待っててね。

 しんと静まり返った部屋の中、冷たい床に座り込んで、しばらく考え込んで。

 どうすれば良いか――ではなく、どうしたいか、答えが出た。

 

 もう一度スマホを取り出して電話帳を開く。



 「あ、もしもし。お母さん。さっきはごめんね。急な話だったから、びっくりしちゃって。

 それでね、私、考えたんだけど、一回そっちに帰るね。伸也のお見舞いをしなきゃ。入院はしてないけど具合悪いんだよね?

 私たち、昔はほんっとに仲が悪かったけど、もうお互い子供じゃないんだから大人同士としてそこそこのお付き合いをしたいなとは思うわけよ。

 だから、この機会に会って話して、仲直り、までは行かないまでもなんかこう、距離を縮めたいっていうか。

 週末にそっち帰るね。ちょうどクリスマスイブだから、東京のお店でケーキ買って帰ろうか」


 今度は私の方がほとんど一方的に話して、言いたいことを言い終えると電話を切った。

 相槌を打つ母の声は本当に嬉しそうだった。多分、私が久しぶりに帰るからではなく、可愛い長男のシンちゃんを心配して、お見舞いに駆けつけてくれようというできた娘を持ったことを、喜んでいる。

 


 まぁ、私、濃厚接触者だけど、もしかしたらそっちに行く頃には熱とか咳とか出てるかもしれないけど。

 だけど、私の話を聞こうともしてくれなかったのは、そっちだよね? シンちゃんがシンちゃんがって大騒ぎして、切り出す隙もくれなかったものね?  

 知らないのは、知ろうとしなかったその態度のせい。だから――悪いのはあなただよ、お母さん。




 イブの朝、私は車で自宅を発った。近所の適当な店でクリスマスケーキを買って、後部座席にそっと載せた。都心の有名店ではないけれど、ここだって一応『東京のお店』だから、私の言ったことは嘘にはならない。

 

 途中で高速に乗り、一路実家へと向かう。

 車を運転するのは週末くらいで、慣れているというほどではないから、スピードを出しすぎたりしないようにと神経を遣うけれど、車を持ってて良かった、と心から思う。

 電車での移動はいけない。無関係の人まで巻き込んでしまう。それは私の本意ではない。




 ケーキを買って行くなんて言ったけれど、本当に贈りたいのはそんなものではない。

 新型コロナウイルスは、基礎疾患がある人が罹った場合には死亡率が格段に上がる。たとえば肺疾患とか、高血圧とか――肥満とか、糖尿病、とか。

 ウイルスが日本に入ったばかりの頃、二十代のアスリートが感染、死亡してマスコミを賑わせたけれど、この人が糖尿病だったこと、普通の若者ならばそうそう死には至らないことも併せて報道された。


 『シンちゃんが倒れちゃってね。もうびっくりしちゃって、救急車を呼んだら血糖値が高い? みたいなことを言われて。

 甘いものを食べたりしちゃ駄目だって言われたの。あと、少し痩せましょうねって。病気の時くらい好きなものを食べさせてあげたいから、そんなことはできませんって言ってやったわ』


 一方的にまくしたてた母の言葉を思い出す。詳しく問い質したりはしていないし、あの口ぶりからして、母がきちんとわかっているかどうかは怪しいものだけれど、伸也はおそらく、糖尿病なのだろう。痩せろと言われたということは、肥満である可能性も高い。家にこもって食っちゃ寝の暮らしをしていた末だと思うと、自業自得としか言いようがない。


 さて――私は片手を額に当てる。いつもより熱いような気もするけれど、本当のところはよくわからない。

 仮に私が発熱しているとして、風邪ならばまだ良い。だけど――新型コロナウイルスだったら? 糖尿病なのであろう伸也に、それが伝染ったら? 死ぬ確率は、低くない。


 そう。プレゼントはケーキではないけれど、私が確実に運ぶ。この身体に潜み、増殖するウイルスを、私はこれから届けに行く。


 濃厚接触者であるにもかかわらず家族に会いに行ったりなどしたら、ましてその結果、家族にまで感染を広げたら、どんなことになるか、想像は付いている。

 もしもの時は『ごめんなさい。本当に悪かったと思っています。弟が重病だから帰ってこいと言われて、嫌だと言ったんだけど、押し切られて……』とかなんとか、涙ながらに訴えてみよう。

 まぁ――どんなに泣いて謝ってみせようが、許されないだろうけれど。


 私は、自分の行動がもたらす最悪の結果まで想定して、失うものの大きさをよくよく吟味して、その上で、今回、事に及ぶことに決めたのだ。

 憎い憎い、子供の頃から大嫌いだった伸也を、自分の手を汚さずに――少なくとも、見た目は綺麗に、血のひとつも流さずに――この世から葬り去ることができるかもしれない、その可能性に私は賭けることにした。


 この際、父と母まで巻き添えにする覚悟で。

 だって、大事な長男のシンちゃんと一緒に、同じ病気で死ねるならば、本望というものではないか。




 ねぇ伸也。待っててね。

 プレゼントを持って、そっちに行くから。

 とっておきのプレゼントだから、楽しみにしててね。

 

 ふふ、とかすかに漏れた笑い声を、聞く者はなかった。

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