聶耳の草団子

イビキ

聶耳の草団子(上)

 1


 蒼国そうこく西方にしかた元州げんしゅう夷狄いてきと呼ばれる蛮族どもに西、南、北の三方を囲まれた土地である。

 夷狄いてきは長らく蒼国の統治から独立して抵抗を続けていた。

 そもそも夷狄というのは外世界がいせかいを意味する言葉に由来ゆらいしていて、これはひとたび人里ひとざとを離れれば、そこが蒼国の支配の外であることを如実にょじつに物語っていると言えるだろう。

 彼らは人の容姿を持ちながら、半身はまるで獣のような者どもで、それぞれ部族ごとに容姿があまりにも異なる様はしょ百化ひゃっか呼称こしょうされるほどだ。

 ぞく獣人じゅうじんと呼ばれる事も多い。


 中でも、北部山中にしょうじんという者たちは大耳だいじという国を形成している。

 聶耳しょうじ人はとても長い耳をもつ人間の姿で、立ち上がっても垂れ下がった両耳が地面にってしまうという。

 過去には歩く際に耳を両手で持ち上げる必要がある大耳おおみみものも居たそうである。

 何しろみみうさぎの獣人であるのだから、仕方がない。


 聶耳しょうじ人たちはよく交配し子供を無暗むやみにこさえるので、すぐに数が多くなり、彼らを養うために豊かで開けた蒼国の土地を強く望んでいた。

 東西に山脈が続き、北には乾いた土地しかなかったので、他に向かう先もないのである。

 ついに山奥で抱えきれなくなった者たちが南下して、そのまま勝手に住まうようになると、これが元来がんらい住まっていた蒼国の者たちとのいさかいの種になったのは言うまでもない事だろう。

 両国の関係はよもや殺し合いという所まで行きかけた。


 そこで持ち上がったのが、両国の縁談えんだんである。

 帝室がさきだって聶耳しょうじ人を迎えることで、彼らを蒼国の同胞はらからとして迎え入れることが出来ないかという試みであった。


 大耳には首長の娘に白眉はくび公主こうしゅと呼ばれる美姫がいる。

 国ぐるみでちょうよ花よと育てられ、その美しさはいずれは何処どこに嫁ぐものかと、諸外国しょがいこく王侯おうこう貴族きぞくまでめとる機会をうかがうほどであったという。


 白眉はくびには父である首長から結婚相手がそう帝室ていしつ嫡子ちゃくしであるとだけ伝えられており、それは輝かんばかりの美しさであると、白眉はその体毛を立派なふさにして飾った長耳で風聞ふうぶんしていた。

 自身の美貌びぼうを鼻にかけて思い上がるようになっていた白眉はくびは、それほどであれば自分に相応しい男であろうと期待していたのだが、対面させられた相手に愕然がくぜんとする。


「冗談じゃねえよ、なんであたいの相手がこんな――赤ん坊じゃねえか!」


 式会場。

 白眉はくびが両国代表たちの集まった真ん前で叫ぶのも無理はない。

 結婚相手が産衣うぶぎに包まれた生後間もない輝かんばかりの赤子あかごであったのだから。

 首長も彼女が確実に嫌がるのを分かっていて、直前までその情報をせていたのである。


 西域一の美人から発されたその絶叫ぜっきょうは、その言葉遣いと内容が相俟あいまって、蒼国要人たちを仰天ぎょうてんさせるのに十分であった。


「なんと礼節れいせつの身についていない女か。 王族といえどもやはり夷狄は野蛮である」


 あなどられたり見下された経験のなかった白眉はくびは、自分へと向けられた侮蔑ぶべつにことさら衝撃しょうげきを受けた。

 彼女は怒り狂ってひとしきり暴れると、感情任せにその場を去ってしまう。

 こうして、縁談は花嫁に式をされるという最悪の結果に終わった。


 念願を果たせなかった首長は大耳の国辱こくじょくとなった白眉はくびを決して許さず、自らの手で一刀のもとに彼女を斬り捨ててしまったという。

 幸いにして命だけは取り留めたというが、そのまま放逐ほうちくされた白眉はくびの行方は誰にも知れない。



 2


 事件から十年ほど経った時の事。

 元州の州都しゅうとのとある居酒屋で、廊下ろうかに開け放たれた一室があった。

 そこで一人の女が飲んだくれ、胡坐あぐらをかいたまま轟々ごうごうといびきをかき鳴らして眠りこけている。

 店内は繁盛はんじょうして客があふれていたので、彼女を覗き見て鼻の下を伸ばしたりする者はあったが、寝込ねこねらって不届ふとどきを働こうなどとは、誰一人として心にも思わなかった。

 どちらかと言えば、そう、関わり合いになることだけは避けるよう心掛こころがけている。

 何しろ、一目でわかるほど非常にがらが悪く、刀はたずさえているし、明らかにではないのだ。

 片腕かたうでと片目を失い、白い眉と同色のかみを雑にわえた褐色かっしょくはだの荒くれしょうおんな

 それが過去に名声をほこった美姫、白眉はくびの成れの果てであるなどと、もはや誰が思うだろうか。


 しかし、部屋へ堂々と入り込み、白眉はくびへ声をかける猛者もさがいた。


「おい、そこな聶耳しょうじ女、すこしたずねたいことがある。 起きてもらおうか」


 心地よく居眠りしていた白眉は、意志に反して起こされたことと、相手の高圧的な物言いとに機嫌きげんを悪くして、抱えた刀のつかを握りながらゆらりと目を開いた。


「……ああん?」


 にらんだ視線の先に居たのは、このような場所には似つかわしくない、歳は十の頃の少年である。

 よそおいは旅人だが、身に着けているものの端々はしばしから金目の物がちらついて、どこかの貴人の子息であろうと見て取れた。

 白眉はくびが考える分には顔立ちもわるくなく、彼女の好みと言える。

 これはかつての自分を見慣れた白眉はくびの基準でそうなのだから、世間一般で言えば十分に美少年と言って差し支えないだろう。


「なんだい、お坊ちゃん。 お姉さんの色香に我慢できなくなったのかい? 相手してやるからこっちに座んな」


 生意気そうな餓鬼がきであるが、隣に置いて見てたのしむ分には美味い酒のさかなになるだろうと、白眉はくびは柄から手を放してばんばんと自分の座る隣を叩く。


「それには及ばない、質問に答えてもらうだけでよい」


 少年の白眉はくびを見下す目が忌々いまいましい記憶と重なって、白眉は彼の手を引くとあざやかに自分の股座またぐらに座らせてしまった。


「あたいは座れって言ってんだよ」


 白眉のを利かせた声に、少年は一瞬身をちぢみこませるが、すぐに意気を取り戻して、彼女から逃れようとする。


「この、放せ無礼者が」


 しかし、隻腕せきわんではあれど筋骨きんこつえる彼女の腕は、易々やすやすとその抵抗を抱きおさえてしまう。

 そしてその手はそのまま酒瓶へと伸びた。


「大人しくしときな。 で、何が聞きたいんだい」


 言って、白眉は少年を抱えたまま器用に瓶を傾けて酒を飲む。

 口からこぼれた酒の筋があごを伝って少年の鼻先に落ちると、彼は顔をしかめた。

 おまけとばかりに、白眉は少年へ息を吹きかける。


 ――酒臭っ。


 子供だねぇ、と笑う白眉へ、少年は胸に抱かれながら、いい加減にしろとばかりに言葉を強く問うた。


「女、おまえの名は何という」


「やっぱりあたいを口説くどこうってんじゃないのかい。 まあ、隠すような気も無いけどさ。 あたいは白眉はくびってんだ。 昔はそれなりに美人で名が通ってたんだけどねぇ」


 今じゃすっかり無頼ぶらいだけどよ、とげらげら笑う彼女へ、少年はその答えが分かっていたようで、やはり、と嘆息たんそくした。

 そして――


白眉はくびよ、ここで死ぬがよい」


 少年は隠していた短刀を懐から抜き放つと、白眉はくび喉元のどもとへ切っ先へ突き立てる。


「女の股座で言っても、恰好かっこうなんざつかないよ!」


 が、否や白眉はくびはその手を軽く叩いて得物えものを奪い取ると、そのままの勢いで少年を床へ組み伏せ、大の字で押し倒す。

 重なりそうなほど顔を寄せ、目と目を合わせる。

 その身のこなしや眼光がんこうはくぐってきた修羅場しゅらばの数を思わせた。


「よしときな。 あたいの方がお坊ちゃんを好き放題にできる立場にあるんだからさ。 で、何が目的だい? 買った恨みの心当たりは色々とあるがね」


「くっ……殺せ。 もはやお前をどうにかしなければ、予には帰る場所がないのだ。 そうでなければ死ぬしかない」


 奪った短刀で首を掻き切れと、少年は白眉はくびへ喉元を開く。

 その必死さに怒気どきがれて、白眉はくびはふぅと息を吐き捨てて冷静になってみる。

 と、そこで押さえつけた少年の手首に、見覚えのある腕輪うでわがあるのを見て取った。


 彼女は短刀を届かない所まで投げ捨て、少年を解放する。


「――あんた、あたいの夫って訳かい」


 白眉はくびかべにもたれかかって、片膝かたひざを引き寄せると座り直した。

 何か抵抗をあきらめたような彼女の前で、少年は膝立ちすると一つうなずく。


「いかにも、予こそは蒼帝嫡子、御缶みほとぎである。 お前のせいで予はいつまでも御缶の産湯うぶゆに浸かる赤子の扱いだ」


 そう言って白眉はくびに改めて腕輪を見せつける。

 精緻せいちに装飾を施された木製それは、彼女が嫁入りに際して夫となる者に贈るため、手ずから作ったものだった。

 だから彼女が見間違えるはずもない。


「悪かったね。 今じゃずいぶん後悔してるんだよ」


 身分だけでなく片目と片腕も失って、この十年という月日の中で白眉はくびは己の姿が何かに映り込むにつけて思い知るのだった。

 ほこりまみれの生活に合わせて体には筋が隆々りゅうりゅうって、顔には大きく傷があって、乙女というより武人のちである。

 ほこりだった美貌はどこにもいないのだぞと、その度に突きつけられるのだ。

 それに、今初めて知った事ではあるが、嫌がって突っぱねた夫は月日を重ねれば自分好みの男になったではないか。

 あそこで耐えて、赤子を自分の思うとおりに教育してしまえば、今頃は色々とたのしめたのではないかと思うと、白眉はくびはそれがたまらなくくやしかった。

 誰も同情しないだろうが、全てを失っておいて馬鹿馬鹿しくなる結末である。


「こちらは後悔どころではない。 蒼国の男は嫁に逃げられたら、己の手で殺すまで次の嫁を取れん」


 言いながら、御缶みほとぎは自分の半生を振り返ってか、震えだした。


「生後間もなくあてがわれた嫁に逃げられ、しかも、大耳王たいじおうは勝手に追い出してしまったと言ってはばからず。 お前は行方知れずのまま。 物の分別ふんべつがつくようになってからこれまで、予はずっとお前を探してきた」


 嫁を取れないという事は子供を望めない。

 帝室の嫡子として、自らの跡取あととりを作れないという事は即ち、帝位の継承権を得られないという事につながる。

 間もなく弟が誕生たんじょうし、生まれながらに何の期待もされなくなってしまった少年の宮廷生活はひどくみじめなものだった。

 白眉はくびを探し出そうにも一介の皇子にはしたがえる部下も少なく、独力で広すぎる土地から彼女を見つけることがどれほど過酷かこくきわめたか、もはや筆舌ひつぜつに尽くし難い。


「分かった分かった。 むざむざ殺されてやる気はねえが、あんたの嫁に戻ればいいんだろ」


 回想になみだをにじませる御缶みほとぎをなだめて、白眉はくびは再び彼を抱き寄せた。

 よしよしと頭をでる。

 大きすぎる胸に押しやられて開き過ぎた白眉はくびの胸元へ顔をうずめて、御缶みほとぎは目の前の褐色を涙でらした。


「今更、お前のような下賤げせんちた女を迎えられるものか……!」


 言葉とは裏腹に、白眉の背に両手が回った。

 それは死んでも手放さないと言っているのか。

 または死ぬまで逃がさないと言っているのか。


「これからあんたがあたいにれちまえばいいだけの話だろ。 出来なけりゃその時、改めて命のやり取りをしてやろうじゃないかい」


 だからこれからあたいの宿へ来なよ、と誘おうとするが、白眉はくびの腕を逃れて起き上がった御缶みほとぎは乱れた服を整えた。

 目には涙もなく、さっぱりとした顔になっている。


「ふん、せいぜい足掻あがいてみよ。 だが、予は一刻いっこくも早くみやこへ帰りたい。 これからの旅路たびじにお前も同行どうこうしてもらうぞ」


 そう言って、部屋の一角にある窓から遠方、蒼国の都のある東を望んだ。


「途中、帝室の霊廟れいびょうがある。 そこへたどり着く前に予をなびかせてみよ」


「上等じゃないか。 覚悟かくごしときなよ」


 白眉はくび御缶みほとぎ背後はいごに立つと、張り切ってその背をばしんと叩く。

 咳き込みながら、御缶みほとぎ一瞬いっしゅん開けかけたように感じた自分の前途ぜんとを不安に思うのだった。

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