺伝子によって外観が決定される。しかし、他は割と後付けだ。

 頭の良さをトランスジェニック技術で向上したとしても、していない人間が訓練を受ければ到達できないこともない。もっといえば、使い所の問題もある。

 性格も、外的要因、つまり家庭環境への依存度が非常に高く、所詮は教育次第なのだ。

 故に、一部の国では盛んにとまでは行かなくても、それなりに研究されている。その一部には、日本も属していた。


「脳の造りが同じなのは必然ですよ。そのようにあのジジイが造ったのですから。なので、線引きは難しいですが、どちらかと言えば兄妹よりクローンと言った方が正しいかもしれないです」

「兄妹だ!」


 哲男は形の良い眉を吊り上げ、語気を強めて諌める。立板に水で芳子は続けた。


「相関関係としては、私は兄のクローンで、兄は織田信長のクローンです。私は、謂わば兄が誤作動を起こした時のスペアですね。なので、能力に差が出ては不良品は当たり前で、まあ、さしずめ私は不具合の権化だったのでしょうね」

「すごく地雷じゃないですか、もう! 私、人の地雷は踏まないことが長所だったのに...。すみません。県先生を嫌いになるって、もしかしなくてもこのことですか?」

「倫理道徳を好まれる講師なら、こういう類は嫌悪の対象だと思いまして」

「正にです」


 藤村は芳子の言葉を肯定したが、その表情は戸惑いを含んでいる。


「でも、なんか憎めないんですよね、県先生。話聞いても、なんか現実味がないって言いますか」

「それは予想外でした」

「...私も不思議です。あの話、聞いたからですかね。それとも、根は、悪い方ではないからですかね」

「とんでもなく腐っていると思いますが」

「そんなことはないですよ。はっ、もしかして、先生も県先生が良い人だと思っているのでは?」

「どうしてそうなるのですか?」

「だって、恨言はこれといって無いって...」

「言っても何にもならないからです」

「とかいって、実は...」

「妄想癖も甚だしいですね」


 芳子はストライドを広げて藤村達との距離を一気に突き放す。その後を追うように、藤村が小走りで駆ける。

 ローヒールとスニーカーが付かず離れず競争を始めた。芳子の靴音に被せるようなゴムが滑面を撫でる音に、芳子が背後を振り返る。


、着いてこないでください」

「もう、最近は諦めてましたけど、流石に"講師"は呼称として無理が......................え?」


 窓は水滴が着いて、顔を出した太陽の光で虹色に輝いている。

 縁の大きな水たまりは、藤村の半狂乱に似た絶叫を受けたかのように一つ、波紋を生んだ。

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リモート戦記 浅葱 @similar

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