第4話「ださくて、みっともなくて、くそみたいな」
「んなわけねーこと、ねーよ」
いつもの陽気さを押し込め、成人を待つ十七歳の男の色が、その瞳に映る。
「……は、」
「ずっと思ってたけど、何でトミセンって、自分のこと悪く言うの?」
素直さが、
真正面から交わす視線に、途端に
「そりゃそうだろ……こんないい加減な教師、俺以外に見たことねーよ」
奔放と言えば聞こえはいいが、それが許される職業ではない。
「まあ、職員室にはいないし、ヒゲも剃ってないし、だっさいジャージ着てるし、年中ボロッボロのスリッパだし、つか、授業中は
チクチクと、小さな棘をあちこちに刺し込まれている気分になってきた。
わざと装ったものであるのに、他者から聞かされると、随分と野蛮な人間に思えてくる。
「……ほらみろ」
「でも、いい先生だよ、トミセンは」
「……ッ、いい加減にしろ、
黙らせる意図を含ませ、睨みつけると、思わず、ぐっと喉を鳴らした古河が、口を閉じる。
しかし、そろそろと
「な、んで、そういう言い方すんの……」
「うるせーな……お前には、一生わかんねーよ」
「何だよ、それっ」
突き放すような言い方を選ぶと、古河が食い下がるように身を乗り出した。
諦めの悪い、要領の悪い、その仕草に、無性に
「……そんなに聞きたきゃ、教えてやる」
滑り出した言葉を、必死で止める声が、聞こえる。
足を床にしっかりと着け、少しだけ前屈み、手を組んだ。
諭すような眼差しで古河を見つめ、けれど、見てくれるなと理不尽な臆病さが顔を出す。
「――俺な、男が好きなんだ」
古河の瞳孔が僅かに開いたのが見えた。
止めておけ、と、やはり聞こえる。
「お前くらいの歳の頃には、とっくに自覚してた。絶対に隠さないといけないって、本能で理解してて、誰にも言えなかった。でも、好奇心には抗えなくて、男同士の色恋全部、夜の街で学んで、すっかり倫理観も下半身もユルユルで」
そんな場合ではないのに、妙に懐かしく思った。
「それでも、いっこだけ。教師になりたいって夢だけは、俺ん中で、唯一綺麗なもんとして残ってて。だから、必死にフツーの人間装って、それなりに真面目にやってたのに、先輩の教師とそういうこと致しちゃって。それがPTAにバレて、他の先生にも知られて、そこそこデカい騒ぎになって。責任取らなきゃ、って段になった時、相手が全部、引っ
目の奥なのか、鼻の奥なのか、喉の奥なのか、わからないところが、ジン、と
「……全部その人に持ってかれて。俺は、そん時に初めて、その人のこと本気で好きだったって自覚するよーな、馬鹿野郎で。せめて、その人に生かしてもらったこの世界で生きていくことが
息を吸い込み、細く、ゆっくり、紡ぐように、吐き出した。
「……ほら、喋ったぞ。わかったら、こんな人生終わったオッサンのことなんか放って、さっさと帰ってクソして寝ろ。――じゃあな」
くるり、と椅子を回転させ、古河に背を向ける。
後ろで、古河が立ち上がった気配がする。
そのまま立ち去り、二度と来なければいい。
それがきっと、正しい。
しかし、俺の椅子の背もたれが強く掴まれ、刹那、ひやっとしたものが背筋に流れる程、急激に引かれた。
「――……ッじゃねえよ!」
「は……?」
「あんたは人生終わったオッサンじゃねーよ!」
「……!」
「何勝手に終わらせてんだよ、ばっかじゃねーのっ」
「古――」
「あんたがゲイだとか、問題起こした教師だとか、そんなんどーでもいいわ! 過去の話なんか知らねーし、俺はこの学校でのあんたしか知らねーし、つか、ぶっちゃけ難しいことはわかんねーんだけど! 俺にとっちゃ、あんたは、いい先生なんだよッ」
「…………」
「ていうか、何で好きな相手に償いとか、そんな話になるんだよ……向こうもあんたが好きで、恰好つけたかっただけだろ? 守りたかっただけだろ? そんなら、ただ、ありがとーって言えばいいだけなんじゃねーの?」
「……っ」
古河が、そこで言葉を切り、眉間に皺を寄せたまま首を傾げた。
「俺さ、今わかった。あんた俺の相談ずっと乗っててくれたけど……絶対、俺より恋愛偏差値低いよな。しょーがねーから、次は俺が相談乗ってやってもいいぜ、トミセン?」
「――はっ」
息が、笑いとともに零れた。
「とりあえず、電話でも何でもして、ありがとーって言うところから始めようぜ、な」
それがいい、と一人納得している古河の前で、腹を抱えた。
「ふっ、くく……っ」
「あ、笑ってるし! 何だよもー……」
「ばっかやろー、笑ってんじゃねーよ」
泣いてんだよ、あほ。
だって、そうだろう。
俺が何年も
一回り以上も離れた子供に、――救われるなんて。
勘弁してくれよ。
嬉し過ぎて、
泣けてくるじゃねえか。
なあ、古河。
生まれて初めて、神様に感謝したい気分だ。
「、ふ」
ゆっくりと身体を起こし、幸福を運んで来た男を見つめる。
相変わらず、目が焼ける程に眩しい。
「あんまり調子に乗ってんじゃねーぞ、童貞」
「どっ……! ……なあ、トミセン。付き合ってどれくらいで、そういう雰囲気になるわけ?」
「ぶはっ」
「わ、笑うなよ」
「ばぁーか。お前が雰囲気を作るんだろうが」
「そ、そっか」
「まあ、とりあえず、お前は告白成功させて、お手て繋ぐところから丁寧に始めろや」
「う、……お、おう」
「――
「当たり前だろ。あんたみたいな、いい加減なのとは違うの、俺は」
「言うじゃねえか。告白のタイミング教えてやんねーぞ」
「嘘うそ、トミセンめっちゃ愛してる!」
「うるせーわ。ほら、それは今度教えてやるから、今日はもう帰れ」
「へーい」
しっしっと追いやる俺の手の動きに合わせて、立ち上がり、扉に手をかけた古河が、何かを思い出したような声を出してから、振り返った。
「あ、トミセン」
「ん?」
「ちょっと早いけど、俺、進路決めたぜ。トミセンみたいな、いい加減でイカした“先生”目指すわ!」
「――は」
「じゃ、またその辺の相談にも乗ってくれよ。じゃーな」
ガラガラ、と大きな音を立てて、扉が閉まる。
突然に隔てられたそれに、今はもう虚しさは感じない。
俺はじわじわと湧き出る笑いに、腰が震えるのを感じながら、目尻に浮かんだ涙を、誰に見られるでもないのに誤魔化すように拭った。
全く、お前ってやつは。
「とっくにイカした男だよ」
焦がれて、胸が抉れる程。
妬ましく、脳が焼ける程。
俺は
震えた指先が、時間とともに埋もれたナンバーをコールする。
携帯を握る手に、汗が
開いた窓から、グラウンドで駆ける生徒の声が響く。
そこから差し込む陽射しが、まるで道標のようで。
コール音が、止んだ。
懐かしい口調で、驚く。
「――――お久しぶりです、
瞬間、頬を伝ったのは、きっと汗に違いないと。
そう思いながら、俺は両手で携帯を握り締めた。
「……はい、聞いてください。俺が出会った、教え子の話を」
窓から、涼しい風が吹き込んだ。
了
赤茶色に明ける。 朝貴 @asaki1990
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