後日談と言われる少女の幻想

私には親友と呼べる存在がいた。けれども彼とは訣別し、その後顔を見ることも、残り香を嗅ぐことすら叶わなかった。いや叶うということは正しくはないかもしれない。


彼はいつも自分は狼だったと信じ込んでいた。それが正しいかどうかは僕には分からない。それでも僕には彼が嘘をついている。いや虚構に囚われるているようにしか見えなかった。彼の主張はいつも閻魔の前で簡単に見破れる嘘をタラタラと列ねる、無惨な羅刹の心を映し出していたのだ。しかし彼はその主張以外では、とても好青年であり、まるで悪魔が払われた後のようであった。


村の人間たちは彼のことを迫害しようとしていた。


かのアリストテレスは「人間はポリス的(社会的)生き物である」と自身の著書で述べた。これは正しいと私は感じる。なぜなら私達は此の言葉の体現者なのだから。

結局、私達は真実を見ようとせず、私達のみが持ちうる常識という名の法律で彼を断罪したのだ。自分たちの感性のみで。


人間には内集団に対するバイアスがかかり、内集団の人物を好意的に考え、果てにはその集団に自分のアイデンティティを持つ性質があり、外集団に対しては、固定観念を持ち、同質的に考える性質がある。つまり人間は他集団、他組織を悪だとしたとき、個別では考えようとはしない。これは歴史を見ても明白だ。ホロコーストにしても、ルワンダ虐殺にしても同じであるしサンバルテルミの虐殺も同じようなものだ。帝国ドイツも仮想敵をフランスに定めることで国をまとめていた。


では外に敵もいないような辺鄙ではどうなるのか。彼らは仲間内から黒い羊を探し出し、迫害する、そうすることで安寧を保っているのだ。


私は一番の標的である。彼(狼だった?少年)を助けたかった。結果的に言えばこれは不可能であった。他ならぬ私が、彼を卑下するようになったから。


あの夜、私は広い世界を見ることで瞞し、いや神秘に触れる必要があった。そうしなければ大木も流れる大河に飲み込まれてしまいそうだったから。一緒に彼も誘うことで、彼にもこの神秘に触れてほしかった。要するに…いやこれ以上は野暮ったい。彼はもういないのだから。

彼は来るなり、ソワソワ仕出して一向に空を見ようとしないどころか挙句「帰ろう」なんて言い出した。私はずっと待っているのに


そうこうしていると彼は私に或る問いを投げかけた、私が答えると彼は虚を突かれた(ように僕には見えた)反応を見せ、一言か二言、口を語漏らせると、今度ははっきりとした口調で「お前が狼なのか?」と聞いてきた。

その瞬間私の頭の中の赤い糸がちぎれ去り、その断面から解れた細い糸が私の顔をグルグル巻きにした。そうして僕はそのあとどうしたかは知らないが、その後彼のことを悪魔であり、人間らしい人間だと呼んでいたことは確かなのかもしれない。その後何はともあれ彼は一人になった。そして私は晴れて村の一員に加わった。


それから彼のことも過去になり始めて数カ月がたった後、ある羊飼いがこの村に来た。彼は『狼だった少年』を探していた。すると村人たちは嬉々としてこの話を真に受け、以前は嘘と断定した彼の言葉を信じ(たように見せかけたのか、そうでないのか、僕にはわからないが)彼をこの村から追放した。そうしてこの村には遂に平穏が訪れたのだ。


その数年後、この村に新たな住人がやって来た。村人は新たな住人を受け入れ、家を用意した。と言ってもその家とは親友だった彼の家だった。

そこで廃屋であった彼の家の整理が行われ、当然私も参加した。そこで私は彼の最後の手記を見たのだ。涙は一筋だけ零れた。


今はもう彼の姿は蜃気楼に包まれている。この話も私がいなくなれば陽炎のように実態を変えていくだろう、噂話なんてそんなものだ。だからこそ最後にこう書いておこう。


この話は虚構である。

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オオカミだった少年 犬歯 @unizonb

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