* 4 * <終>

 それは、私の写真だった。あの時お兄様が撮影し、ギルと離れ離れになるときに彼に渡した写真。


「帰国した際王宮に招かれた時に、女王陛下にお見せしたんです」

「この写真をですか!?」


 驚きのあまり、悲鳴のような甲高い声が出てしまう。それを聞いてギルは笑ったけれど、笑い話じゃない。怒った私が問い詰めると、ギルは少しだけ慄いた。


「陛下はリリィが着ていた着物にとても興味をお持ちになりました。ハノーヴ国とは全く異なる、独自の文化を築いた装束。私にどう着るのかとまで質問なさるくらいに。王宮のお抱え記者が、その様子を記事にしたのです」


 女王陛下が遠くの島国の文化、しかも戦時中は敵対関係にあった国に興味を持った。そのきっかけとなった少女は陽本国のプリンセスであり、どうやらこの国の英雄と結婚の約束をしているようだ。そんな話が雑誌に掲載されるやいなや、国中で話題になったらしい。


「もちろん、賛否両論ありましたけどね。私も結婚なんてやめた方がいいと言われたこともありましたし。まあ、私は皇女殿下を愛しているのでと言ったら舌打ちしていなくなりましたけどね」


 そう言ってギルは胸を張る。


 しかし、ありがたいことに……反対の世論は少しずつ小さくなっていったらしい。


「この一見幼いように見える少女が成り上がりの将校の元に嫁ぐというのが、とても健気に映ったようです。そして、戦争はもう終わったのだからいがみ合うのはやめて、少しでも友好的に近づいていこうと……それでようやっと、国交正常化に向けての対話が本格的になったんです」

「でも、新聞にはそんなこと書いてありませんでしたよ」

「話し合いは水面下で行われていましたから。一進一退であまり進まないこともありましたし……変な情報が伝わって貴女が不安になったら困りますし」


 そんな事で私に気を使って手を回してくれていたのだと思うと、胸が温かくなる。


「それで今、ハノーヴでは空前の陽本国ブームが来たという訳です」

「え?」

「あれ? ご友人から聞いてませんか、確かこちらに渡って輸出入業をしていると聞いていたのですが」

「京子さんですか?」


 そう言えば手紙で、最近話しかけられることが増え、お父様と婚約者の方が忙しくなったと書いてあった気がする。そうなったきっかけも、どうやら私の写真のようだ。


「画して、私たちが望んだ世界にまた一歩近づいたわけです」


 ギルはそう話を終え、私の左手を取った。その手には、輝く宝石の指輪がある。陽本国とハノーヴ国、その二つの国の未来も、同じように輝くように祈りながら私もそれを見つめた。


***


「大分整ったな」

「えぇ、皆さんのおかげで」


 ドタバタとしながら会見を終えて、結婚への準備が始まった。私たちが結婚するのはお兄様と多恵子お姉様が結婚した後だけれど、やらなければいけないことはたくさんある。私とお兄様の目の前には、花嫁衣装が2着並んでいた。


「しかし二つも着るなんて贅沢だな」

「陽本国とハノーヴ国、両方で式をあげることになりましたからね。それぞれの様式に従ったまでです」


 真っ白な打掛の隣に、同じく真っ白なドレスが並んでいる。


「でも、あっちの国に渡るのはしばらく先になるのだろう? まだ早いんじゃないか?」


 私もそう思ったのだけど、ギルの行動は素早かった。婚約指輪をくれた翌週にドレス職人を連れてきて、あれこれと採寸され、二人でドレスのデザインを決めてしまい注文した。お兄様は「さすが中尉……いや、少佐殿だな」と呟いていた。


 結婚をしてしばらくは、まだギルの仕事の都合で陽本国に滞在することは決まっていた。しかし、いずれはハノーヴ国に移り住む。トクもその準備の真っ最中で、今モニカからハノーヴ語のレッスンを受けている最中だ。時折トクがモニカに小言をいう声が聞こえてきて、帰っていくときのモニカは少しだけ背筋がいい。これだと、どちらがレッスンを受けているのか分からないくらいだ。


 私の花嫁衣装を見回していったお兄様は「忙しいんだった」と言って帰っていく。こうやって兄の事を見送るのも、あと何回できるだろうか。そう思うと、少しだけ寂しい。


 私は時間があれば、庭に出るようにしていた。お母様とお父様、そして私たち家族が愛した庭。ここで過ごす時間も限られているから、目に焼き付けておきたいのだ。しばらく東屋でぼんやりと庭を眺めていると、足音が近づいて来るのが分かった。振り返ると、ギルが微笑みながら片手をあげていた。


「またここにいらっしゃったんですね」

「えぇ」


 本格的にあちらの国で暮らす前に、一度、ハノーヴ国に渡ろうと二人で決めた。どうやら女王陛下が私に会いたくて仕方がないご様子らしい。とても光栄なことだった。私もすぐに女王陛下にぜひともお会いしたいと手紙を送った。その時は和装をしていこうと心に決めていた。それが、文化も言葉も違う双方の国の友好の証となればいい。


「結婚指輪のデザインが上がってきましたよ」

「わぁ! 本当ですか?」


 彼は胸ポケットから白い封筒を取り出して中身を取り出した。パラリと開くと、二人で考え抜いて決めた結婚指輪のデザイン画が現れた。百合の花をモチーフに、ハノーヴの職人に彫ってもらう予定だ。


「素敵ですね」

「気に入ってくれましたか?」

「えぇ、とても。出来上がるのが楽しみです」


 私たちは顔を見合わせて笑う。二人で並んでいるだけのありきたりな日常でも、幸せで満ち溢れそうになっている。私が指輪のデザイン画を見ていると、ギルが左手を取った。


「指輪は?」

「あ、あれは……宝石が割れてしまったら困るから、ドレッサーに仕舞っています」

「せっかくですから毎日つけてくださいよ。それに、あれは簡単に割れるような宝石ではありませんよ」


 そのままギルは私の手をぎゅっと握る。


「リリィは本当にこの庭が大好きなんですね」

「えぇ。別れるのが寂しいくらい」

「それなら、ハノーヴで建てる家にもこんな庭を作りましょうか」

「いいんですか?」

「かわいい奥様のためですから」


 そんな甘い言葉に照れてしまうと、隣でギルは「慣れてください」と朗らかに笑っていた。


「……もしこんなお庭が出来たら、私、お茶会を開きたいです」

「お茶会ですか?」

「あちらでお友達を作って、お招きするんです」

「いいですね。本当にいい夢だ」


 ギルは私の手を持ち上げ、薬指に口づけを落とした。


「ギルは、夢はないんですか?」

「……そうですね。ああ、一つあります」

「何ですか?」


 私が問いかけると、ギルは私の耳元に唇を寄せ、そっとこう囁いた。


「私の夢は――早く貴女と一緒に暮らすことです、リリィ」


 その優しくて甘い囁きに、めまいを起こしたかのように目の前がくらくらと揺れていく。私も、と照れながら小さな声で返すとギルは「良かった」ともう一度、囁く。そして互いに唇を近づけていた。


 二人で新しい夢に向かって歩むことができる日々に感謝するような、そんな柔らかな口づけだった。


~*~ 終 ~*~

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敗戦国の皇女様と元敵国の将校さん indi子 @indigochan

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