エピローグ

「七海さんは今日も部室なんですか?」


「うん、昨日は徹夜なんだってさ」


食後の珈琲を飲みながら、朝田は楽しそうに言う。

目の前の花純はクスクスと笑う。


七海は退院してから、秋穂に毎日ように部室に引っ張られていってしまう。秋穂は夜への恐怖を克服してしまったようで、これまでのフラストレーションを発散するかのごとく本を読み漁っている。七海は呆れつつも満更でもない様子みたいだ。


山下が捕まった後、木曜日の怪人の噂は急速に廃れてしまった。人は興味を持ったものを積極的に他人へ広めようとするが一度興味を失ってしまえば見向きもしなくなる。あの怪人も、もしかしたら朝田たちが何をしなくても消えていたのかも知れないなと思う。


存在を証明するために人の気を引き続けなければならない。人に興味を持たせるために恐怖を与え続けなければならない。それは生きていると言えるのだろうか。


「朝田先輩?朝田先輩!」


「あ、ごめん。何だっけ?」


「もう!何か別のこと考えていましたよね?

 ケーキ、食べちゃいますよ?」


花純は朝田の目の前のチーズケーキを奪い取る。

朝田はあっ、と声を出すが構えたフォークは空を切る。

自然と苦笑いが漏れてしまう。


「花純さんはちょっと変わったよね」


「そうですか?……まぁ、2回も死にましたからね」


花純はもの憂げな目をする。仮の身体とはいえ、2回も死んだ上に最後は首を刎ねられたんだ。落ち込むのも無理もない。


朝田がなんと声をかけていいものか迷っていると、花純が吹き出し笑い出してしまった。


「あはははは、冗談ですよ!死ぬのはやっぱり怖かったですけど朝田先輩を見ていたら勇気が出たんですよ」


「僕を見ていたら?」


「朝田先輩、いざとなったら自分が犠牲になる気だったでしょ」


あの作戦を聞いたとき朝田はいざとなったら怪人と刺し違えても、止めようと考えていた。花純や七海が失敗したとしても、身体を張ってくれる二人の為に自分が何とかしなくてはと考えていた。


「図星、ですよね?

 朝田先輩迷いがなさ過ぎましたもん」


「あれは……

 僕にしかできなかったから」


「ダメです」


急に強い口調になった花純に朝田は息をのむ。


「朝田先輩が私や七海先輩の為に頑張ってくれたことは分かっています。けれど、朝田先輩は一人じゃない。もっと私たちを頼って、そして自分を大切にしてください」


真っすぐ朝田を見つめる、花純から目が離せなくなる。

朝田はただ頷くしかなかった。


「やっぱり、花純さんは変わったよ」


その言葉に花純は満足げに笑った。


~~~~~


花純を送った後、朝田は夜道を一人歩いていた。家の前で花純の帰りを待っていた梅香にすごい形相で睨まれたりしたが、今日は花純と出かけることが出来て良かった。


「自分を大切に、か」


自分のことを考えるのは苦手だった。自分の感情よりも先に、人の感情が伝わってきてそれで頭がいっぱいになってしまう。


自分はどうしたいのかあまり考えることがなかった。だからと言って、周りに完全に合わせるわけではない。悪い感情を持たないように、関わらないようにということだけに必死だった。


朝田は自分がやりたくなくても、人が望むのならば自分を平気で犠牲にする。だから、結局他人と関わらないようにするしかなかった。


「自分って何なんだろうな」


自分の家が近付いてきて少しだけ、歩調を早める。久しぶりの外出で疲れてしまった、今日はトレーニングを終わらせたら寝よう。明日は1限から授業がある、最近さぼり気味だったから必ず行かなくては。


少しだけでも自分について考えてみよう。

何がしたい?自分はどうなりたい?

もっと自分を知ろうと思うと楽しい気分になってくる。


エレベータ―を降りたところで朝田は朝田は足を止めた。

誰かが朝田の部屋の前で立っている。

妙に小さい――あれは子どもか?


目の前の人影を観察していると、その人物は振り向いてため息をついた。


「お兄ちゃんが羊男?待ちくたびれちゃったよぅ」


5歳、くらいだろうか?それくらいの年頃の少女が朝田に声をかける。

こんな時間に、こんな場所になんで子どもが一人で?

それになんで羊男と言うことを知っている?


「あ、この姿じゃびっくりしちゃうよね?」


目の前の少女が瞬きの間に中学生くらいの姿に変わる。

朝田は目の前にいる者から目が離せなくなっていた。


「あらら、固まっちゃって。

 意外と可愛いのね」


今度は朝田よりも年上の女性。

クスクスと笑いながら朝田のことを見つめている。


「きみはなんなんだ?」


朝田はようやく声を絞り出す。

目の前の女性が普通の人間ではないことは分かる。


「私は『猫又』、有馬さんからここでお世話になるように言われて来たの」


目の前で猫又はまた姿を変え、最初の少女の姿に戻った。


「宜しくね、おにいちゃん」


ウインクをする少女を前にして朝田は師匠の顔を思い出す。

あの人は説明が足りない、そう知っていたじゃないか。

また面倒ごとが増えた。増えてしまった。

これでは自分のことなど考えられそうにない。


目の前でケラケラと笑う少女を前に朝田は頭を抱えるしかなかった。

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『羊男』 秋空ハレ @ramda999

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