2-08『追放連盟』1

「まあ、防御はこんなもんかなー」


 という鳴見なるみおきの言葉を聞いたところで、もちろん黒須くろす大輝だいきには変化がわからない。


「あー……お疲れ」

「ん。それはいいけど、でもなんか微妙な顔じゃない?」


 わかっていなさが顔に出たのか、熾にそんな指摘をされる大輝。


 ――ふたりは今、とあるマンションの一室にいる。

 雪丸ゆきまるいつきから宛がわれた、ここが大輝の秘密基地になるというわけだ。

 もともと目指していた場所である。単に向かう途中で、襲撃を受けてしまったというだけの話。

 あれから本来の目的に戻って、今は熾が防御の魔術を部屋に敷いているという状況だった。


「いやまあ、必要なことだってのはわかってるんだけどさ。やっぱ実感なくて」

「そうなんだ? 大輝なら雰囲気くらいはわかりそうなものだけど」


 魔力――というものを自前で持っていれば何か違ったのかもしれないが、異世界にいた頃でさえ大輝の魔力は聖剣由来のものだけだった。

 魔法/魔術の適性が基本的にはない。


 たとえば先日、神社の境内で《魔法師殺し》の魔物と戦ったときのように、魔力がないことがプラスに働く場面もゼロではないものの、それはレアケース。

 察知できるに越したことはないのだが、持ち前の魔力がない大輝にはそれが基本的には難しかった。


「前は結界の気配に気がついてたよね?」

「まあ、というか体調不良になったりはしてたけど」


 以前のことを思い出して告げる熾に、大輝は苦い表情だ。続けて語る。


「害のあるものだとわかるのかも」

「……かもね。それと、あとはたぶん《異世界に縁がある気配》にも気づくんだと思う」

「うん?」

「ほら、前のとき。大輝は私より早く路地裏の陣や、神社の気配に気づいたじゃん。アレ要はそういうことだと思うんだよね。自分に縁があるものだから察知できた」

「ああ……」

「そういやスルーしちゃってたとはいえ、冷静に考えればそれも謎なんだけど。異世界にいたときはどうだったの?」


 熾の問いに、少し考え込んでから大輝は答えた。


「……考えてみると微妙だな。向こうだと、魔力を持たない人間のほうが確か珍しかったはずだし。見ただけで相手が魔法師かどうか見抜くのは、そういう意味では無理だった」

「改めて聞くと恐ろしいな、異世界……全人類魔力持ちとか」

「どうかな。偏りがあるのもそれはそれで怖いけど……それはともかく。オレには聖剣の加護があったから、魔王の眷属は察知できたな。聖剣が倒すべき敵を伝える的なね」

「はあ……魔王の眷属ねえ。たとえば?」

「たとえを訊かれても困るけど。まあ、それこそ魔物とか」

「なるほど、それか。路地裏にも境内にも魔物がいたから気配を察知できたってことね」


 納得したように頷く熾だったが、大輝には疑問があった。


「どうかな……もうオレは聖剣を持ってないわけだし。あんまり実感はないけど」

「後遺症っていうか、まあ影響の残り香でしょ、それは。なんであれ触れれば染まるっていうのは鉄則、っていうか真理みたいなものだし。肉体が引きずられたんじゃない?」

「うーん……」


 そう言われればそういうものか、と納得しないでもないのだが。

 しかし大輝は思う。自分は、いわゆる生身でそのまま異世界に行った――とは必ずしも限らない、ということを。

 なにせ戻って来たときには、肉体は若返っていたからだ。

 まあだったら異世界むこうでの肉体はなんだったのかという話になるため、答えなど出ないのだが。


 何よりここが大輝の出身とは異なる並行世界、違う地球であるとするなら、今の肉体がそもそも自分のものではない――自分ではない黒須大輝のものだという可能性もある。

 というか、大輝はそう考えている。


 だとすれば自分は、たとえるならば魂だけで世界を行き来しているような状態だったということなのか。

 それで、聖剣が持っていた能力を、引き継いだりするものなのか。


「なあ、熾。精神とか魂を、肉体から引き剥がすような魔術ってあるのか?」

「……そもそも大輝、精神や魂がなんなのかわかって訊いてる?」

「そう前置かれるということはわかってないんだろう、ということなら今わかった」

「あはは……、まあ仕方ないけどさ。大輝は魔術系の知識ないんだし」

「で、質問の答えは?」

「うーん……難しいな。あんまりメジャーではないよね。少なくとも私がやろうと思えばちょっと方法が思いつかない。ただまあ定義上、不可能じゃないことは断言できる」

「定義上?」

「魔術ってそもそも最終目標が《万能》だからね。机上の空論でいいなら、できないことなんて存在しない。神様級の天才が無限のリソースを持っていれば、って前提でだけど」

「あー……つまり現実的には不可能ってことか」

「それもどうかなあ……。結局のところ魔術って適性が強くモノを言うからさ。そういう魔術を得意とする人間がどこかにいる可能性は普通にある。だから難しいって言ったの。実際、大輝だって見たでしょ? 大して才能もないのに、異世界へ道を作った男を」

「……渡会わたらい空也くうやか」


 敵ではあったが、目の前で死んだ男を思い出せば少し表情も曇る。


 大輝は、渡会空也にはそれなりに同情的だ。

 そして、その理由の一端にという前提があることにも自覚的であった。

 死者にはもう何もできない。――どちらの意味であってもだ。

 死者ができることも、死者に対してできることも。どちらも存在などしない。

 悼むくらいがせいぜいで、だからこそ、同情なんて余分な感傷を持つ余裕があるのだ。


 ただ、気持ちは察せる気がした。

 地球という世界では持たざる者であるからこそ。

 いや、あるいは異世界において、聖剣という外付けの才能を持たされた勇者だったからこそ――大輝には思うところがあった。


「……今思うと、もう少し話してみたかった相手だな」

「そう? 取り立てて得るものもなさそうだけどな。他人が再現できる術式ってわけじゃなさそうだったし」


 一方で熾に同情はない。それは渡会空也がすでに死者だから

 鳴見熾に――魔女にそんな機能はない。


 生来の魔術特性である《接続》によって、熾は大輝以上に渡会空也を知っている。

 赤の魔眼で繋がるとはそういう行為だ。意識が引っ張られて同情的になってもおかしくない。

 だが、こと鳴見熾という少女にその心配はなかった。


 その魂魄に純黒の呪いを秘める少女の心は、何と繋がっても染まらない――。


「まあ確かに、大輝をもう一回また異世界に送るなんてコト、できる可能性があったのは渡会空也くらいだろうけど。そういう意味では父親より稀有な才能、持ってたのかも」


 とはいえそれも、この街に大輝がいたから――という大前提あっての成果であり、本来なら生涯を懸けても成就しない研鑽ではあったのだろうが。

 偶然であれ、成果は成果に違いない。大輝の血を術式に受けたこと自体、執念の結果と呼べる。


「オレだけ異世界に戻っても、それだけじゃ片手落ちなんだよな」

「……だからって、本当にいたかもわからない《元の大輝》に全てを返すなんて、どんな魔術でも無理だと思うよ。もう諦めて、普通に暮らしてくほうがいいと思うけどな……」


 大輝の話の着地点を予測して、熾は目を細める。

 あまりに気負いすぎだというのが、正直な熾の本心である。

 ここが並行世界、もともといた別の黒須大輝の居場所を奪ってしまった――そんな不確かなことのために、自分から居場所を捨てようとするなど。

 そうじゃないかもしれないし、そうだったところでどうしようもないかもしれない。

 そちらの可能性を見て取るほうが普通だと、少なくとも熾は思うのだ。


 ――それとも。

 あるいは大輝は本当は、ここではない異世界に未練があるのか――。


「……さーて。私はもう行くね」


 思考を途中で打ち切って、熾はそう言った。

 それ以上のコトはあまり考えたくない。


「帰るのか?」


 訊ねる大輝に、肩を竦めて応じる。


「帰るっていうか……まあ今後の対策とか情報収集とかね。雪丸さんにもいろいろ確認を取っておきたいし、二度目の襲撃を予測するなら受け身でばっかりいられないから」

「まあ、そりゃそうか……」

「……てか、おかしいんだよなどうもー……。街の結界をこんなに簡単に潜られっぱってどういうことだろ。やっぱ権限委託レンタルにちょっと無理あったかな……あ、大輝どうする?」

「ん? んー……まあ何もなきゃ普通に帰るけど」

「そっか。まあそうだね……できればこっちに泊まるほうが安全な気はするけど、そこは任せる。しばらく別行動してよっか。何か進展あったら連絡するね」

「ああ、了解」


 それだけを大輝は答えた。

 熾は頷いて「それじゃあまたね」と先に部屋を出ていった。

 鍵は大輝が持っているから、家族に言い訳さえつくのなら、確かにこのままこの部屋に留まっていてもいいだろう。


 ――だが大輝には実のところ目的があった。


 別に嘘を言った、とは思っていない。

 何もなければ帰るとは言ったが、それは何かあるから帰らないこととは矛盾しない。ただ大輝はこのとき、意図して熾に情報を伏せた。


 無論、――それはあのビルで出会った少女のこと。


 大輝はそのときの顛末を熾に語っていない。

 考えた末に隠すことを決めたのだ。


 なぜか。


 別に熾に教えたくなかったから、というわけではなかった。

 本当は普通に伝えるつもりだったのだが、ある事情から避けたほうがいいと考えを改めることになったのだ。

 その必要が出てきた、と言い換えてもいい。


 熾が去ってからしばらく、大輝は部屋を出て、それからスマホを取り出した。

 道を歩きながら、以前知ったある番号へ通話をかける。

 数度のコール音が響いたあと、


「もしもし。――今ちょっといいか?」

『おや、これは意外っスね。まさかキミのほうから連絡貰えるなんて』

「そうだな……正直、俺もかけることになるとは思ってなかった」

『なんスか、名刺をあげた甲斐のない。いや? それでもってことは、さてはキミ――』


 と。

 電話の向こうで、運び屋の女は実に愉快そうに。


『えっちなおねーさんが恋しくて、むらむらしてきちゃったってコトっスか?』


 大輝は答えた。


「次に下ネタ言ったら切る」

『……、本当に切られそうだから自重するっスわ。で?』


 もちろん、特に応えた様子もなく。

 ――愛子あいこうれいは大輝に訊ねた。




『ご依頼、ってことでいいんスかね?』

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