前借り

@HasumiChouji

前借り

「失望しました。貴方の作品の女性キャラ達は、私に、学校や職場でセクハラやパワハラと戦っていいのだ、と云う勇気を与えてくれていました。しかし、その貴方が、女性アシスタントに、あんな事をしていたなんて……」

 俺の女性ファンが、SNSに書いたその書き込みは……6桁の「いいね」が付いて、今も拡散され続けていた。

「おやおや……大変な事になりましたねぇ……。おっと、そう言えば……何年ぶりでしたっけ?」

 自宅の居間には、いつの間にか、人当たりの良さそうなダークスーツに眼鏡の中年男が現われていた。

 こいつは……十数年前に契約した「悪魔」だった。


 その頃、俺の漫画は……少しづつだが売れなくなっていた。

 理由は判っていた……才能の枯渇。

 気付いたら、もう四十過ぎだ。俺自身が、今の時代や流行についていけなくなってるのかも知れない。

 このままでは、生活も厳しくなり……アシスタントも雇えなくなり……そして、漫画家としても忘れ去られていく。

 連載が終り、単行本用の手直しが明日から始まるその日、ずっと昔、ホラーものの作品を書いた時の資料として、国会図書館でコピーしたある本の一部を本棚の奥から取り出した。


 何も起きない……そりゃそうだ。

 悪魔を呼び出す魔法の儀式とやらを終えて十数分経っても、悪魔が出現する気配は無かった。

 やれやれと思いながら、机に戻りエナジードリンクを片手にPCを立ち上げると……。

 何もやってないのに、WEBブラウザが起動し、聞いた事もない……動画サイトらしきWEBページに接続された。

「ああ、どうも……ちょっと、今日的な現れ方を工夫してみたんですが……お気に召しましたか?」

 画面の中には、人当たりの良さそうなダークスーツに眼鏡の中年男。

「どうも、貴方が呼び出した『悪魔』です。今回は特別サービスで……魂無しに貴方の願いを叶えましょう」

「ちょっと待て……あんたが本当に『悪魔』だとしたら……親切過ぎないか?」

「魂は……貴方が2回目の願いを望んだ時に頂きます。つまり……今回の願い以降、貴方が貴方自身を、私の力が必要となる状況に追い込みさえしなければ……貴方の魂は無事です。現世でも……多分、死んだ後でも」

「おい、あからさまに罠にしか思えないぞ……」

「では、お試し期間です。貴方は……早ければ、明日にでも、次の作品のアイデアを思い付くでしょう。その後に1回目の本契約をするかを決めて下さい」


 悪魔の言った通りになった。

 結局、俺は「魂を取られない1回目の本契約」をした。

 それからだった。

 中の下ぐらいだった俺は……一気に有名漫画家になった。

 不思議な事に、俺の描いた漫画は「流行に乗って」いたのではなかった。

 ……それ以降の「定番キャラのテンプレ」や流行を偶然にも先取りし続けていたのだ。

 まるで、俺が、新しい時代を作っていくようだった……。


 六十近くなっても、俺は、新しい作品を次々と生み出した。

 それも、「流行や世の中の趨勢を一歩先に描く」ような作品を……。

「そう言や、どうしたんだ? 結局、当分はアシスタントを続ける気なの? いいアイデアが有るなら、編集者に推薦してもいいけど……」

 俺は、ウチのスタジオに入って1年半ほどの若い女性アシスタントに、そう声をかけた……。

「それが……思い出せなくなったんです」

「えっ?」

「以前有った筈のアイデアが……全く思い出せなくなって……。以前のアイデアメモを見ても、その時、自分が何を考えて、こんなメモを残してたのか判らなくなって……」

 そのアシスタントは、俺に、そう、答えた。

「変ですよね……。ちょっと、疲れてるのかも……」

「ああ……何なら……俺が……アイデアの相談に乗ってもいいよ」


 数ヶ月後、俺がその女性アシスタントにやった事が……SNSで暴露された……。要は、セクハラ・パワハラとして……。


「なぁ……一つ聞いていいか? 俺のアイデアの源は何だったんだ?」

「簡単な話ですよ。私は、貴方に……貴方のアシスタントが未来に描く筈の話を無意識の内に横取りする能力を与えてたんですよ」

「なっ……おい……待て……」

「だから、貴方は新しい話……価値観に基いた作品を描けたんですよ……。ですが……、貴方自身は……古い価値観の人間のままだったみたいですけどね」

「お……おい……何が望みなんだ?」

「いやねぇ、ここ数百年、人間社会は少しづつだけど良くなってる。人間の言葉で云うなら……差別や偏見が人間社会全体から、少しづつ減っていっている。でも、私達にとっては、あんまり良くない状況なんですよ。人間の世界に理不尽な事が有ればこそ、地獄に堕ちる魂も増えてくれるんでね」

「だから……何が言いたい?」

「どこかで時計の針を巻き戻したいんですが……それには、ちょっとしたエネルギー源が必要でしてね……。私が使う魔法の『エネルギー源』になる事を同意した生きた人間の魂が1つ。ああ、原理を説明するとややこしくなりますが……その『魂』が消えても、肉体や脳は、それまで通り、正常に機能し続けます」

「おい……まさか……やってくれるのか?」

「ええ、貴方の今の望み通り……漫画家がアシスタントにセクハラやパワハラをやっても、それの何が悪いんだ、と思う人間が多くなる世の中に変えてあげますよ……。貴方の預金が尽きる前に、貴方は社会的生命を取り戻し、漫画家として活動を再開出来るような御時世になってるでしょう。代償は1つ。貴方が死んだ時、天国にも地獄にも行けなくなる事……。この魔法を使うと……貴方の魂は消滅するので」

 俺は、当然ながら同意した。

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