番外編 二年後の二人
「蛙化現象、ですか?」
「そーそ。最近になって話題になったでしょ? 星夏ちゃんも共感するんじゃないかな?」
来月号の撮影の休憩中、暇なのかモデル仲間の彼女がスマホの画面を見せながら笑いかけて来る。
表示されている画像には、どこからかで調べられた『蛙化現象の一例』が纏められていた。
元の由来は童話から来ていて、好きだった異性が振り向いてくれた途端、相手に対して嫌悪感や苦手意識が出てしまう意味合いらしい。
それが最近では好きな相手や憧れの人のちょっと気になる行動を目にした瞬間、気持ちが冷める現象として扱われているみたいだ。
そのちょっと気になる行動っていうのが、怒られてる時とか自転車を必死に漕いでる姿とか、そういうのを目撃したら不快に思う人がいるんだとか。
「私もね、ちょっと良いかもって思ってたカメラマンさんと食事に行ったんだけど、注文したお盆持ったまま私を探すのを見てたらなんか萎えたんだよね~」
「へぇ~」
一通り画像に目を通したアタシを余所に、彼女は人差し指を立てながら自身の体験談を話す。
横でなんとなく相槌を打ってから、ふと脳裏に学生時代の元カレ達が過った。
あぁ、なるほど。
「なんか分かるかもです」
「やっぱり? ちなみに星夏ちゃんのはどんな時だった?」
「そんなつもりないのに、一緒に勉強しようって言ったらエッチするの期待された時ですね」
「そ、それは……蛙以前の話じゃない?」
困惑を隠せないでいる様子から、どうやら求められた共感とは違うらしい。
「高校の頃の話ですけどね。彼氏とはめちゃ仲良いですから」
「星夏ちゃんって彼氏と長いよね? 冷めちゃう時とかないの?」
「全然。むしろ些細なことで冷める方が変だなって思うくらいです」
自信満々に返すアタシの答えに、モデル仲間は頬を引き攣らせながら『そ、そう』とたじろいでいた。
何もアタシの惚気は今に始まったことではないので、これでもマシな反応だ。
「星夏さ~ん。次の撮影始めます」
「はーい」
話が終わったところでカメラマンさんに呼ばれた。
組まれたセットの前に立つと、幾つものカメラと照明が向けられる。
その衆目の中で、アタシはまっすぐ前を見つめながら佇む。
「──よろしくお願いします」
笑みを浮かべながら挨拶をして、撮影が始まる。
高校を卒業してから二年……アタシは今、読者モデルとして活動中だ。
========
「お疲れ様でしたー」
「お疲れ~」
撮影終了後、片付けをするスタッフさん達に挨拶をする。
アタシの言葉に皆が朗らかに返してくれる中、スーツを着た男性が歩み寄って着た。
「今日もお疲れ、星夏ちゃん」
「虹野さん。ありがとうございます」
彼はアタシをモデルにスカウトしてくれた人だ。
街中で急に声を掛けられた時は警戒したけれど、今となっては頼りにして貰っている。
ファッションとグラビアの方面で活動していて、彼曰くそれなりに売れてるらしい。
「先週発売した雑誌のグラビア写真、星夏ちゃんのページが特に良かったって評判だったよ。自分の事務所に所属してくれないか問い合わせが何件もあったくらいだ」
「あはは。ありがたいですけど、いつものように全部断っちゃって下さい」
「……大手の芸能事務所からも連絡が来てるよ?」
恐縮しながら断るけれど、虹野さんは納得がいかない面持ちを浮かべる。
せっかくの注目を棒に振るのが勿体ないんだろう。
でもアタシの中で答えはとっくに決まってる。
「今のままで十分稼がせて貰ってるから要りませんよ。大手に入って彼氏との交際にあれこれ言われるのはイヤですし」
「だよねぇ」
改めて毅然と口にした理由に、虹野さんは分かり切っていたという風に肩を落とす。
何せスカウト受ける条件の中に、あくまで読者モデルとしての活動に留めるって含めたんだから。
その理由は偏にこーたとの交際に口出しされないためだ。
曲がりなりにも芸能界入りする以上、恋人の有無はとてもセンシティブな要素になる。
前もって公にするモデルなんて売りにくいだろうし、かといって隠して付き合い続けるのも忍びないし、むしろスキャンダルになりかねない。
だったら敢えて事務所に籍を置かない方が、アタシ的には都合が良いのだ。
「恋人との生活のためにお金が欲しいって言う割りには、事務所に所属しない。星夏ちゃんらしいといえばらしいけれどね。やっぱり業界人としては勿体ないと感じてしまうな」
「その気持ちだけで嬉しいですよ」
このやり取りは何度も交わしている。
虹野さんからそれだけ目を掛けて貰ってるのはありがたいけど、やっぱりアタシの中で最優先なのはこーただ。
これだけは何があっても譲るつもりはない。
そう主張してはいるものの……。
「星夏ちゃん」
「あ、お疲れ様です。DAIKIさん」
虹野さんとの話が済んでから楽屋にある荷物を持って出ると、今度はメインカメラマンのDAIKIさんから声を掛けられた。
最近業界で注目されてる敏腕カメラマンだ。
短く整った顎髭を撫でつつ、人当たりの良い笑みを浮かべている。
「今日も良い写真が撮れて良かったよ。この後、暇なら食事でもどうかな?」
「ありがとうございます。でも彼氏が迎えに来てくれるのでお気遣いは要りませんよ」
愛想笑いで誘いを断る。
モデルになってからこういった誘いは何度もあった。
彼氏いるって言ってるのにどうして寄って来るんだか。
こういうことはグラビアの現場でもあって、正直に言うと鬱陶しい。
大抵は一回断ったら終わりなんだけど、DAIKIさんはしつこいパターンだ。
これで四回目だし。
そもそもこの人は目を付けたモデルの子を頻繁に誘っている。
さっき話していたモデル仲間も声を掛けられた一人だ。
この節操の無さはイヤでもお父さんを彷彿とさせられて、言葉を交わすのも避けたい嫌悪感に襲われる。
あまり角を立てない方が良いのは分かってるんだけど、安易に応じてこーたを心配させるくらいならハッキリ言うのがマシだ。
そんなアタシの言葉にDAIKIさんは一瞬だけ眉をピクリと揺らす。
「恋人と仲が良いみたいで何よりだけど、あまり仕事の付き合いを疎かにするのは良くないと思うよ?」
それでもDAIKIさんは笑みを崩さないまま、尤もらしいことを口にする。
胸とか足をチラ見しながらじゃなかったら多少は同意してたかもしれない。
説得力無いなぁ、と内心で呆れつつアタシはもう一度頭を下げる。
「仕事関係の大切さも分かります。けどアタシにとっては彼氏との将来が一番大事なんです。だからごめんなさい」
「っ、何も浮気しろって言ってないんだから、一回くらい付き合っても良いだろ!」
「!」
尚も断られたのが頭に来たのか、笑みを崩したDAIKIさんが手を伸ばして来る。
咄嗟に身構えるけれど……。
「──おいアンタ。人の彼女に何触ろうとしてんだよ」
いつの間にか迎えに来ていたこーたが手首を掴んで止めていた。
アタシが危ない目に遭い掛けたからか、明らかに怒った表情を浮かべている。
「こーた!」
「な、なんだお前?!」
不安が霧散した安堵感のまま名前を呼びながら、サッと彼の傍に駆け寄る。
一方でDAIKIさんは唐突に現れたこーたに驚き、腕を払って後退りをした。
手を振りながらこーたを睨むけど、喧嘩慣れしている恋人にはまるで効いた様子はない。
こーたはアタシを背に庇いつつ、DAIKIさんから目を離さないまま口を開く。
「今さっき言っただろ。星夏の恋人だって」
「部外者がどうしてスタジオに入ってるんだ……」
「星夏がモデルの仕事をする上での契約で、立ち入り許可を貰っただけだ」
そう言いながらこーたは、首から提げてる関係者カードを見せつける。
アタシがスカウトされた時に会長──霧慧ちゃんに相談して、モデル業における契約に色々と条件を付けた結果の一つだ。
というかスカウトの話をした時も、虹野さんが怪しくないか調べて貰ったりと手を尽くしたくらい。
相変わらず過保護だけど大事にされてる証拠なので文句なんて無い。
「なんでただの学生にそんな……」
「友達に弁護士がいるんでな。色々と知恵を貸して貰ってる。その上で
「……ッチ」
こーたの背に隠れながら思い返している内に、DAIKIさんはバツが悪そうに舌打ちをして去って行った。
ハッタリだと思ったけれど確かめる術もないから、下手に噛み付いて騒動になったら困るのは自分の方だから引き下がったのかな?
なまじ名前が売れてるのが枷になったみたい。
有名になって天狗になった人ほど、有名税を名目に足元を掬われるのが怖いんだなぁ。
自分も気を付けないとと思いつつこーたの前に回って抱き着く。
不意に抱き締められてビックリしてアタシを見るけれど、構わずにギュッと腕に力を込める。
少し汗の匂いがする……もしかして走って来たのかな?
だとしたら勘良すぎでしょ。
そんな内心を秘めながら、顔を上げてこーたと目を合わせる。
「ありがと、こーた」
「星夏に怪我がないなら良かった」
「えへへ」
そう言ってこーたはアタシの頭を撫でる。
大きな手で撫でられて、フニャリとだらしのない笑みが出てしまう。
普通なら自重していただろうけど、今はこーたと二人きりだから関係ない。
やがてこーたが手を離す。
もっと撫でて欲しかった惜しさはあるものの、続きは帰ってからにして貰おうと考えながら掌を押し出すように伸びをする。
「はぁ~これでもうちょっかい掛けて来ないと良いんだけど」
「そんなにしつこいのか?」
「彼氏優先って何度も言ってるのに諦めてくれないくらいには」
「その彼氏より優れてるって自負があるんだろうな」
「は? こーたの方が全然スパダリなんですけど」
「すげぇ圧」
思わず発した怒気にこーたが苦笑する。
人気カメラマンだからってこーたより上?
フツーにあり得ないし。
憤慨から膨らませた頬を、こーたが指で突いてプスーっと萎ませる。
ジト目で見やると、彼はどこか安心したように柔らかな笑みを浮かべていた。
「どーしたの?」
「その、情けない話なんだけどな……星夏がキッパリと断ってくれて凄く安心してる」
「? こーたが好きなんだから当たり前でしょ?」
「いや分かってる。分かってるんだけどさ……」
首を傾げながら返すと、こーたは照れくさそうに視線を逸らして頬を掻く。
「今回みたいに星夏に目を付けるヤツが出て来ると思うと、どうしても心配だし簡単に近付くなよってムカつくんだよ。特に芸能界なんて俺より凄いヤツがゴロゴロ居るわけだろ? それが余計に不安で……」
「! ふ~ん。つまりアタシが靡かないか不安だったんだ?」
珍しい弱音を吐くこーたの言動に、アタシは堪らなく嬉しさを感じながらわざとからかうように尋ねる。
その意図を察したのか、こーたは横目で見やりながら続ける。
「っ、当然だろ。傍に居たくても、俺じゃ一般人以上になれねぇし……」
「あっはは。そんなに拗ねなくたって大丈夫だよ。こーたより傍に居られる人は居ないんだから」
ふて腐れるように伏せたこーたの頬を両手で持ち上げた。
不安げに揺れる黒色の瞳を見つめながら、目一杯の想いを込めながら続ける。
「──アタシの旦那様じゃ不満かな?」
「! ……世界一最高の幸せ者だわ」
「よろしい」
観念したように破顔するこーたに、大仰に頷きながら笑みを返す。
立ち直ってくれたから良いんだけど……。
「ところでアタシをお嫁さんにするには、左手の薬指が寂しいんですけど? そうしたら今日みたいなことも起きないんだけどなぁ~?」
「…………せめて大学を出るまで待ってくれないか?」
「なぁんでそこでヘタレちゃうの? プロポーズより妊娠が先になったらどーすんの?」
「地味に効く脅しはやめてくれ。しかもその選択肢だとどのみち結婚することに変わりねぇし」
「え、こーたは結婚するつもりなかった?」
「またそういう意地の悪いことを……しないなんて一言も言ってないだろ」
わざとらしく聞き返すアタシをジロリと睨む。
でも顔が赤いからまるで怖くない。
むしろ可愛いまである。
微笑ましく思っていると、不意にこーたがアタシの耳元に顔を寄せる。
いきなり近付かれて胸の高鳴りを感じるより早く……。
「どうせ口にするならこんな流れじゃなくて、ちゃんとした形で言いたい。それくらい分かれ。アーホ」
「っ!」
囁かれた言葉に堪らず胸がキュンっと締め付けられる。
……ヘタレのくせにクリティカル出すのズルい。
黙り込んだアタシを見て、こーたが勝ち誇った笑みを浮かべる。
「先延ばしにした分、ちゃんと愛してくれなきゃ許さないから」
「おぅ。存分に甘えて来い」
してやられた悔しさから顔を逸らしながら、せめてもの報復としてそう告げた。
それでもこーたは笑いながらアタシの手を引いて歩き出す。
繋がれた手は解かなかった。
先導する恋人に続くアタシの顔はきっと真っ赤になってるに違いない。
恥ずかしい……でもこの先も、こーたを好きで居続けられる幸せが何よりも嬉しかった。
──大好きだよ。
心の中で呟いた想いに浸りながら、一歩だけ大きく踏み出してこーたと隣り合って家まで帰るのだった。
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久しぶりの更新でした。
本作も含めたいくつかの作品にて、カクヨムコン9に参加しています。
【迷子になっていた妹を助けてくれた清楚な美女は、春からクラスの副担任で俺達の母親代わりになった件】こちらは完全新作です
https://kakuyomu.jp/works/16816700425926526591
【ブラック労働で死にそうなくらい疲れている俺を癒してくれたのは、配達先の小さな天使でした】完結作ですので、最後まで読めます
https://kakuyomu.jp/works/1177354054890739229
【両親の借金を返すためにヤバいとこへ売られた俺、吸血鬼のお嬢様に買われて美少女メイドのエサにされた】こちらは前回のカクヨムコンにてCW漫画賞を頂きました。第二部更新中です
俺の家に入り浸っている腐れ縁の美少女が、彼氏と別れたらいつも甘えて来る理由 青野 瀬樹斗 @aono0811
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