童心回機
白木錘角
第1話
「なぁ、お前も一緒に遊ばねぇか?」
子供たちで溢れた賑やかな校庭。その中を何をするでもなくぶらついていた少年に突然声がかけられた。
そちらに顔を向けると、鼻の頭に擦り傷を作った少年が笑顔で立っていた。坊主頭の彼の肌は太陽によって真っ黒に焦げ、それによって着ているTシャツの白がより際立っている。
「あ、うん。いいけど……」
外見に違わない、ハキハキとした元気のよい喋りに圧倒され、よく考えないまま了承してしまう。返事を聞いた彼は一層嬉しそうに笑うと、いきなり少年の手を引いて走り出した。
「今ケイドロやってんだけどさ。逃げる側の人数が足りなくて困ってたんだよ。あ、俺はこうたっていうんだ。よろしくな!」
「僕はさとる……。えーと、ケイドロって?」
逃げる側、という事はおそらく鬼ごっこのような遊びなのだろうが、ケイドロなんて遊びは聞いたことが無い。
「お前知らないの? 逃げる側と追いかける側に分かれてさ。追いかける側は逃げる側を全員捕まえたら勝ち、逃げる側は捕まった仲間を助けたりして最後まで逃げきれれば勝ちってやつ」
「あ、ドロタンだよねそれ!」
それならさとるもやった事がある。
「おーい皆! こいつさとるっていうんだけどさ、一緒にケイドロやってくれるって」
校庭の真ん中には十数人程の子供が集まっていた。その中心に白い丸と四角形が描かれ、丸の中にはサッカーボールが置かれている。
集まっていた子供たちは全員さとるが見たことのない子だったが、皆、笑顔でさとるを迎え入れてくれた。
「じゃあさとるは逃げる側な。もし捕まっても、あの丸の中にあるボールを誰かが蹴ったらまた逃げられるから」
そのあたりもドロタンと同じらしい。
「それじゃあ……スタート!」
それからさとるは、時間を忘れてケイドロに熱中した。足の速い方ではないが、鬼がどう攻めてくるか、そしてそれをどう躱すかを考えるのはとても楽しい。
普段でも楽しいその時間を、こうたがさらに楽しくしてくれた。彼の足はとても速く、また勘も鋭い。こっそり忍び寄ってきた鬼にいち早くこうたが気づいた事で助けられた場面が何度もあった。彼がいるだけで、さとるが考える作戦の幅が幾通りにも広がり、思いもしなかった動きができる。2人はまさに無敵のコンビだった。
「よし、行くぞ!」
それは、もう日も暮れかかった遊びの最終盤。捕まった仲間を助けるためにこうたが鬼を引き付け、その隙にさとるがボールに向かって走る。こうたに気を取られていた鬼たちが慌てて戻ってくるがもう遅い。次の瞬間、ボールが高く蹴り上げられた。
それと同時に6時を告げる鐘が鳴る。遊びが終わる時間が来たのだ。
「よっしゃー!」
駆け寄ってきたこうたがさとるの頭を乱暴に撫でる。痛さに顔をしかめながらも、あふれ出る嬉しさにさとるはすぐ笑顔になった。
「今日は遊んでくれてありがと。次も遊ぼうよ」
「もちろん! 次も勝つぞ」
ぎゅっと手を握り、2人は分かれた。6時の鐘が鳴ったから家に帰らないといけない。
「あれ……? 家って……?」
不意にさとるが足を止めた。
(家ってどこにあったっけ? いや、それより……なんで鐘が鳴ったら帰らないといけないんだっけ?)
胸の内に差し込まれた違和感の正体を探ろうとしたその瞬間、さとるの意識は唐突にブラックアウトした。
(……ここは)
軽い駆動音と共に、視界に光が差し込んでくる。体をゆっくり起こすと、自分のかさついた、少し皺のある手が目に入った。
(あぁ、そうか。俺は確か大事な商談の前で……)
ふと横を見ると、おそらく自分が座っている物と同じ機械のフロントガラスが開き、中から太った中年の男が出てくる。
「ふぅー」
大きく息を吐きながら肩を回す男の腹は突き出ており、すっかり後退した生え際からは汗まみれだ。しかし、こちらを見る笑顔とハリのある声はあの時と何も変わらない。
「初めまして……といっても二回目ですな。『童心回機』担当部長の井中康太です」
「えぇ。あちらではお世話になりました、斎賀悟です。噂に違わぬ良いお人柄ですね。今日は良い話し合いができそうです」
井中の手を取って機械から立ち上がる。井中の案内で応接室に向かいながら、斎賀の口元には自然と笑みが浮かんでいた。
「いやー大成功でしたね。まさか10台まとめて買ってくれるなんて」
車を運転する井中の部下が陽気に言う。
「無理を言ってあれを使わせてもらった甲斐があったな。社長にはいい報告が出来そうだ」
そう言って井中は膨らんだ腹をさすって笑った。
実際、誰もが知る大企業、斎賀ホールディングスの社長が気に入ったとなれば件の装置―—「童心回機」にも箔がつくというものだ。
VRによって子供時代に戻ったかのような体験ができる童心回機は、大人になるにつれ生じる心理的な障壁を取り除き、相手と友好的な関係を築きやすくなるようにするための装置だ。「子供の頃は何も考えず、すぐに仲良くなれていたんですよね……」という井中の一言に着想を得た本製品は、今まで売り込みに行った会社のいずれからも高い評価を受けている。
「でも何で、わざわざ会社に出向いての売込みしかしていないんですか? 例えば会社の新人研修でお互いの仲を深めるのに使ったり、上司と部下のコミュニケーション手段にしたりっていろんな事ができるわけですし、一般に販売してもいいと思うんですけど」
「それは厳しいだろうな。子供時代を体験する前に、記憶の一時的な除去っていうリスキーな工程がある以上、定期メンテナンスは欠かせない。それ込みで値段をつけると中小企業は手を出せないだろう。それに、いくらAIがある程度お膳立てしてくれるとはいっても、どうしても相性が悪い人間ってのもいるからな。そういう奴らを無理やりくっつけたところで余計関係が悪くなるだけだ」
あとは、まぁ……、と井中が遠くを見る。
「あれを使っていると、今の生活が嫌になる時があるんだよ。何も考えないでただ遊んでいられた子供時代に戻りたい……ってな。だからしっかり自分を律する事の出来る人間しか扱えない代物なのさ、あれは」
「そういうもんですかね」
「そういうもんだよ」
それきり、井中は黙ってしまった。
(こいつには言えないわな。嫌になる時がある、じゃなくて人間、年をくうといっつもそんな事を考えるようになるだなんて)
ウキウキとした様子の若い部下を見ながら、若さという物は、本人が考える以上に価値のあるものだと、井中は思うのだった。
童心回機 白木錘角 @subtlemea2
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