2-09『追放連盟』2

 数時間後。時刻にして午後七時過ぎ、場所はさいたま新都心駅ほど近く。

 人波でごった返すその場所に、黒須大輝はひとりで訪れていた。


 近隣にあるスーパーアリーナでイベントでもあるのか、いつもより人の流れが激しく、駅でもアナウンスが繰り返されていた。

 お陰で喫茶店の席を取るのに少し苦労したが、まあ大した苦労ではないだろう。


「デートっスね!」

「いや違うが」

「この人、本当につれないっスわ!」


 対面に座る運び屋の女――愛子憂は実に楽しそうな表情で言った。


 からかって言っていることは明白だったが、そろそろ憂のほうも大輝には通じていないと理解できている頃だろうに。

 なぜ飽きも懲りもせず続けるのか不思議になってくる。

 面白い反応ができないことが、いっそ申し訳なくなりつつある大輝であった。


「…………」


 異世界に渡る前の黒須大輝であれば、もうちょっと気の利いた反応ができただろうか。

 精神の年齢だけで言えば二十歳を超える大輝だが、その時間ほど自分が老成したという感覚はなかった。自己認識で言えば、肉体年齢と同じ十七歳だ。


 異世界での経験で情緒が育つようなことはなかった。むしろ心は摩耗し、どこか大きく変わってしまったという実感だけがある。

 どんな変化かはわからないけれど、不可逆に。

 それを成長とは呼ばないことだけが、大輝にわかる全てだった。


「……にしても。お前、本当に普通に入ってきてるよな。新都心も範囲内だろ、たぶん」

「ん? なんの話っスか?」


 アイスコーヒーのグラスをストローでかき混ぜていた憂は、ふと聞こえた大輝の言葉に首を傾げる。

 まだ口をつけていないブレンドから視線を上げて、大輝はこう続けた。


「この街には結界があるって話だったろ。侵入者がわかるとかなんとか」


 まあ余裕で潜り抜けられている例を見まくっているため、信頼性は低そうだが。


「呼び出しておいて言うことっスか、それ?」

「まあ正論だけど。呼び出したからこそ、熾に見つかるとアレかな、って」

「浮気を疑われる?」

「疑いたいのはお前の正気だよ。そうじゃねえよ。熾はこの辺りの管理者なんだろ?」


 外の魔術師が領域内に入ることが歓迎されないとは、大輝も説明されている。


「まあ、あたしならバレないっスからね」

「それは知ってるけど」

「キミも心置きなく火遊びし放題ってわけっスよ。そう、あたしとならね!」

「それは知らないけど」

「大輝の塩対応、なんかクセになってきたっス、あたし……」


 運び屋・愛子憂が持つ力。魔術による察知を掻い潜る異能――《零落》。

 少なくとも、渡会親子は憂の手引きによってこの街へ侵入したという話だったが。


「でも、そうだ。その件で思い出したんスけどね」

「ん……なんだ?」

「あー……いやでも、よく考えたらこれ教えてあげる義理ないんスけど。まあ口滑ったし別にいいか。じゃあサービスってコトで、感謝しながら聞いてくださいっス」

「なんか不穏だな……なんの話だ?」

「――この街の結界、たぶん壊れてるっス。侵入者の察知が機能してないっスね」

「…………」


 サービスにしてはなかなか重大なことを言われた気がする。

 押し黙る大輝に、憂は続けて。


「そもそも一都市なんて巨大な規模で、しかもこれだけ人の出入りの多い場所で、害意のある魔術師だけを察知する結界――なんて、あたしに言わせれば実在から疑わしいっス」

「そう、なのか……?」

「そりゃそうっスよ。そんな規模の魔術を行使すること自体が無茶な話っスし、よしんばそういう術式を持ってたところで、維持する魔力をどこから工面するっていうんスか」

「え……いや、それを俺に訊かれてもな……」

「別に大輝に訊いてるってワケじゃないっスけど。まあ要するに、そんな規模の大魔術はそもそも人間業じゃないって話っス。そして少なくとも、現状では効力を発揮してない」

「…………」


 ならばあの《追放連盟》とかいう連中の存在を熾が感知できなかったことも、当然だという話になるのか――大輝は考え込んでみたが、その情報から見出せる答えはなかった。


 可能性はいくつかある。

 そのうち《憂が嘘をついている》という可能性を除外するなら、すぐに思い浮かぶ考えとしては次の三択だろう。


 ひとつ。熾が大輝を騙した。

 ふたつ。熾は真実のつもりで語っていたが事実とは異なっていた。

 みっつ。熾も知らない内に結界が破壊され機能を失った。


 とはいえひとつ目は除外していいだろう。

 憂も同じだが熾にしても、そんな嘘を大輝に教えるメリットが、どう考えたってひとつもない。嘘であっても構わないほど無意味だ。

 せめて大輝に魔力があるなら多少の牽制にはなっただろうが、感知もできなければ術の対象にもならない結界など、はっきり言ってあろうがなかろうが大輝には同じことだ。


 まあ、しいて挙げれば《大輝が外部の魔術師を手引きしないようにする》という意味はあるかもしれないが。

 そもそも魔術師の知り合いなどいなかった大輝にその予防線を張る意味は薄い。

 そしてなんなら今、聞いた上で普通に手引きしている。除外して構わない。


「その結界って、壊そうと思えば壊せるものなのか?」


 そう訊ねてみた大輝に、憂は口をへの字にした。


「いやー、少なくともあたしレベルじゃ逆立ちしたって到底無理っスね。どういう原理で動いてるかもわからない結界なんて、手の出しようがないっスよ。というか正直、有無を見分けるのすら無理っス。結界がある、と言われているからその前提で動いてただけで」

「憂のレベルがよくわからないが……どの程度の無理さなんだ?」

「ほとんど不可能に近い級っス。結界だけを的確に壊そうと思ったら、たぶん鳴見熾でも渡会一也でも無理っスね。律戒りっかいからスペシャリストを複数呼んで長期間かければ、ギリで行けるかもとか、そういうレベルっス。だから実在から疑ってるわけで」

「ん……いや、ちょっと待ってくれ。ならどうして憂に《ない》ってことがわかる?」

「あたしは普通に試したっスから、自分の体で。そんだけの話っス」

「……試した?」

「え、当然じゃないっスか。この世界、フリーで生きるなら情報は命綱っスよ」

「…………」


 今さらながら、愛子憂という女に力を借りるのも諸刃の剣だな、と大輝は思い直す。

 気のいい態度に油断していたら、簡単に裏切られて足元を掬われるだろう。


 しかし。

 もしもその結界が初めから存在しなかったのであれば、それは熾の周囲にいる誰かが意図して彼女を騙したことになる。

 少なくとも、その可能性は浮上してくる。


 いや。むしろもう、それを前提にして動いたほうがいいのかもしれない。

 少なくとも《追放連盟》は、明白に鳴見熾という魔術師の少女を目的にしていた。


 いろいろと、厄介なことになっていそうだ。

 そのことを改めて自覚する大輝だが、いかんせん魔術師の事情には疎すぎる。

 少なくとも情報面から熾を手助けするのは、大輝ひとりでは難しい。


 ――だからこそ。

 こうして、熾自身にすら知らせず憂と接触を図るのは、意味のある行為だ。


「いや……言い訳かな」


 考えて、それから大輝はかぶりを振った。

 それは結果論だ。大輝が憂を呼んだ理由は、今回ばかりは自分の事情だったから。

 小さく自重するよううな大輝の言葉に、目の前の憂が首を傾げる。


「大ちゃん?」

「いや、なんでも――……待て、その呼び方なんだ」

「愛称っスけど」

「やめてくれ」

「えー、じゃあ仕方ない、ダーリンで手を打っておくっス」

「それもやめろ」

「うぅ……呼び出されていいように使われるのに、手酷い対応でおねーさん悲しい……」


 人選を誤っている気がしてくるが、憂以外の伝手などないので仕方がない。

 かぶりを振る。憂の妄言にいちいち反応していては時間の無駄だ。


「そろそろ本題に入る。憂に依頼したいのは、まあ……言ってみれば仲介だな」

「仲介……? 運び屋さんに頼む仕事じゃないような気がするっスけどね」


 そういう憂だが、口元はうっすらと笑っている。

 少なくとも興味は引けているだろう。でなければおそらく、そもそも来ない。


「会いたい奴がいるんだが、ひとりで会いに行くには危険だからさ。そのための保険だ。言ってみれば、俺を話の場まで安全に運んで、かつ安全に家まで運び返してほしい」

「言葉遊びじゃないっスか……実質、要は護衛ってわけっスね」

「いや、できれば場そのものもセッティングしてほしい」

「もはや《運び》に掠ってすらいない!」

「駄目か?」

「さて、そこは報酬次第って感じっスけどね。あたしは融通の利く女っスから。とはいえそう何度もタダで、都合よく使われてあげるほど甘くはないっスよ?」

「それはそうだろうが……憂だって、オレに金がないことくらいわかって来てるだろ」

「デートのお誘いだと思ってたからっスよ」


 嘘つけよ。

 と普通に思ったが、まあ否定できる論拠は確かにない。


「依頼があるって流れで呼んだはずだけどな……」

「照れ隠しかと」

「ああ言えばこう言う……」

「デートなら対価はいらないっスからね。なんなら、おねーさんが奢ってあげてもいいと思うくらいっス。コーヒー代にしろ、ホテル代にしろね」

「そんなご休憩はしない」

「ダーリンになら、カラダはタダというわけっス」

「お前ホントなんなの?」

「あ、でもタダで抱かれるのは一回目だけっスよ! 遊びはワンナイトまでっス。あたし二回目以降は本気と見るタイプっスから!」

「もう嫌だコイツ……」

「でも、仕事は別っスよ。あまり舐められるわけにもいかないっスからね。対価は払ってもらわないと、あたしは大輝に肩入れできないっス」

「…………」

「舐める側なら考えるっスけど」

「どうして絶対に言わなくてもいいこと言う?」

「えっ、いや反応が面白いから……カラダは正直っスね大輝!」


 最後だけ素で答えられたような気がして、ちょっと落ち込みたくなる大輝だった。

 とはいえまあ、今回も対価については一応、考えてきている。

 憂が決して情に絆されるタイプではないことくらい、大輝だって理解できていた。


「まあ、知っての通り金はないからな。今回も対価は情報だ」

「そう来るとは思ってたっスけど。まだ何か隠し玉があるんスか?」


 大輝の正体――異世界経験者であるという事実――については憂ももう知っている。

 また結界がないと聞かされた以上、熾をけしかけるような真似も封じられている。

 その大輝に、まだ払えるものがあるのかと確認するのは、憂の立場からすれば当然だ。


 だから、大輝は答えた。


「――いや、わからん」

「はい……?」

「そこにどういう秘密があるのか、オレも会ってみるまでわからないんだ。だから今回はもしかしたら、憂にとってはなんの価値もないことなのかもしれない」

「……会う相手が何かしらの秘密を持っていると?」

「どうかな……会う相手が何かしらの秘密である、のほうが近いような気もする。だからオレから提示できるのは、その話し合いにって条件だったんだが」

「へぇ……なかなか、また大きく出たっスね」

「そうだな。今回は断られても仕方がないと――ちょっと思わなくもない」

「うはは、よく言う。――そういう生意気、おねーさんそんなに嫌いじゃないっスけど」


 生意気、と憂が評した辺り、自分の考えがそう的を外していなかったのだと大輝は確信した。

 ならばここで彼女と会った意味は、半分ほど満たされたと言えるだろう。


 ――要するに、これは愛子憂が《黒須大輝》をどう評価しているか、という問題だ。


 決して小さくない関心を向けられていることは間違いない。

 あくまで一般人に過ぎない黒須大輝に、わざわざ連絡先を伝え、こんな呼び出しに応じている時点でそれは確かだ。

 その理由が人格に対する好意などではないことくらい大輝だってわかっている。


 無論、最大の理由は、黒須大輝が異世界経験者であるからだろう。

 そして同時に、大輝にとってひとつ大きな疑問が、その部分に隠されていた。


 ――確かにオレは異世界経験者だけど、


 そう大輝は疑問する。

 そんな背景に憂が特別な興味を抱くとは、とても思えないのだ。そんなことは憂の人生に何も関係しないし、またなんの利用価値もない。

 けれどただの好奇心で片づかない程度には、肩入れされているとも思う。


 逆に、異世界経験者であるということ以外に、憂が大輝に関心を持つ理由もない。

 ならば答えはひとつだ。


 ――愛子憂には、まだ口にしていない、異世界経験者へ興味を向ける理由がある。


 思えば渡会一也と戦うとき、彼女を口説き落とした際の反応も妙だった。

 それが何かは知る由もないが、憂には何かしら大輝を気にかける理由があるのだ。


「誰と会って、何を話すか次第っスかね。そこを明かしてもらわないことには」


 事実、憂はそう言った。確かに当然の要求ではある。

 だがそれは条件次第で大輝の提案を受けるという意味だ。大輝の疑念も確信に変わる。


 なにせ大輝は、これから誰かに会いに行って、そこで秘密の話をする――ということをもう憂に伝えてしまっている。

 それを憂が知ったという時点で状況は変わっているのだ。


 これは、なんの情報にもなっていないようで、決してそうではない。

 少なくとも憂ならば、それを知った時点で盗み聞きする手段がいくらでも選べる。憂の能力ならば、隠れて話を聞くくらいはわけないだろう。

 大輝の言葉は、要約すれば《それくらいなら初めから同席して構わない》というだけの提案であり、かつ《そうしないとオレが死ぬかもしれないからね》という念押しになる。


 自分の身を情報ごと盾に取った脅迫、とも言い換えられるだろう。

 どうせ知りたいなら、最初からオレのことを守っておくがスムーズだ、と大輝は言っているに過ぎないのだから。

 断られる可能性を、だから大輝もそれなりに覚悟していた。


「会うのは……まあ、なんというか、昔の知り合いみたいな奴だ」


 ゆえに、これは大輝としても危なめの橋を渡る賭けだ。

 交渉である以上、嘘は言えない。だが勘違いするよう言い回しで仕向けられる。


「……昔の?」

「ああ。もう会うことはないと思ってた顔を見てさ。話がしたいんだけど、どうやら熾のほうと何やらあるらしくて。詳しい事情は知らないけど、一度もう敵対してるんだ」

「なるほど、それでひとりで」

「ああ。……どうだ?」


 しばしの間。それから憂は、ふと表情を崩して大輝に言った。


「……わかったっス。そういうコトなら、引き受けても構わないっスよ」

「そうか、それは助かる」

「あっはは。まあキミの度胸に免じてってトコっスかね、うん。確かにキミには、生きていてもらうほうがいろいろよさそうっスし。都合よく使われてあげようじゃないっスか」

「…………」


 少なくとも交渉の勘どころは、見抜かれた上で乗ってくれたようだが。

 とはいえ、今回の目的は憂に依頼を請けてもらうことよりも、憂がこの依頼を請けるか否かを確かめること自体のほうが重要ではあった。

 ならば、戦果としては上々だろう。

 場合によっては、憂が興味を持たないでくれたほうが幸運だった可能性もあるが。


「で? いつどこで誰と会うんスか」


 話を進める憂に、大輝はあっさり答える。


「さあ?」

「えー……」

「連絡を取る手段すらないし、なんならそこから任せたいんだよ。さっき言ったろ?」

「いや、そのレベルとは思ってなかったっスから! どんだけこっち任せ!?」

「なんか憂なら、どうにかできそうだなって」

「……なんか知らんスけど、大輝ってあたしに対する評価やけに高くないっスか?」

「前に言ったろ、高く買うって」

「カラダをね」

「そうは言ってねえよ」

「なはは、まあいいっスけど」


 あんまりよくはない気がしたが、楽しげな憂にこれ以上、突っ込む気力はなかった。

 大輝は小さく息をつく。そんな様子に目を細めつつ、憂は言う。


「とはいえ実際。本当にどこの誰かもわからない相手なんてさすがに探せないっスよ」

「まあ、この近くにいることは間違いないんだ。それに所属はわかってる」

「所属? へえ……どこぞの組織の人間、ってことっスか」

「ああ。なんでも、追放連盟っていうらしいが」

「――なんスって?」


 ことのほか、憂が大きく驚きの反応をしたことに大輝は面食らう。


「あ……なんか、ヤバすぎるからやっぱ関わりたくないとかか?」

「……まあ確かにヤバい連中っスけど。や、そういうことじゃなくて。大輝、追放連盟とコトを構えたってことっスか? それもつい最近、この辺りで」

「最近っつーか、なんなら今日なんだが……何かおかしいのか?」

「…………」

「憂?」


 目を細める憂に、大輝は問う。それからしばらくして。

 彼女は小さくかぶりを振ってから、ゆっくりと大輝にこう告げた。




「追放連盟は、少し前にと聞いてるっス」

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異世界帰りの英雄曰く 涼暮皐 @kuroshira

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