ガラスの靴

月丘ちひろ

第1話

 ある私立中学校に一人の少年がいた。

 少年は美術部に所属し、放課後になると誰より早く美術室に入り、誰もやりたがらない造型にのめりこんだ。彼は生物を模倣するのが好きだった。それは美しく翼を広げる白鳥や、荒々しく鮭を引きちぎる熊等様々で、展覧会で入賞もした。そんな彼が人体制作に興味を示すのは必然だったかもしれない。


 そういうわけで彼は制作する人体のモデルを探した。多感な彼は無意識に異性の体躯を意識した。生徒間で密かに評価される彼の前には、モデル志願の女子生徒がいた。それこそお金を払わなければいけないモデルだったが、少年は彼女から着想を得られず、作業は手つかずのまま、下校することを繰り返した。


 校庭のトラックを走るショートカットの少女に出会ったのはそのときだった。細身の体にカモシカのようなしなやかな脚で、浮き上がるようにハードルを越えていく。そんな少女から目を離すことができなかった。そして少年と彼女の目があった。彼女も少年を見たまま硬直していた。


 引くに引けなくなった少年は意を決し、彼女にモデルを依頼した。下手をすればセクハラにも取れる依頼であったが、少女は少年の熱意に圧倒され承諾した。少年は部員が帰った後の美術室に彼女を連れこみ制作に打ち込んだ。彼女の体躯は少年が思い描くものに近く、模倣する程に高揚感をもたらせた。


 一方で、少女はじっとすることが苦手で、気を紛らわすように少年に語りかけた。彼女は走ることが好きで、将来は陸上競技の国際大会に日本代表として出場することを夢見ている。彼女の体躯は未来へ向かう希望に溢れていた。それが少年の心を惹いたのだった。だが、少女にこう言われたとき、少年は硬直した。


「キミの夢は? 芸術家になること?」

「……よく分からない」

「大丈夫だよ! すぐに見つかるよ!」

「そうかな?」


 少女は笑った。


「私もがんばるから、一緒にがんばろ!」


 少女の力強く暖かい声に耳を傾け、少年は創作に打ち込んだ。

 だけどその作品は日の目を見ることがなかった。数週間後、彼女は大きな事故に巻き込まれ、脚を失ったからだ。彼女は陸上の世界でも期待されていた選手で、事故を嘆く人は多かった。当然彼女自身のショックも大きいはずだった。だから少年は彼女にトラウマを呼び起こさないように美術室の倉庫に作品をしまった。だが、後々にその行為は間違いだと気づかされた。


 きっかけは少女の両親が少年の家を訪ねてきたことだった。少年は少女の両親に連れられ、彼女がリハビリしている病院に向かった。そこで少年が目にしたのは義足で動く訓練をする少女の姿だった。彼女は額から汗をにじませ、必死に義足となった足を動かしていた。


 そんな彼女の現状について、少年は両親から伺った。曰く、一緒にお互いの夢を叶えようと約束した人がいるから諦めたくない。だから義足で走れるようになりたいということだった。


 そのとき、少年は訓練中の彼女と目が合った。彼女は堅くなった口角を無理矢理あげて、満面の笑みを作って見せた。少年はそんな彼女に歩みより同じように笑った。


「オレも夢を見つけたよ!」


 数日後、美術の展覧会に義足の少女の造型が展示され、たくさんの来場者の目を引いた。

 表題は『ガラスの靴』

 タイトルがあまりにも唐突だからか、その作品は入賞しなかった。


 そして現在、この作品のモデルとなった少女は、『シンデレラガール』の異名で知られる選手となり、夫の制作した義足でトラックを駆け抜けているという。彼女は今、夫とともに国際大会出場の夢を追いかけている。

 

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ガラスの靴 月丘ちひろ @tukiokatihiro3

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