第54話 モロにあかんやつ
誠司は掴みかかられた状態で、一呼吸。すう、そして、ふうー。と長く吐く。無いはずのタバコの煙が見える気がした。
「結婚にどんくらいの価値があるんか知らんけど」
ようやく発したその声は、瞬くんのそれに対してとても静かなものやった。
「俺はそんな、形だけのもんよりもっと、実感できるもんをあいつに見せたい」
「は?」
挑発的な返し。その目は血走って、彼は今にも誠司に殴りかかりそうやった。
「ま、アホにはわからんと思うけどな」
なおも余裕を見せて誠司は軽く笑うと「クズはおまえじゃろ」と吐き捨てた。
当然相手は逆上して拳を振り上げる。あ、あかん──そう顔を伏せたその時。
「おお、そこまでそこまで。うーわ、モロにあかんやつやん、こんなん」
若い男の人の声。伏せていた顔をはたと上げてその姿を確認すると、誠司が相手の拳を余裕でかわしたところやった。
「はー、遅いわサク。あやうく殺されるとこやった」
誠司に『サク』と呼ばれるその男の人は、背中にPOLICEと書かれた紺色のベストを着用した長身の若い男性。つまり、警官さんということ。
「よう言う。誠司
言いながら誠司から引き剥がした瞬くんを簡単にねじ伏せてしまった。
「逆に殺してまうことはありそやけどな」
はは、と冗談ぽく笑うと尻もちを付く瞬くんの腕を掴んで「はい立ってくださいねー」と話しかける。なおも抵抗しようとする彼を「聞く聞く、署でなんぼでも詳しく聞くで」と慣れた感じで宥める。
「誠司兄がもしそんななったら僕が責任持ってお世話さしてもらいますんで」
「ほんならちゃちゃっと揉み消してもらおか」
「うはは、さすがに殺しは誤魔化せれんなあ」
誠司相手に親しげにそう笑うと「この人はこれから僕がこってり絞るもん、任してください。ほんなら」とやんわり敬礼をした。そして周りの見物人たちに「ご協力感謝しますー」と優しい顔で言いつつ、捕まえた瞬くんをずるずる引きずるようにして連行していった。
その警官さん、
遠ざかるPOLICEの字をしばらく唖然と見つめていたけど、悠吾が「おとう」と誠司に駆け寄って抱きついていて我に返った。
「なんでやり返さんかったんじゃ! あんなちいこい奴より絶対おとうのが強かろ!? 口やって絶対負けへんのに!」
心配とかやなくてそこなんや、と苦笑いを向ける。
「ギャンギャン吠えるんは弱い奴の印。ええか悠吾。ケンカはまず、目で殺す。ほんでから──」
おーい。変なこと教えんとってよ? 素直にうんうんと頷く息子を心配しつつ、私もそのそばに寄る。
「……『実感できるもん』って、なんやろ。さっそく見せてもらいたいなあ」
ちろりと横目で見てやった。すると相手は、ふん、と笑って「さあな。アホやもんわからんわ」ととぼけよった。
「焼きそば買った?」
「あ、しもた! ごめん」
「はあん? なにしに来たんじゃおまえ」
「待ってほら、まだ間に合う」
家族三人で見やった焼きそばの屋台には無情にも【完売! ありがと☆】の札が。
じろりと睨まれてさすがに縮んだ。でも私が悪かったわけやないと思うけど。
「しゃーないな。ほんなら作ったげる。お店にある材料で即席やけどね」
「おっしゃ!」と同じ顔の大小が跳ねた。それを見て私はくく、と笑う。
「もやし入れて」
「うげ、おれもやし嫌いじゃ」
「はあ? アホかおまえ。もやしの
「わからん。いらん」
「もう、男どもうるさい! はよ帰るよ」
そう言ったところやった。
「あー!
「げ! 詩乃、なんで!」
途端に弾かれたように走り出す悠吾。おい、なんで逃げるんや。
「わたしのチョコバナナあああ~! かえしんさーーーーいっ!」
「ひいいいー」
ふふ。なんやようわからんけど楽しそうやし放っとこか。
「早う帰るんよー。詩乃ちゃんもねー」
追いかけ合いながら「はあーい」とかわいい返事が来た。仲ええな、なんだかんだ。
ちらと隣を見ると「チョコバナナか。ええな」と悠吾みたいな誠司がいた。まったく。
「もうないんとちがう? 焼きそばも終わりよったし」
言っても「わからんぞ」と足は祭りに戻っていく。仕方なく後に続いた。
チョコバナナは焼きそばほどの争奪戦にはならんらしくまだたくさん残っていた。
屋台の横にしゃがんで「いらんの?」と首を傾げるおっさん少年に「いらん」と返す。「つれんのぉ」とつまらなそうに言われたけど誰がええ歳して二人で並んで仲良くチョコバナナなんか食べるかて。
すると誠司は店端にしゃがみながら夜空を眺めて、遠い目をして呟いた。
「二人で祭りなん、昔を思い出すなあ」
昔って……いつのことやろか。子どもの頃? それとも……。
「来年は来れるかわからんから。悔いなく楽しまんと」
「……え?」
驚いてその顔を見ると、相手もこちらを向いて、ふ、と笑った。
「転勤や。たぶん、次の春に」
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