群青日和

清野勝寛

本文

群青日和



「あたし、卒業したら東京に行くわ」


 学校帰り、幼馴染の藍子がそう言った。俺はそれにおぅ、と短く返す。

聞き慣れた潮騒が鬱陶しい。

 最後の大会を一回戦で負けた野球部の三年は、感傷に浸ることもなく部活を引退し、テスト勉強に明け暮れる。俺のことである。

「何、もうちょっと何かないわけ? 俺、お前が寂しくないように毎月手紙を送るよ……! とか、行くな……実は俺、お前のことずっと……! みたいなさぁ」

 藍子はムッとした表情で俺の顔を覗き込んでくる。そんなこと言われてもなぁと思いつつ、わりぃとだけ答えた。

 藍子とは生まれた時から家族ぐるみの付き合いだが、中学に入って俺が部活を始めた辺りから、俺と藍子自体は疎遠になった。だから、こうやって何年かぶりに一緒に帰ろうなんて突然言われて、その帰り道に突然そんなことを告げられても、イマイチピンとこないというのが正直な気持ちだ。

「東京に行ってなにするんだーとか、お金はどうするんだーとか……」

 まだ言っている。話したければ勝手に話せばいいのに。仕方なく、今本人の口から出た質問を投げかけることにした。

「……東京に行って、何すんの?」

「ふふん。実はさ、絵をね、描きたいなって。で、バイトしてお金溜めてさ、個展とかやんの」

 待ってましたと言わんばかりの早口で藍子は自分の夢を語る。絵を描いてるところなんて一度も見たことがないが、そう言うからには多少の絵心は弁えているのだろうか。

「ふーん……そっか。……まぁ、頑張れ」

 夢なんて、小学生の時に諦めた。それでも、好きなことに変わりはなくて、高校まで部活を続けた。で、最後の結果は一回戦敗退。分かっていたことだった。周りのみんなは泣いていたが、涙なんてでなかった。少しでも勝てると思っていたのだろうか。もしかしたらなんて、幻想を抱いていたのだろうか。現実はそんなに甘くない。たいした努力もしていないのに、もしかしたらとか、何故夢を語れるのだろうか。

……こんなこと考えているヤツがいたせいで、勝てなかったのかもしれないな。

「……初めて……れた」

 軽い自己嫌悪まで辿り着いたところで、藍子が何か呟いた。聞き取れなかったので、聞き返す。

「なんだって?」

「初めて言われた。頑張れって」

 俯きながら、藍子はそう言った。黒い髪が表情を隠している。波の調子に合わせるように、藍子はぽつぽつと呟いた。

「みんな言うんだ。もう大人になるんだからとか、せめて将来仕事になるようなことが学べる大学に行けとかさ。後は、馬鹿なこと言ってないで仕事してお金溜めて、親孝行しろとも言われた。あたし、そんなことしたくてこれまで生きてきたわけじゃない。そりゃ、感謝してないわけじゃないけど、でも、それはあたしが夢を諦める理由にはならない」

 声が震えているような気がした。そんなこと気にすることなく、藍子は話し続ける。

「もちろん簡単に上手くいくだなんて思わない。一杯調べたもん。東京に行く必要があるのかだって分からない。今はSNSとかでやり取り出来るし、そうやって働いている人の話とかもライブ配信とかで聞けたから。でも、家にいたら多分、あたしは甘えちゃうから。だから、一人で挑戦してみたいんだ。……なのに、夢を見るなってみんな言う。そんなに変なことかな。何かに挑戦するって、夢を目指すことって、そんなに変なことなのかな。それじゃああたし、いつ夢を見ればよかったの。いつまで見ていてよかったの。いつ挑戦すればよかったの。いつ……諦めればよかったのかな。……なんて、考えちゃってさ」

 藍子の足が止まる。そしてそのまま海を見つめた。俺も、藍子の視線を追うように目の前に広がる海を眺めてみる。この町の海は、すっかり見慣れてしまったけれど、まぁ、綺麗な方だと思う。少しずつ赤く染まっていく空と海の藍色が水平線で重なって一つになっている。うん、きっと綺麗だ。俺の語彙じゃあこんな感想しか生まれないけど、きっと藍子だったら、色んな表現が出来るんじゃないだろうか。色んなことを思うんじゃないだろうか。そうでなければ、絵なんて描けないだろうし。

 藍子はこの景色を見て、何を思っているんだろう。

「……だから、頑張れって言ってくれて、嬉しかった。ありがとね」

 そんなに良い笑顔を向けられても困る。とりあえず言ってみただけだし。

「……急にしおらしくなんなよ。何言われたって自分のワガママばっかり押し通してたろ」

「む、失礼な。そんなことないでしょ」

 まぁ確かに。俺と藍子のやりとりなんて、小学生の頃の記憶だしなぁ。とはいえ、 あんまり変わってないような気もするが。

「……そこまで言ったんだ。寂しくなってすぐに帰ってくるなよ?」

「ならないよ! ……てか、そこは寂しくなったらいつでも連絡よこせよくらいは言って欲しいというか……」

 もごもごと何かをぼやく藍子を見て、思わず口元が緩む。

ほら、やっぱり変わっていない。

「……さっさと帰るぞ」

「え、あ、うん……!」


 歩き出した俺の隣に藍子が並ぶ。

 聞きなれた潮騒が、鬱陶しい。


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