最終話 実感できるもの

「え……うそ」


 だってそんな、いきなり。しかもこんなに早くわかるもんなん?


「さあ。風の噂やけど」


 風の噂、と言っても実際はこういう話は噂が立った時点でほぼ確定みたいなもん。


 そうか……誠司がまた、おらんくなるんか。


「まあ七年もおれたんや。充分じゃろ。悠吾もデカなったし」


 俺もお役御免や。チョコバナナを食べ終わった串を眺めながら呟くようにそんなことを言う。


 お役御免? なん言うてるんよ。


「……アホやな。父親がお役御免になることなんか、一生ないんよ」


 不覚にも涙声になってしまった。誠司は「ははん」と笑って立ち上がると、私の頭に軽く触れてからその目を伏せた。


「はーあ。寂しいなあ」


 あ。あかん。泣いてまう。


 すると誠司は串を近くのゴミ入れに捨てながら、「なあ、真知」と私を呼んだ。


 何気ない風を装ったその呼び方には、覚えがあった。それは、そう、七年前のあのお祭りの日。



 ──結婚する?



 今となっては幻やったとすら思える、あの発言。あの時の光景と、今のそれがどうしてかぴたりと重なる。


 誠司が言おうとする言葉が、はっきり読めた。




「……ついてくる?」

「行かへんってば」




 ほとんど同時に返してやった。相手はちょっと面食らった顔をしてから「くは」と楽しそうに笑う。


「俺のこと振るなん今やおまえくらいのもんやぞ」


「ふ……とんだ思い上がりやな」


 言って二人でくつくつ笑った。なんやろな、結婚なん……もう本当に、どうでもいいわ。


 幸せよ。幸せやもん。私。


 『実感できるもん』

 もうわかっとるよ。誠ちゃん。


「べつに遠くへ行こうがいつでも帰ってきたらいいやん。柏木商店は、もうあんたの家でもあるんやから」


 すると誠司はまた軽く笑って、「ほんなら、そろそろ帰ろか」と手を差し伸べてきた。


「うん……って、え? 手!? ちょ、なんで今更手なんか繋ぐんよ!?」


「ええやろがたまには。ほれ行くぞ」

「や、やめよ、恥ずかしい!」

「やっかましのー。黙っときゃ今でもそれなりに美人べっぴんやのに」

「は、はあ?」

「顔見してみ」

「……はあ!? なんで!」

「口。食べかす」

「へ? うそお」

「ほんまじゃ。ほれこっち見」

「ど、どこ」


 ずい、と顔が近づく。あ、騙された、と思った時にはもう唇がついていた。詐欺師は今も現役らしい。あかん、こんな外で、と思いながらも結局受け入れてまう自分が憎い。ふんわり甘い、チョコバナナの味やった。


「…………アホ」


「ははん。久々やの」


「アホ」


「ついでに今夜ほかの久々もやる? まだいけるじゃろ、悠吾と七つ差なら」

「アホっ!」


 繋いだままの手を振り払おうとしたのに敵わんかった。仕方なくそのまま歩き出す。


「悠吾に見られたらどうするんよ」

「べつにええじゃろ。喜ぶんちゃう」

「ええ?」


「『なんで結婚せんのじゃー?』て、この前風呂で言いよった」

「え、ほんま!?」

「ほんま」


「……なんて答えた?」

「そりゃあ」


 言いながらまた夜空を眺めた。今度はなにを言うんか全然読めん。


「男同士の秘密」


 な……そうきたか。

 まあ誠司のことやし、うまいことかわしたんやろうけど。


「あー、腹減ったなあ」

「チョコバナナ二本も食べたやん」

「足りん。やっぱ焼きそばやないと」

「まだ言う? だから作るってば」

「最速でよろしう」

「はー。ええ身分やなあ」


 憤ったふうに答えながらも、実はこっそり嬉しかった。愛おしかった。こいつ相手に、まさかそんなことを思う日が来るとは。


 どこへ行こうと、これからも私はここにおるから。ふらっと帰ってきたら、焼きそばでもカレーでも、好きなもん山ほど作ってあげるわ。


 やから、安心しい。


「真知」

「んー?」


「……ふふん。なんもない」


「は、またそれか」


 もう何度も聞いた、幸せな時の誠司のへんな癖。


「あー、やっぱカレーも食いたいなあ」


「ええ? そんないきなり作れんよ」


「なら明日。な。真知カレー、大盛りで」


「……もう。しょうのない奴やなあ」


 お祭りの後の夏の夜空には、星が眩しいくらいに煌めきよった。





  了



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隣の不良(クズ)とは結ばれません。 小桃 もこ @mococo19n

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