聶耳の草団子(下)

 3


「どうした? 都へ向かうならば、うまを借りるか駒車ばしゃを乗りぐしか手立てだては無かろう」


 州都のうまやなどが寄り集まる方へ向かおうとした御缶みほとぎは、白眉はくびがそれを引き留めてそのまま都門ともんをくぐって出てしまうのを不審ふしんに思った。

 まあまあ、と彼女になだめすかされてそのまま、近郊きんこうの広いしげみの近くまで連れてこられてしまう。


 まさかここで始末しまつするつもりか、と御缶みほとぎの背に一瞬緊張きんちょうが走ったが、その背に尻へと回る白眉はくびの手に、彼はそのような意図いとを感じなかった。

 本来は別の悪寒おかんを感じるべきところであったが、幸か不幸か、御缶みほとぎの知識はまだそこまで及んでいないのである。


「この辺で良いかね」


 周囲に人気が無いのを確認すると、ひゅぃ、と白眉はくびが口笛を吹く。

 するとしばらく、木々の裏から大きな白虎びゃっこがゆっくりと姿を現した。


 御缶みほとぎはそれに身構えて、店内で回収した小刀を懐から抜こうとする。

 しかし、彼の得物を握る手を、白眉はくびが彼のころもの合わせから手を突っ込んで抑えた。

 そのまま白眉はくびは彼の目線の高さまで腰を低くすると、後ろから抱く形で、耳元に告げる。


「この子はようってんだ。 あたいの飼いねこだけど、あまり剣呑けんのんに感じ取らせちゃまれるからね」


 だから騒ぐな、と御缶みほとぎを抱く力を強めた。

 彼は目を白黒とさせながらも、柄を掴む手から力を抜く。

 ようは、ふぅ~、と鼻を鳴らして、御缶みほとぎの手、胸、股間と匂いを嗅ぐと、警戒を解く。

 なんとも主人に似たところのある雌虎めすとらである。


聶耳しょうじ人はねこを飼う。 まさか知らないのかい?」


 白眉はくびようあごの下を撫で繰り回しながら、御缶みほとぎを誘った。

 うながされるままに、恐る恐る彼がほおを撫でてやると、ようは嫌がらずにその手を受け入れ、すっかりけんが取れてまったりとした表情を作ったように見える。

 獣であるから表情にとぼしいが、少なくとも御缶みほとぎにはそう思えた。


「予は夷狄いてきなどの風習に興味が無いからな」


 白眉はくびになど興味は無い、と。

 しかしようには津々しんしんで、一度受け入れられたのをいいことに、御缶みほとぎは背から尻尾しっぽまでくまなく撫で始める。

 意外とやわらかい毛先は、押さえると深く沈んで温かく、触れた手を丹念たんねんに包むので心地がいい。


「はぁ、嫁に対して冷たい旦那さんだこと」


「お前を予の嫁と認めたことは無い!」


 ように夫を奪われて愚痴ぐち白眉はくびに、御缶みほとぎは指をさして抗議した。


 白眉はくびようくらなどを付けずにそのまま飛び乗って、自分の前に御缶みほとぎまたがらせる。


 よう生半可なまはんかうまよりも駿はやい。

 しかしその分着地の反動は大きく、走るとその勢いで白眉はくびの谷間に御缶みほとぎの後頭部がどんどん埋まっていくので、両頬が煩わしくなってたまらず、彼はもがいた。


「は、放せ! まさか予を色仕掛いろじかけでとそうなどと、低俗ていぞく魂胆こんたんでいるのではあるまいな?」


 白眉はくびは意地の悪い顔をして、騎乗で汗ばんだ身体をさらに御缶みほとぎへと押し付けた。

 二人の体温が汗で引っ付き合わさって、やけに熱い。


「真っ赤になって効いてて何言ってやがんのさ。 いいからもっと、胸にがばっとくっ付きな。 あんたを支えながらじゃようあやつづらいんだから、あたいじゃなくてように落とされるよ」



 4


 蒼国と西域を分け隔てる国門こくもんの先にびょうがあると御缶みほとぎは言うが、門まで至る道はとても急峻きゅうしゅんが多く、ねこのなかでもとりわけ健脚けんきゃくようでさえ、何度も休憩きゅうけいを挟まなければなかなか前へと進めなかった。


御缶みほとぎ、あんたずっと一人であたいを追ってたのかい?」


 こんな難所なんしょを、おすであったとしても十の頃の子供が独りで越えられるものではないだろう。

 白眉はくびはそういう意図をもってたずねた。


「いや、従者じゅうしゃを連れ立っていた。 来るまでにすべて殺されたがな」


「どういうことだい。 あんたを付け狙う何者かがいるってのかい――!?」


 急に、ようあしを止めてうなった。

 白眉はくびははたと気付き、刀を抜く。

 ようがこのようになる時は必ず手前へ敵がひそんでいる。


 気取けどられたのをさとって、やぶしのんでいた影がおどり出た。

 見るからに敵意を持った男たちが二人を乗せたようの前に立ちふさががる。


厄介やっかいな。 だいぶ鼻が利くねこだな」


 男の一人が憎々にくにくしくつぶやく。

 男たちは独特どくとくな臭いを放っていて、鼻腔びこうを刺激するとそこから、白眉はくびは急に臭いを感じなくなった。

 彼女が考えるに、嗅覚きゅうかく麻痺まひさせる毒香どくこうを焚いているのだろうと当りをつける。

 うまの警戒をかわす狙いでもあったのだろう。

 だが、ようの鼻には通用しなかったらしい。


「こういう事だ」


 御缶みほとぎは声を震わせるが、それは怒りによってだ。


 うまであれば丁度ここらでへばりけて、動きが悪くなって居るだろうという頃合ころあいでの襲来しゅうらい

 明らかに二人を狙い周到しゅうとうに計算されていたことが分かる。


「順位第二の皇貴妃こうきひが放った刺客しかくだ。 予が嫁探しに失敗すれば弟のいずれかが帝位を継承けいしょうすることが確実になると見て、ずっと予を追って妨害ぼうがい仕掛しかけてきている。 今までは近習きんじゅうたちが手にかかってきたが……。 嫁を見つけ出したと知って、もはや手段を選ばす予ごと始末する気らしい」


「じゃあ、返り討ちにしてやっても問題ないってわけだね?」


 白眉はくび揚々ようようと刀をかかげ、ように突撃の命令を出す。

 ようは刺客の一人に向けて距離を詰めると、もう一歩で手が届くという手前で頭を屈めた。


 しっ、と静かな掛け声とともに、ようの頭のあった位置を刺客の得物が空を斬る。

 そのまま体の開いた体勢になった男へ向け、白眉はくびがばっさりと縦に斬り裂いた。

 ようが戦いを熟知じゅくちした上での連携れんけいである。

 その様にぎょっとし、怖気おじけを漏らした者が刺客の内に居たのを、ようは見逃さない。

 白眉はくび御缶みほとぎを背に乗せたまま、よう強靭きょうじん後脚こうきゃくで大地を強くって飛び上がり、そのまま自分たちの質量でもって相手に頭上からのしかかる。

 ひとたまりもなく、その刺客は胸部を押しつぶされ絶命ぜつめいした。

 白眉はくびは両足を内股うちまたに力をめる。

 そうやって太ももでようの背をしかと挟んで動きに耐え、振り落とされそうになる御缶みほとぎの頭をわきで支え込む。

 そこでやっと気を取り戻した刺客どもは両脇りょうわきから白眉はくびらを狙うが、ようが一人をかた前脚まえあしでもって振り払った。

 その一撃は向けられた得物ごと強引に男を吹っ飛ばす。

 もう片側には白眉はくびが、巧みに刀の切っ先で敵の刃物を弾き飛ばし、そのままの軌道きどうで男の首元へ一閃いっせん見舞みまった。

 血を噴きながら、男は慣性かんせいに流されて前のめりに静かになる。

 御缶みほとぎは抱えられざまに白眉はくび腋汗わきあせを擦り付けめさせられ酸っぱい顔になりながらも、その二匹ふたりの戦い様を間近に見た。

 まさに人虎じんば一体いったい

 白眉はくびが放逐されてからここまで生き残ってこれたのは、ひとえに連れ出してきたようの存在があったからといっても良いだろう。

 輝く白髪と、長耳がそれに続く。

 赤を背景に、その神秘的な光景は御缶みほとぎにとって戦場へ舞い降りた天女てんにょの様にすら感じ得た。


 それが公主の身分であった女人にょにんだとは到底とうてい思えない、すさまじき戦いぶりに、残った刺客たちは恐れをなして退いていく。

 しかし、そこに最後さいごとばかりに短弓たんきゅうを取り上げつ者が居た。

 丁度白眉はくびの失われた片目で死角になる方角から放たれた一撃へ、彼女は対処たいしょを遅らせてしまう。


白眉はくびっ!」


 御缶みほとぎには放たれてしまった矢をどうにか出来る技量ぎりょうなどなく、自分の身体で白眉はくびかばうしかなかった。

 幸い、御缶みほとぎの腕へ一筋ひとすじの傷を残すのみで、矢は彼の肌の上を滑って軌道きどうを反らし、あらぬ方向へ飛んで行く。

 白眉はくびは彼が傷を負ったのを見て思考を弾けさせ、真っ白になった意識で手元の刀をぶん投げた。

 それは一直線に投射とうしゃされ、弓を放った男を背中から胸へ貫いて串刺くしざしにする。

 どかりと男の倒れ伏す音がするが、もはや白眉はくびの意識は御缶みほとぎに一心にとらわれている。

 そのまま残った者たちの逃亡とうぼうを許してしまうが、白眉はくびは問題にすることが無かった。

 それよりも御缶みほとぎである。


「おい、大丈夫かよ御缶みほとぎ


「ああ、なんとか。 この通り少しの矢傷やきずのみで済んだようだ」


 御缶みほとぎが傷を見せからからと笑うのに、白眉はくび心底しんそこ胸をなでおろした。



 5


 国門をくぐって霊廟も目前という所、どうも御缶みほとぎの様子がおかしい。

 そのうちに十の頃のまだ幼い身体から血の気が引いて、ようの背で力なく白眉はくびの胸へもたれかかるようになった。

 最初は白眉はくびなど、遂に御缶みほとぎが自分の色香に屈したかと思い心躍こころおどらせたが、すぐに御缶みほとぎの容体の悪化に気付いて、ようの足を止めさせる。

 受けた傷は浅い筈であるのに、その腕は小刻みに震えていた。

 彼の動きを見るに、すで肩口かたぐちから下の自由が思った通りに利かないようである。


「おい、しっかりしろよ御缶みほとぎ! くそっ、矢じりに毒が仕込しこまれてたのか?」


 白眉はくび御缶みほとぎの腕のを付け根からしばって、毒の進行を少しでも抑えようかとも思ったが、毒が身体をめぐった後では、そのような処置は何の効果も示せないだろうとすぐに思い至った。

 遅効性ちこうせいの毒薬。

 今から人里へ彼をせに行くには、この場所はあまりにも遠すぎる。

 白眉はくびは涙目になって、ようの背から御缶みほとぎを抱えて降りると、嗚咽おえつこらえてうー、うー、と唸った。


「もうよい。 麻痺まひで痛みも分からなくなってきた。 どうせ予もお前の命を狙った身だ。 捨て置いても良かろう、そんな顔をするな」


 こぼれる涙を拭おうと手を差し伸べようとするが、身体の強張こわばりはもはやそれすら許さなかった。

 白眉はくびの涙が落ちて、御缶みほとぎの頬を濡らす。

 彼女にはよくよく顔に何かとらされるものだと、彼はこんな時だというのに可笑おかしくなった。


あきらめてんじゃねえよ。 くそ、どうしてあたいを庇ってなんか」


「……どうしてだろうな。 お前の戦う姿が、美しかったからやも知れぬ」


 それは御缶みほとぎの口から自然にこぼれた。

 力なく笑う顔に、白眉はくびはこの時はじめて、目の前のおとこを決して失いたくないと、心からそう感じた。

 ならば、羞恥しゅうちをかき捨てて、ただ一つ残された方法を試すしかない。

 彼女は腹に決め、座るようの横腹に御缶みほとぎを預けると立ち上がった。


「あれをやるしかねえか……辛抱してろよ、あんたを絶対手放してやんねえから」


 近くの茂みへ入ると、白眉はくび何故なぜか手当たり次第に野草やそうを自分の口へとき込み始めた。

 動けない身体で、御缶みほとぎ白眉はくびの気でも狂ったかのような行動を見つめるしかない。


 十分目じゅうぶんめを越えるまでそうやって、草の溜まった腹をさすりながら白眉はくびは、げふ、と息を吐く。

 それからしばらくもしないうちに、彼女の腹の内を窮屈きゅうくつ違和感いわかんが襲った。


 ――ぐおぉ、来た来たぁ。


 腹を押さえて苦しみながらやぶの裏へしゃがみ込んで、白眉はくび御缶みほとぎから姿を隠す。

 次の頃合ころあいには、彼女は人差し指と親指で輪を作った程度の大きさになる草色の団子だんごを手にしてそこから出てきた。

 ふぅ。

 その顔は一瞬、すっかり穏やかになっていたが、御缶みほとぎを見るとすぐに厳しいものに戻った。

 そのままずいずいと彼に向けて歩み寄る。


「さあ、旦那だーさん、これをお上がんな」


 手の内にころりと転がる、手で押せば潰れそうなやわさの団子を御缶みほとぎの口元に突き出した。


「これは何だ? 青臭い匂いがするが――まさか」


 団子から唇に伝わる体温ぬくもりの気配に、ほとんど身動きが取れないはず御缶みほとぎあせってもがいた。

 青くなった顔からますます血の気が失われるが、これは毒のせいではない。


聶耳しょうじ人の棲む山には食える物が少ないからね。 何でも口にし無けりゃ生きていけない。 毒草でもらうしかない。 そこで聶耳しょうじ人は猛毒もうどくすら腹で解毒げどくする術を身に着けたのさ。 ――聶耳しょうじふんには解毒の作用がある。 さあ喰いね」


 団子の正体を暴露ばくろすると、白眉はくび御缶みほとぎの口へそれを押し込もうとするが、彼は必死の抵抗を見せた。


「よ……よせ、そんなものを予へ近づけるな」


 最後の尊厳そんげんくらいは守らせてくれ、と。

 しかし白眉はくびは引き下がらない。


「命がかかってるって、分かってるのかねぇ。 仕方ない。 悪いけど言った通りなんだ。 もうあんたを死なせる気も手放す気も、あたいにはこれっぽっちも無いんだよ」


 白眉はくびは自分で団子を食らうと、口内で少し溶かしてから、口移しで御缶みほとぎの食いしばる唇の中へ、舌を踊らせて押し入り、流し入れた。


「おええぇ」


 うめ御缶みほとぎをよそに、そのまま彼が飲み下すのを辛抱しんぼうできなくなるまで、白眉はくびは彼の口内こうないめて互いの唾液だえきで満たす。


 ついには、御缶みほとぎつばごとそれを飲み込んだ。



 6


 白眉はくび御缶みほとぎを抱えて霊廟へと辿たどり着き、中で火を起こして一晩を過ごした。

 明け方には御缶みほとぎの容体もすっかり落ち着いただろうか。

 ただ、彼は何か大切なものを失ったような諦観ていかんの色も見せていた。


 白眉はくびがそこらから適当てきとうにもいで来た山桃やまもも朝餉あさげに口にして、二人は静かに向かい合っている。

 先に切り出したのは御缶みほとぎであった。


「そうだな、ここまでの約束であった。 予のお前に対する気持ちを、ここで伝えておこうと思――」


 だが、その言葉をつむぐ唇を白眉はくびは指で押さえ、先を言わせない。


「いや、あたいに先をゆずっておくれよ。 元々、あたいがすべて悪かったことで、あんたはあたいをうらむしか無いのはよくわかってる。 だから、これでをつけさせてほしい」


 御缶みほとぎが理解を示して黙るのに、白眉はくびは緊張から一つ息を吹いて吸う。

 そして、大声でこう、胸の内を告げた。


御缶みほとぎ! 毎朝あたいの草糞くそを食らって長生きしてくれ!」


 そのまま白眉はくびはがばりと御缶みほとぎを押し倒すと、彼の首元に自分の顔を埋めた。


「台無しだ馬鹿者!」


 御缶みほとぎは覆いかぶさって来る白眉はくびの背を叩くが、体格の差は如何いかんともしがたい。

 それを見ていたようはやれやれと霊廟の内から退出すると、鼻先で器用に中へいたる扉を閉じて、その前に座り込んだ。

 しばらく誰の通過も許すつもりは無いようである。


 余談であるが、翌年よくとし帝室に生まれた赤子はたいそう耳が長かったと聞く。


聶耳の草団子(完)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

聶耳の草団子 イビキ @ibiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ