第3話「サイコパスか何かか?」



 バリバリ、むしゃむしゃ。


 複雑な音階が和音になって、いっそ鬱陶うっとうしい騒音と化している。



 しばらく黙っていたが、俺のこめかみに青筋が浮かぶ。


「だーっ! うるっせ……ッ」


 両手の拳をテーブルに叩きつける。


「うわ、びっくりした。どうしたの、トミセン」


「どうしたの、じゃねーんだよ! お前さっきから、バリバリ、むしゃむしゃと……」


 わなわなとしながら振り向くと、合点がいったような様子で、古河こがが手にしていたスナック菓子の袋の口をこちらに向けた。


「あ、トミセンも食う?」


 三本くらい立っていた青筋の一本が切れた気がする。


「食わねーよ。何なんだお前は、俺の平穏をおびやかすサイコパスか何かか?」


 いっそそうだと言ってくれたなら、情け容赦ない対処を考えてやるのに。



 ちっ、と舌打ちしてから、火の点いていない煙草をくわえる。


「あれ、吸わねーの?」


「放っておけ」


「ふーん、まあいいや。なあ、トミセン」


 古河が指についたカスを唇で舐めながら呼びかけた。


「だから、富岡とみおか先生と呼べと……」


 思わず力が入ったせいで、口の端に寄せていた煙草が、へしゃり、となった。


「相談なんだけどさ」


「それは当然この間の惨憺さんたんたる期末についての相談だろうな?」


 キョトン、とした顔をしている時点で、そうでないことは返事を待たずともわかった。


 俺は苛立ちを押し込め、後ろ髪を力任せに乱す。


「――っだよ、さっさと言え」


 すると、ぱっと表情を華やがせた古河が、袋を放って、足の力でキャスターを転がし、身体を近づけた。


 う、と息を呑むと、相変わらず、世界の醜さなど目にしたこともないような瞳の輝きで俺を見つめる。


「あのさ、あのさ。花火大会、亜美あみちゃんと行けることになったんだけどさ!」


「……へえ」


「どのタイミングで告白したらいいと思う?」


「くっ……だらねぇ……」


 思わず、呆れた声が漏れた。


 空いた口から、煙草が零れ落ちる。


「くだらなくねーよ! こ、告白の内容は……自分で考えるからさ、その、せめて、タイミングだけでもアドバイスくれよ」


 この期に及んで、少しだけ恥ずかしそうに身を縮める姿に、軽い頭痛がする。


 論点は既にそこじゃない。


 俺は何と言ったものかと思いながら、深く座り直し、背もたれに、ぐったりと身体を預けた。






 勘弁してほしい。



 幼稚で、ばかばかしくて、どうしようもなく優しい相談事。







 応えたくなってしまう。



 あの日、あの時、全部、置いて、捨てて、失くしてきたはずなのに。












 初心うぶで、ばかばかしい、どうしようもないあの頃の自分に、








 戻りたくなってしまう。

 










 そんな資格は、とうに、ないのに。








 だから、


「……なあ、お前さ、何で俺に相談してくんの?」


 やめてくれ。



「え?」


「他にもいっぱい、職員室に行きゃ、それこそたくさん、先生いるじゃねえか。何でわざわざ、こっち来んの」


 やめてくれよ。



「だって……トミセンが一番、いい先生だから」


 聞こえた言葉に、心臓が、鳴いた。



「……ッ、んな、わけ、ねーだろ……!」


 込み上げた感情がそのまま噴出するように、悲鳴じみた怒鳴り声が出た。


 そのことに、目の前で驚く古河よりも、ずっと俺が驚いた。



 刹那、脳が冷えた。


 は、と音にもならない吐息が漏れて、全身の感覚が冴えていくのを感じる。


「……悪い」


 俯いた拍子にちらつく前髪を引っ掴み、片手で視界を覆った。


 これまで誰にも暴かれたことなどないのに。


 頭の奥底、心臓の最奥、自分でも容易には見ることが叶わない領域に、押し込め、頑丈に鍵をして封鎖したはずなのに。


 どうしてこんなにも、揺さ振り、乱されるのか。


 容赦なくノックされ、無理やり鍵を壊して、引きり出される。



 一体、お前は、何なんだ。



「んなわけねーこと、ねーよ」


 否定を重ねた、肯定に、俺の顔まで引き上げられた。


 見えた瞳が、やけに落ち着いた色をしていたことに、俺は緊張の固唾を呑み、息を殺した。








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