Tale of Resume 〜罪科の白木蓮〜

初見 皐

Tale of Resume 〜罪科の白木蓮〜

 キュッキュッ、と早朝の処女雪に足跡を残して、冬月ふゆつきゆうは歩いて行く。


 ——これだけ降り積もった雪も、あの時ぶりだろうか。


 ——雪は、嫌いではない。俺に残された唯一の感情が、3年前のを忘れさせずにいてくれる。




 ——俺の贖いきれない《罪》を。






************************************






「この学校にいる奴を全員今すぐここに集めろッ!ガキも、セン公も、全員だ!ぶっ殺してやるッ!」



 雪の降る昼下がり、ちょうど昼休みに差し掛かろうという時だった。

 ——拳銃を握りしめて、狂気に染まったが、全てをぶち壊しに来たのは。



「——ッ!」


 あまりの恐怖に硬直する教師に痺れを切らしたは、近くの席に座っていた生徒を羽交い締めにし、拳銃を突きつけた。


「聞こえねぇのか!」


 血走った目で怒鳴り散らし、拳銃を持った右手を震わせるは、既に極度のプレッシャーと怒りで極限状態にあるようだった。


 両手を挙げた教師が放送室へ向かう間、教室に残された生徒たちは一列に並べられ、嗚咽を堪えて息を潜めた。


「ゆうちゃん……っ」


「黙ってろッ!」


 田舎の少ないクラスメイトの中でも、特に仲の良かった彼女は、今まで弱音を吐いたことなど一度もなかった。その彼女が、泣きながら助けを求めたのだ。


 ——なのに。


 何もできなかった。声をかけることすらできなかった。

 今動いたら彼女が危険だとか、先生の対応を待つべきだと考えた訳でさえない。

 恐かったのだ。この極限の状況で、自分のせいで何かが変わってしまうことが恐かった。誰の注目も浴びない、空気でありたかった。

 俺は自分可愛さで一度彼女を見捨ててしまったのだ。






「……?」


 教師が教室を出て、何分も経つ。放送室へ向かうだけにしては妙に長い。

 の焦りと苛立ちが目に見えて増していく中、ようやく全校放送が流れ始めた。


『雪町校長先生、雪町校長先生、お客様がお見えです。至急2年1組までお越しください。繰り返します。2年1組までお越しください。』






 ——それは、不審者侵入の、あまりにも遅すぎる合図だった。

 ——死刑宣告にも等しい、最悪の判断だった。



 こんなありふれた合言葉が、たった今2年1組を占拠しているに気づかれない道理がどこにある。


 凶相をさらに歪めるの腕の中で、彼女の顔が絶望に染まる。


 激昂したが最後の躊躇いさえかなぐり捨てて、拳銃の引き金を引く——その直前。


「やめろ……っ!」


 ———俺は、一度彼女を見捨ててしまった。


 ———もう二度と、同じ過ちは犯さない。


 ———彼女を、喪いたくない。


 ごた混ぜになった罪悪感や恐怖が、俺を突き動かした。


 やぶれかぶれに体当たりをかまし、拳銃を引ったくる。片手で握りしめられていたそれは、不意打ちによって呆気なく、俺の手に移った。


「お前——っ!」


 俺は、パニックに陥って掴みかかってくるに銃口を向け——

 引き金を、引いた。







 —————何かが壊れる、音がした。







************************************






 ——あの日から、徐々に俺の中から感情が抜け落ちていった。


 ——何を見ても。何を聞いても。


 ——俺の心には、届かない。



 ——俺の心は、幾重にも連なる欺瞞の殻に覆い隠されていった。






 ************************************






「——」


 ふと、物思いに耽っていた俺は足を止めた。


 ——雪町中学校。


 休日の早朝であるが故に人気の無いそこは、俺が3年間一度も訪れることのできなかった場所だ。


 俺がいた頃は休日も鍵のかけられていなかった校舎だが、あの事件の後に防犯対策が強化されたのだろう。鍵のかかった正面玄関を回り込み、裏口から校舎に入る。




「……今更怖気付いてどうするんだよ」


 短いはずの2年1組の教室までの道のりがやけに長く感じる。



「——」


 2年1組の教室のドアを開けると、花が供えられていた。供えられてからほとんど時間は経っていないように見える。


「……まだお供えしてる人いるんだな」


 そっと、その隣に持参した供花を供えて、手を合わせる。





 ——合わせた手に、水滴が落ちた。


「……?」


 雪が溶けて、雨漏りでもしているのだろうか。


 ——もう帰ろう。


「……何やってんだ」


 立ち上がろうとして、つまづいてしまった。


「どうして……っ」


 脚に力が入らない。壁に手をついて、体を支える。


「……立てよ。……なんで立てねぇんだよ……ッ」


 ——めまいがする。床に水滴が溢れる。呼吸が荒くなっていく。





 ———「キミがあの事件を悲しんでいるからだよ」


「……」


「久しぶり。覚えてる?カナエだよ」


「……そんなすぐに忘れたりしねぇよ」


 忘れられるはずがないのだ。3年前、人質にされた幼馴染、雪代ゆきしろ花苗かなえ。彼女が、いつの間にか隣にしゃがみ込んで、供花に手を合わせていた。


 ——予想はしていた。もしかしたら、誰かに出くわすかもしれないと。


「——この花って」


「そう。私が供えたお花だよ。今日で事件からちょうど3年だもん。今日くらいは来ようと思って」


 カナエは、先生から特別に裏口の鍵を借りて、毎年この日にはお供えをしているのだという。


 ——自分が、責められている気がした。


「懐かしくなって校舎を回ってきたらユウちゃんが居るんだもん。びっくりしたよ」


「……そっか。……それで、どういうことだ?俺が悲しんでるって」


 悲しみなんて感情、とうに忘れてしまった。


「そのままの意味だよ。ユウちゃんはあの事件を悲しんで、後悔してる。もっと他の方法もあったんじゃないかって、悩んでる」


「……違う」


 ——悲しんでも、後悔してもいない。俺はただ、。自らの罪を。俺が殺した男の返り血を。そして俺の停滞した日常が壊れてしまうことを。

 ——ひどく利己的な感情だ。


「いいや、違わない。悲しんでるから、キミは涙を流してる。後悔してるから、ここに来たんだよ」


「俺が今更悲しむ……?後悔する……?そんな事、許されないだろうよ……。殺しておいて、やめておけばよかっただなんて、言っていい訳がないだろ……ッ」


「——。見せたいものがあるの。ついてきて」


 何かを決心したように立ち上がり、カナエはきっぱりと言い切って強引に俺の手を引いた。






************************************






「——ハクモクレン?」


 カナエに手を引かれてたどり着いた場所は、雪町中学校の校花であるハクモクレンの大木の根元だった。春先に純白の花を咲かせるハクモクレンだが、葉を落として冬を越す蕾をつけた姿はどこか寂しそうに見えた。


「知ってた?ハクモクレンの花言葉って、『高潔な心』なんだって」


 ——俺とはまるで違った言葉だ。


「これ、開けてみて」


 俺の思考を読み取ったかのように悲しそうな顔をするカナエは、しゃがみ込んで落ち葉をどかし、浅く埋められていた頑丈そうな箱を引き抜いて俺に差し出した。


「手紙……?」


 受け取った箱を開けると、沢山の手紙が入っていた。


「あの事件の後、ユウちゃんは何も言ってくれないまま引っ越して行っちゃったけど、みんなで決めたの。もしキミがこの町に戻ってくることがあったら、これを見せようってね」


 ▼□▼□▼□▼□▼□


 ——僕たちを助けてくれて、ありがとう。——


 ——子供を守ってくれて、ありがとう。——


 ——背負わせてしまって、ごめん。——


 ——気に病まないで。——


 ——いつでもウチに顔出してね。——


 ▼□▼□▼□▼□▼□


「遠くの学校に行って、引っ越しちゃった子も多いけど、キミを少しでも知ってる人なら、きっとみんなこう言うよ。『君は勇敢だった』って。キミはキミを赦していいんだよ」


 どれもベタな言葉だったが、本当に心からの言葉なのだと感じた。


 ——でも。


「……みんながこう思ってくれていても、俺が人殺しだって事実は変わらない」


 ——俺が殺した男の関係者からの手紙は無かった。俺は、彼らと直接会ったことが一度もなかった。彼らはそれを望まなかったのだ。——赦すことも、責めることさえもしてくれなかった。


「俺が自分を赦すなんて……。俺の殺した人も、ご遺族も、そんなの浮かばれないさ……。俺にそんなこと、許されないよ……」


 ここにきて、身勝手で薄っぺらい偽善ばかり並べ立てる自分が憎かった。

 人殺しが、自らの手で殺した男の何を語ると言うのか。




「私が、許すよ」


「は……?」


「キミがキミを赦せなくても、私がキミを赦してあげる」




 ——ワタシガキミヲユルシテアゲル


 何を、言っているのか。俺に赦されることは許されない。それなのに俺を赦すなどと、彼女は何を考えているのか。

 訳の分からない衝撃が全身を駆け巡り、胸の中で爆発した。


「俺を……赦す……?」


「ユウちゃん?」


「ふざけるな……ッ」


「赦すなんて、軽々しく言うんじゃねぇ!」


「あの日から、俺が何をしてきたかわかるか!?」


「何もしてこなかったんだよ……ッ!薄っぺらに笑って!何も無かったみたいに取り繕って!償いなんて何ひとつしてこなかった!自分のことばかり考えてたんだよ!俺なんかに赦しを得る資格なんてないんだよ……ッ!」


 ——怒鳴る矢先から、自分のことばかり考えている自分が大嫌いだった。


「俺は俺が大嫌いだよ……ッ!いつだって自分のことばっかりで!自分は被害者なんだって、心まで殺して自分に言い訳をして……ッ!この場所に来てこのことにはケリをつけようなんて……。忘れてしまおうだなんて……思って……っ」


 ——こんな自分に、全てを知っていながら優しく声をかけてくれた彼女に、溜まりに溜まった鬱憤をぶち撒けて、醜い自分を守ろうとする自分がおぞましかった。



 ——それでも。


「私が、赦すよ」


 ——彼女はユウを見放してはくれなかった。


「どうして……ッ」


「ユウちゃんは自分の罪にちゃんと向き合おうとしてる。3年も経っちゃったけど、この場所に戻ってきた。キミにはすごく恐ろしい場所のはずなのに、ちゃんと」


「違う……っ」

「そんなじゃないんだ……。そんな立派な理由じゃ——」


 ———「私の話を聞いて……っ!」


 ユウの言葉を遮って叫んだカナエは、瞳に涙を浮かべていた。

 あんなにユウの自らを傷つける言葉を聞いて、彼女だって傷つかなかったはずがないのだ。

 抑え込んでいた感情を露わにし、自らの殻に閉じこもろうとするユウを必死に引き留める。


 涙を浮かべながら、それでも尚微笑んで。


「ユウちゃんは、この町の——私の、英雄なの」


 ———自分のことが、許せないけれど。


「みんなの手紙、読んだでしょう?キミのしてくれたことに、助けられた人が何人もいるの。あのとき、ユウちゃんが動いてくれなかったら、みんな殺されてたかもしれない。私だってそう。私を助けてくれた、英雄なの」


 ———そんな自分に、助けられたと言ってくれる人がいて。


「俺は……」


「私も、みんなも、怖くて動けなかったのにキミだけが動いてくれた。キミだって怖かったはずなのに、勇気を出して。それは誇ることであっても、恥じることじゃないよ」


 ———そんな自分を、赦すと言ってくれた人がいて。


「……俺は、赦されても……いいのかな……?」


「私が、赦すよ。 犯してしまった罪は消えないけれど、これからは私にも一緒に背負わせて。もう一度、歩き出そう」






 ——人は皆、罪を積み重ねながら、それでも前を向いて生きていく。誰かに手を引かれて。誰かの手を引いて。


 ——背負った罪の重さを、時々思い出しながら。


 ——身勝手に。独りよがりに。


 ——それでも、罪を償って歩いていく。


 だから——




「——俺を……赦してくれるか?」


 情けなく、笑って。

 初めて、赦しを乞う。


 ——失ったと思っていた心が。


 ——冷たく凍りついていた心が。



「赦すよ」


 心から嬉しそうな彼女に、筋違いの赦しを得て。


 ———再び動き出した、音がした。


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