第45話 True End:隠微な救出劇 備考:もう一つ有ります。

 断末魔とともに暗転した画面が続く。

 県は微笑みを浮かべて色の抜け落ちた真っ白な髭を撫で、藤村は悲惨な最後から目を背けるように両手で顔を隠し、芳子は頬杖をついて無表情を浮かべている。

 鈴木は、微妙な空気感に戸惑って上司たる県の挙動を伺っていたが、動く気配が無いのに気づきぴんと背筋を伸ばして座り続けようと決心した。

 そんな4人の背後には、密かな、しかし重大な変遷が生じていた。


 小さな光の粒子が一点を取り巻き、急ぎ足で旋回する。ただ白いだけだった粒子は、一つ二つと結合し、その小さな塊が他所から膨張した塊とくっついて、そうして色が生まれる。赤色、橙色、黄色、緑色、青色、他にも様々な色が打ち消し合い、重なり合って、粒子の色を決定していく。

 色が決まると、今度は形作りが始まった。中心から伸びるように粒子が結合し、徐々に大きくなっていく。肉眼でも観察できる大きさへと変遷したところで、次は細部の補充が始まる。

 毛穴や汗腺、頭蓋骨の形状による肌の出っ張りに毛根など、微細な部分まで再現される。

 青白い光を受けて、部屋に横たわる体も光を放つ。透明な容器で厳重に保管された粒子も手伝って、男性特有の手の骨や喉仏の出っ張りのある頭だけが抜けた体に、原形修復がなされている。

 まず、脳。次に大脳動脈と外頸・内頸動脈、毛細血管。頭蓋骨やその空間。真皮、表皮、生毛という順番で形作られていく。


 その顔、どこかで見たような秀麗さで、瞼を閉じた姿は冷たく無機質を思わせる。

 身体は程良く筋肉がつき、顔は中性的な特徴が顕著。部分部分は鼻梁が高く彫りの深い顔で、眼も釣り合いの取れた大きさ。唇は薄く、頬もいい塩梅に痩せている。目鼻立ちが良く、全体的に均整の取れた美しいかんばせだ。肌の色は健康的だが、顔色は少し悪い。


「えっ、うぉっ!」


 第三者の悲鳴に、部屋にいた人間が一斉に声の方を振り向く。

 研究員達の視線の先には、裸体を晒した無駄に顔のいい男が腰を抜かしていた。

 鈴木は驚いたように目を白黒させたが、他の人間は殊の外驚いた様子がない。藤村は驚きそうなものだが、本人はといえば、男の出現ではなく、その容姿に驚きが隠せない。

 男は立ち上がると芳子に視線を合わせ、数秒の内、なるほどとでも言いたげに腕を組み口角を上げた。


「うーんと、把握!」

「えっ、把握したんですか?!」


 放心状態だった藤村は、男の予想外の反応に反射的に反応した。ツッコミ属性とは、かくも逞しい運命を背負うらしい。

 なおもジロジロと顔を凝視してくる藤村に居心地の悪さを感じて、男・哲男は居住まいを正した。裸のままで。


「これはこれは藤村さん、大変お久しぶりです。うちの芳子がお世話になっております。すみません、生憎ときのみのままの状態でして持ち合わせが有りませんが、今後とも芳子をよろしくお願いします」


 まるで普通に訪ねてきたかのように振る舞う哲男に、藤村はひたすら困惑していた。

 ぺこりと頭を下げてきた哲男に取り敢えず従うが、その心中穏やかではなく、"混乱"の二文字が頭を駆け巡っていた。


「お久しぶりです、哲男くん。見ない間に随分と成長なさいましたね」

「お久しぶりです、県さん。全く会いたくありませんでしたよ」

「ははは、これは手厳しい」


 表情を変えない県に、哲男は舌打ちをせんばかりの商業スマイルで邂逅の挨拶をする。

 哲男は再び芳子の方に向き直り、両手を広げて駆け寄る。

 あと少しで届こうかというところで、哲男の顔面スレスレにハイヒールの踵が突き出される。芳子の右足は青白い空間を蹴って、僅かに自身より高い哲男の顔面に淀みなく差し出された。

 哲男は瞬時に回避行動を取り、仰け反った状態をキープした。


「えーと、これは、拒否られてるって考えるべき? それとも照れ隠しって考えるべき? マジで危ないんだけど。俺がそのまま突進したらどうするつもりだったのよ」

「殺すつもりだと考えていただければ。それと、私は寸止めをしました。それで止まらなければ、ただの自業自得というものです」

「ひっでぇー」


 苦笑いを浮かべる哲男に、芳子は目で哲男の背後を指した。

 哲男が出てきた箱、というか本物の棺桶には上下の服が用意されていた。


「過去に飛ばした影響で、露出狂の変態に成り下がりましたか? やはり、県名誉教授の計画に沿っておけば良かったのでしょうか?」

「...見つけられなかったの! ったく、もう少し見やすいとこに置いとけって」


 哲男がぶつくさと文句を言っているのを背にして、芳子は県に向き直る。

 芳子は口角をこれでもかと上げ、小首を傾げて見せた。


「滑稽ですね。実験体に、いえ貴方の言葉を借りるなら"不良品"に大事な計画を壊された気分は如何程でしょうか?」

「んっ、んしょっと。芳子ー、悪者の顔になってるから。綺麗な顔が台無しよ」

「黙れ外野。あと、触らないでください」


 哲男がTシャツを着ながら芳子の頬に手を伸ばすと、すげなく叩き落とされた。

 はけられた手をさすりながら、哲男は藤村のいる方向に後退した。

 

「おかしいな、反抗期? 育て方間違えたか? いや、でも、ちっこい頃はそりゃあ可愛げがあった気がするんだが。間違えましたかね? 俺」

「ふぇ? あ、はい。あっ、いえ、そんな事はないと思います」


 藤村はまだ混乱から覚めておらず、そんな中問いかけられ、思わず哲男の顔を凝視して答えた。

 哲男はなんとも言えない顔で不思議そうに藤村を見つめ返す。


「なるほど、君が大人しく私に手を貸すから何事かと思えば、こういうつもりでしたか。ははは、すっかり一本取られてしまいました」


 挨拶以降、哲男の登場から静寂を守っていた県が遂に声を発する。あっけらかんとした反応に、芳子の表情には面白くないとデカデカ書かれている。


「いやはや、残念。とても残念です。これでは目的の収穫がありません」


 県は目線を下げて如何にも落ち込んでいますという顔を作る。その実、この状況を楽しんでさえいる。

 芳子の表情は更に不機嫌を背負い、重苦しいオーラを発しつつある。芳子は今にも舌打ちしそうな口元を歪めた。


「理解に苦しみます。貴方の目的は確かにこの実験にあったはず。何故悔しがらないのですか? 激昂するとまでは行かなくても、そのわざとらしい仮面は剥がせると想定していたのですが」

「驚きましたよ」

「薄々気づいてらっしゃいましたよね。私と講師が結託して、貴方の計画を頓挫させようと動いていた事。分かっていながら貴方は止めなかった」


 薄ら寒く感じる笑顔を絶やさない県にため息をついて、芳子は先を続ける。


仕込んできたモルモットを、そんな労力を注ぎ込んだ物を簡単に捨てるとは、理解が及びません」


 芳子はちらりと後ろの哲男を見遣り、県に視線を戻す。


「先程、哲男くんが私の目の前に現れた時、私が最初に感じたのは安堵でしたよ」

「自分語りなら辞めてもらっても? 微塵も興味がありません」

「芳子、ちょっとお口チャック! ここは聞かなきゃ可哀そうなとこ!」

「ははは、自分語りといえば、そうなってしまうかもしれませんねぇ。しかし、あなたがたには知らせる義務があると思うのです。さて...私は、もうそろそろ死にたかったのですよ。ただ、死に場所を選びたかった。しかし、この長過ぎた人生に終止符を打つためには、新たな身体が必要だった。そのためにも、今回の実験は必要でした。私の体は不滅の呪いがかけられていたのでね、もうそれしかないと思いました。だが、あちらで死んでこちらに戻ってくるのはどうしても避けたかったのです。またおかしな効果が追加されては本格的に死ななくなるとね」


 芳子の突き刺さるような視線を受け流して、県は自身のデスクに置いてあった古びた墨箱を優しく撫でた。


「しかし、いざ死ねるのだと確信を得られるとなったら、どうにも末恐ろしく思えてしまったのです。疫病から生き延びた不死の体は、すっかり死に方を忘れてしまった」


 衰えた老爺は、県は、自嘲気味に呟いた。

 皺の寄った目尻、弛んだ目元、垂れ下がった皮膚、男性にしては低い身長、少し傾斜のついた背中、一つ一つを見れば、県はただの老人であった。こじんまりとしてか弱い、吹けば飛びそうな年寄りに過ぎなかったのだ。


「死にたかった筈でした。もう、十分生きた。そう自分に言い聞かせても、わだかまった感情は消えてはくれなかったのですから仕方がない」


 県はにこにこと穏やかな笑みを浮かべて芳子を見据えた。


「この老骨が随分迷惑をおかけしまして。お詫びと言ってはなんですが、この際恨みつらみは大人しく受けましょう」


 哲男は心配そうに芳子を見つめた。芳子は少し考える仕草を見せ、口を開く。


「押し付けがましいですね。そもそも、生意気なジジイが、私を分不相応にも洗脳しようとしやがって。分を弁えろ。くらいしかありませんが」

「え?! そこ?!」

「え?!」


 哲男、藤村、鈴木の驚嘆が重なった。

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