第53話 猿芝居少年

「おかあが? なんで」


「とにかく帰って、様子見てって」

「誰から聞いたん」

「え……えっと、そのへんの人」

「……はあ?」


 悠吾が指をさす鳥居周辺に目をやる。そんな雰囲気の人は見当たらんけども。


 とはいえ店番を任せてきたのは事実。おかあになにかあって、悠吾がうちの子やと知る人が、もしかして知らせてくれよるんかもしれん、と考えて柏木商店に向かうことにした。


「あんたは残ってええよ」と言ったけど悠吾は「おれも帰る」と付いてきた。徒歩数分、見えるお店の明かりはいつもと同じ。


 開くドア、見えるおかあは……「あれ早かったなあ、もうええの?」いつもと同じ。


 ちろり、と隣の悠吾を見ると「あ、あれぇ?」と下手な芝居をしよる。


「ばーちゃんやなくて、じーちゃん、やったかな?」


 んん? なんや、この猿芝居は。


「あんたなに? なんで嘘つくん」

「し、しらん! ほんまに大変や、ち聞いたんやもん!」

「嘘じゃろ」

「しらんってば」


 その時不意にさっき「これからおとうが射的するよって」と悠吾が言いよったのを思い出した。先生の仕事はどうした、というのはひとまず置いておいて、悠吾は誠司と会っていたと思われる。つまり。


「誠司に……なんか言われた?」


 訊ねると猿芝居少年はあからさまにどきりとした様子で「し、しらん!」と変な顔をした。ははん。これは当たり。


 おかあに「もうちょっとお店お願い」と頼んで「あ、あかん、待って!」と騒ぐ息子を振り切って神社へと戻った。


 なんや、誠司。なにしよる? なんで私を遠ざけようとする? 私と、悠吾を……?


 鳥居をくぐると迷わず射的の屋台の方へと歩みを進めた。悠吾が「あかん、男の約束やもん」と私の服の裾を掴んでくるけど構わず進む。


 そうして人混みの中ようやくその姿が見つかった。


 誠司と向かい合うその相手は……。


「そんなら僕に真知ちゃん返してくれません?」


 久々に聞く、その声。茶色っぽいふんわりした髪、小型犬のような可愛らしい顔。


 まさか、瞬くん……?


 ぞくり、と背筋が寒くなる。


「いや。『返して』いうんもおかしいか。だってあんた、真知ちゃんのなんでもないんやもんね?」


 話はわかるようで、わからん。出ていってもいいもんか、でもそれを誠司が悠吾をつかって阻止しようとしよったんやから……出ていかん方がいい、ということか。迷ったけど実際、足が固まってどの道その場から動くことは叶わんかった。


「悠吾……あんた誠司になんて言われたの」


 屋台の陰に隠れながら静かに訊ねた。すると悠吾は不安げに誠司の方を覗きながら「男の約束やもん」となおも言い張る。


「おい、なに黙りよる。はー、腹立つなあ」


 瞬くんは、荒れていた。たぶんお酒にかなり酔いよるらしい。呂律が怪しいし、その目は充血して赤かった。


 誠司は黙って立ったままで、まっすぐ相手を見据えていた。


「考えてみたらさ」


 瞬くんはそう言うと、更にぎろりと誠司を睨んで薄く笑った。


「あんたのせいで俺の人生も狂わされた、ちわけよ」


 なんよ、それ。とんだ言いがかりやん。


「あんたさえおらんけりゃ、真知ちゃんが妊娠せんけりゃ、俺も浮気せんで済んだ。そんでこんな、惨めな人生にもならんと、真知ちゃんと幸せになれたんじゃわ」


 めちゃくちゃや……。話から察するにたぶんこの人は結局あの相手と離婚でもしたらしい。


「つーかせめて、結婚したれよ」


 誠司は、答えん。黙ったままで、「そんだけか?」とでも言うような顔をしていた。火に油にならんもんかとはらはらする。


「無っ責任やなあ! ああ、もしかしてほかにもいっぱい子どもがおるんやろ? そんで誰とも結婚できん、ちわけ!? くっはは、すげーなあんた。クズの中のクズやん。しかもそれでガッコの先生やって!? よう採用されましたねえ先生、どやって騙したん? 教えてほしいわ、先生」


 ああもう。悔しい。言い返したい。誠司はそんなクズなんかやない。たしかに女の子にはだらしないけど、無責任に逃げるような男やないし、先生としても悩みながらしっかり勤めよるもん。私はそれを、誰より知っとるもん。


 でもいくらそう思おうと、声は出んし、足も固まったままやった。それは狂気を帯びた優くんの放つ空気が、私だけやなくて、その場の全員を動けんようにしていたから。


「はー。ちうか、一発殴らして? ほんま腹立つわ、そのすました顔。こっちも殴られっぱなしじゃいつまでも気が収まらんよって」


 そして「なあ! おい! 聞いとんか!?」という怒声とともにその手が誠司の襟元に伸びた。勢いよく掴みかかられて、誠司は一瞬傾いたけど、それでもひと言も発さん。


 その時悠吾が、そうっと冷えて汗ばんだ手で私の手を握ってきた。ああ、そうやんね。怖いんや。こんなところ、子どもに見せたらあかん。


 思いながらも、身体は震えよるし、やっぱり足が動かん。私も、怖いんや。


 誠司……。







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