* 3 *


「今日の早朝に船でこちらでついて、先に進駐軍に行かなければいけなくて……そこでモニカに会ったんですよ」


 その時、モニカにも散々文句を言われたあと、こう告げられたらしい。


「『これから百合子のところに行って、彼にダンスレッスンをつけてもらうノ。指くわえて見ていなさイ』って……隣にいた将校は何だかニヤニヤしているし、それで」

「それで?」

「気づけば連絡もせずに、こちらに来ておりました」

「もう!」


 胸のあたりを叩くと、ギルは申し訳なさそうに笑った。


「だって、嫌じゃないですか? あなたのこの手を、他の男が握るだなんて」


 ギルはそう言って、私の手を取った。


「あなたの手を握ることができる男は、この世界で私だけだ。ダンスのレッスンは私が付けます。それでいいですね?」

「……私も」

「ん?」

「ギル以外の方と踊るのは嫌だったから……う、嬉しいです」


 もう一度、彼は笑う。今度は満足感に満ちた表情だった。それに釣られて私も笑みを作ると、彼は大きく深呼吸をした。


「リリィ……いや、百合子様」

「え?」


 彼は跪き、胸のあたりから何か取り出す……それは小さな箱だった。ゆっくりと彼がそれを開けると、中には大きな宝石がついた指輪が入っていた。


「……これは?」


 私が首を傾げると、ギルは「あれ?」と拍子抜けするような声を出す。


「エンゲージメントリング……こちらの国の言葉で言うと、婚約指輪でしょうか?」

「婚約、指輪?」

「えぇ、結婚したい女性に渡す指輪です。……リリィ」


 彼の瞳を見ると、少しだけ潤んでいるようにも見えた。その奥に映るのは、まだ困惑している私の姿。ギルは意を決するように口を開く。


「私と結婚してください」


 緊張しているのか、彼の言葉は強張っているように聞こえた。私の返事なんてもう決まっているのに。


「不束者でございますが、どうぞよろしくお願いします」


 私はその箱ごと彼の手を握る。ふっと彼の緊張がゆるみ、ギルは立ち上がった。


「手、出してください。左手」


 言われるまま私は左手を彼に向かって差し出す。彼はその手を取り、その指輪をゆっくりと薬指に嵌めていく。太陽の光を反射した宝石は、目が眩むほど輝いている。


「ありがとうございます。あの、お返しがしたいのですが」

「いいですよ、私がしたいだけなので」

「こんな素晴らしいものをいただいて、私だけ何もしないという訳にはいきません」

「あはは、リリィは真面目ですねぇ。それなら、会見の時はそれをつけて隣でニコニコと笑っていてくださればそれでいいですよ」

「……カイケン?」


 耳に馴染みのない言葉に私が首を傾げると、ギルは目を大きく開け驚いていた。


「……まさかとは思いますが、皇太子殿下から話を聞いていない、とか」


 話って何ですか? と聞こうとした瞬間、再びトクの叫び声が聞こえてきた。


「もぉー、今度はなに?」


 話だって途中なのに。私とギルは叫び声が聞こえてきた玄関に向かう。すると、トクは手に新聞を持ち廊下を這いながらこちらに近づいてきた。また腰が抜けたみたいだ。


「ゆ、ゆ、ゆ、百合子様、大変なことになっておりますっ!」

「今のトクの方がよっぽど大変じゃない」


 私は彼女から新聞を受け取る。そして今度は、私が叫ぶ番だった。


「あぁ、やっぱり。その反応は何も聞いていなかったんですね」

「な、なんですかこれは! こんなことになっているなんて、私、全く知りませんっ!」


 新聞の一面には、私が公務に出た際に撮影された写真と軍服をしっかり着たギルの写真が並んで掲載されていた。見出しには大きくこう記されている。


【珊瑚樹宮百合子皇女殿下 婚約内定】

【相手はハノーヴ国軍少佐 ギルバート・カーター氏】


 一面に書かれていたのは、それだけではなかった。


「……国交正常化が成立するのですか?」

「えぇ、おかげさまで」


 陽本国とハノーヴ国、双方で国交正常化について基本合意し、年末までに渡航制限を緩和するとこれも大きな記事で書かれていた。


「お兄様は、朝刊でこの発表であることを知っていたのですか?!」

「えぇ。ご自分がリリィに話しておくとおっしゃっていたのですが……」

「また忘れたんだわ」


 申し訳なさそうに笑う兄の姿が目に映る。けれど、喜びで満ちている私からはため息は出てこない。指輪がきらりと光った。


「国交正常化が成ったのも、全てリリィのおかげなんですよ」


 ギルがそう柔らかく笑う。私が「どういうことですか?」と言うと、再び胸ポケットから何かを取り出した。

 

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