おまけ 百歳後の彼方へ


 康平六(一〇六三)、長月。衣川柵付近。


 脱柵の身ゆえ、柵を通る際は覚悟したが、応対したのは元親の知古の役人であった。

「これからどちらへ向かわれるつもりでありますか?」

 初老の役人の問いに、手形を手渡しながら元親が答える。

「ひとまず故郷へ。取り敢えず山城国の縁者を頼ってみようと思っておる。この通り腕に覚えも聊かあるし、まあ、何とかなるだろうさ」

 そう言って腰にぶら下げた大太刀を揺らしてみて小さく笑った。

「そういえば、そちらの御二方は?」

 背の高い元親の後ろに恐々と隠れるように顔を覗かせていた二人に目を留めた役人が尋ねる。

「娘じゃ。人見知りでのう。済まぬが、手形にもう二人加えてもらえると有難い」

「お安い御用で。軍監様には鬼切部からこの度の戦まで幾度命を救われたか知れませぬ故。ささやかな恩返しですわい。……しかしお気をつけられよ。落人狩りが一段落したとはいえ、磐井郡から栗原まで、まだ戦の残り火が燻っておりまする。くれぐれもご用心なされよ」

「感謝いたす。生きておれば、いずれ逢おうぞ!」


(……さらばじゃ。御曹司。生きておれば、またいずれどこかで――)


 柵の外まで見送ってくれた古い戦友に見えなくなるまで手を振っていると、ふと娘達二人が立ち止まり道端にしゃがみ込んでいるのに気が付いた。

 見れば小さな道祖神である。だれか供えた者があるらしく、紫色の可憐な花が生けられていた。

「深山竜胆でございまする」

「東和様が……貞任様がお好きだった花でございまする」

「一加姐様も何時も見つけては摘んでいらした」

 双子達の声に微かに嗚咽が混じる。

 無理もない。

 この娘らは全てを一度に失ってしまったのだ。

 故郷を、そして家族を。

「でも今はお父さんがいてくださいまする!」

「ずっと、ずっとそばにいてくださいまする!」

「……蘿蔔よ、菘よ」

「うふふ」

「えへへ」

 三人して立ち上がり、もう一度だけ北の方角を振り返る。

 恐らく、二度と戻ることのない故郷を。


「――もし? もしや御三方は、安倍縁者の御方か?」

 不意に話しかけられ、振り向くと、一人の旅の比丘尼と思しき女性が佇んでいた。

 その腕には一房の深山竜胆が抱えられている。

「……まさか、貴方様は?」

「中加姐様!」

 思わず双子達が飛びついた。

「生きておられたのか!」

 驚く元親に、にっこりと中加が微笑む。

「主人の供養、一族の供養、そしてこの戦で命を落とした全ての者達の供養をと行脚しておりました」

「中加姐様、うわあああん!」

 まるで童心に帰ったように泣きじゃくる双子達をあやしながら、ふと顔を上げて元親を見つめる。

「……よろしければ、拙僧も旅の道中にお供させてはもらえぬでしょうか?」

 中加の申し出に、双子達も顔を上げ、じっと元親の顔を見つめる。

 それに対し、元親は満面の笑みで頷いた。

「無論! 賑やかで楽しい道中になりましょう!」

「お父さん、まずは何処へ向かわれまするか?」

「そうじゃな。よし、まずは京の都じゃ! お前達、まだ都は見たことがないであろう? 京の都はでかいぞ! きっと腰を抜かすに違いないであろうぞ!」

 賑やかな歓声を響かせながら、四人の親子達は奥街道を遥か西へと目指し消えていった。


 数十年後、彼らが立った衣川柵の地が京を凌ぐほどの大きな黄金都として栄え、

双子達の末裔が元親の太刀を携え新たな物語を紡ぐことになるのは、それから百歳ももとせ先の出来事である。




 

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白狼姫 -前九年合戦記- 香竹薬孝 @me13064441q

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