信じられる君だから

入賀ルイ

信じられる君だから


 もう誰も信じない。

 誰かのためになんて生きてやるもんか。


 もう何度も裏切られた。


 誰とも仲良くしたいと思って、はらわたを見せて歩み寄った小学校時代。けれど、いつからか俺は一人になっていた。

 それでも、と手を伸ばして、誰かのためにあろうとした中学校時代。けれど、いいように扱われては簡単に捨てられた。


 信じても信じても、残酷な結果だけが俺に付きまとう。


 信じてたのに、愛してたのに。みんなこぞって俺を裏切る。

 だからもう、誰も信じない。



×××



たつき~、いつまでも寝てないでそろそろ起きなさい~」


 地面から響いてくるような目覚ましの声。今日は休日だってのに、親はゆっくり休ませてくれない。

 俺は仕方なく階段を下りる。朝食を取らないことは親も把握しているためか、何の用意もされてなかった。

 

 これでいいんだ。そうしてくれたほうがありがたい。


 目覚めにと水を一口飲んで顔を洗い、髪を整えて部屋に戻ろうとする。

 どうせこんな日だ。やることはない。


 なんせつるむ相手すら、いないんだから。


 ふと、俺の足は立ち止まった。意識していないのに、体は勝手に外に向かっている。


 ・・・またこれだ。もう何度目だろうか。

 


 昔は誰かのヒーローになりたかった。優しくありたかった。だから、土日になっては街をめぐり、困っている人を助けて回った。

 

 信じることをやめてからは、もちろんそんなことはしていない。けれど、体がなじんでしまってか、よくよくこうして習慣のように体が動くことがある。

 今日がその日だった。


 俺は諦めて、上着を羽織はおった。外はもう冬になりかけている。身を切るような肌寒さを一身に浴びるのは嫌だった。


 玄関に向かう音に気づいてか、母が遠くから声のみ飛ばす。


「樹ー、どこ行くの?」


「散歩」


「昼は?」


「分からない。自分でどうにかする」


「そ。いってらっしゃい」


 親との会話だって端的なものだ。俺はもう、親ですらろくに信じていない。

 とは言えど、親子だ。向こうは向こうで、それなりに俺のことを思ってはいるのかもしれない。


 それでも俺は、誰かを信じるのは怖かった。例えそれが、親であっても。



×××



 街の川土手を歩く。大きく緩やかなカーブを描く川は、ただ小さく音を立てながらうねり、流れている。

 散歩をするときは大体こうして川土手を歩いている。この道は閑静かんせいだ。通行人がいないのをいいことに、俺の体は人助けを諦めてくれる。


 

 ある程度歩くと体も少し疲れてきたのか、そろそろ帰ろうか、なんて思い始めた。

 そしてそれは、それと同時だった。


 少し小さな背をした、屈みこんで何かを見ている少女の無邪気な姿が、目に入る。

 特に興味を持ったつもりはなかった。けれど、俺の身体は思考と裏腹に少女の方へ向かう。


 気が付けば、俺は少女の前にいた。よく見れば少女は俺と同い年くらいのように思えた。

 いてもたってもいられなくて、俺は仕方なく声を掛けてみる。


「何してるんだ?」


「自分探しの旅」


 少女は俺の顔も見ずにそう告げる。

 それから少ししてようやく立ち上がり、俺の顔をまじまじと見つめてきた。


「ねえ」


「何だ」


「手伝ってよ」


「手伝うって・・・自分探しの旅をか?」


「うん、そう。君に手伝ってほしいの」


 その言葉を聞いた瞬間、体から一気に血の気が引いていくような気がしていた。思わず素早く言葉を返してしまう。


「やだね。そんな義理もないし」


「義理はないよ。私はね、縁だと思ってる」


「縁?」


「そう。ここで出会ったのが何かの縁。巡り合わせ。だから私はあなたに手伝ってもらいたいの」


「・・・」


 俺の事情などお構いなしと言わんばかりに少女はずけずけと踏み込んできた。そのペースに気圧されてか、俺はとうとう否定の言葉すら口に出来なくなってた。


「・・・何をすればいいんだよ」


「ついてきて欲しいんだ。旅に」


「そんなお金なんてないぞ」


「大丈夫。日帰りだし近場だから。今回は」


「何度もやってるのか」


「うん。一回で見つかるはずなんてないしね」


 残念そうに少女は首を振る。それは少なくとも、一度や二度のアタックで生まれたものではないように思えた。 

 きっともう長いこと、自分探しの旅をしているのかもしれない。

 でも。なら。


 なんで俺なんだ?



「なあ・・・俺を誘ってるけど、他の人間にも同じようなこと言ってるんだろ?」


「でもみんな、私から離れていくんだ」


 そりゃそうだ。傍から見ればおかしなことを言っている少女にしか見えない。

 でも俺は、目の前で少し寂しそうにしている少女を放っておけなかった。どこかそれを忌々しく思いながらも。


「・・・なんで俺なんだ?」


「だって、君が初めて声を掛けてくれたから」


「あ・・・」


「初めて私を見てくれた。何をしてるか聞いてくれた。だからね、縁なんだ」


「・・・そうかよ」


 俺は自分の行動を、性格を悔やまずにはいられなかった。

 間違いなく厄介事だ。そんなものに手を出してしまうなんて。


 そんな風に一人悔やんでいる俺をよそに、少女は俺の手を取った。その手はどこか暖かい。


「!?」


「ねえ・・・お願いできるかな?」


「・・・。今回、一回だけだからな」


 そうだ。ここまでくれば仕方がない。

 これは今回だけだ。どうせ二度と会わない関係。一回くらい望みに付き合ってあげてもいいだろう。


「やった! ありがとう!」

 

 それでも少女は初めて相方が見つかったのが嬉しかったのか、跳ねるように喜んだ。


「じゃあ、明日。駅に来てくれるかな?」


 言葉と同時に、頭痛が走る。


 約束。それは俺が何より忌み嫌うものだった。

 少しだけ開きかけた心が、また閉まる方向へ進む。



「あっ・・・やっぱり、俺」


「大丈夫。裏切らないよ。私が、私の望むことをするんだから。手伝ってくれる人に絶対に迷惑かけない」

 

 俺が諦めかけて無理だと切り出そうとした瞬間、少女は先ほどとは違う真っすぐな眼差しで俺を見つめた。


「もし私が君を裏切るような真似をしたと思ったら・・・殺してくれてもいい」


「なんだってそんなことを」


「本気、だから」


 覚悟を決めた目は嘘を孕んでいないことをただ愚直に告げた。逃げ出そうとした体がその場にとどまる。


 ・・・こいつなら、一度くらいは、信じてみてもいいかもしれない。


「分かった。駅だな。何時だ?」


「朝の九時。お昼はいらないよ。OK?」


「分かった」


 話も終わったことだしと俺は引き返そうとする。

 しかし、肝心なことを一つ忘れていた。俺は慌てて振り返る。


「おい名前! まだ聞いてないぞ!!」


「ああ、忘れてた! 私は小春。草凪くさなぎ 小春こはる! 君は!?」


霧島きりしま たつきだ!」



×××



 翌日、日曜日の朝九時前。

 俺は躊躇ためらいながらもちゃんと駅に向かった。


 そして、いた。

 待ち合わせの場所に小春はちゃんといた。少し赤くなった手を温めるように息を吐きながら、俺を待っていた。



「悪い、遅れたか?」


「ううん、集合時間より早いよ、私たち二人とも」


「そっか」


 くすくすと小春が笑っている。俺も久しぶりに笑った気がした。

 何かが嬉しかったのだと思う。けど、その感情に深い理由はいらなかった。



 小春に従うように電車に乗る。

 自分探しの旅。いったいどこで何を見つけようとしているのだろう。


 それが聞けたのは、電車を降りてから。どこかの山を歩いている途中だった。



「なあ小春。俺たちはなんで今、山の中にいるんだ?」


「そりゃあ、自分探しの旅に出ているからさ」


「こんな所で見つかるって?」


「分からないよ? ひょっとしたら何かヒントがあるかもしれないよ?」


「ヒントって・・・」


 どうやら答えが見つかるわけではないらしい。当然と言えば当然か。


「というか、小春はどんな自分を探しているんだ?」


「分かってたらしないよ。まあこれ、日課みたいなもんだね。こんな風に時には遠出。OK?」


「日課って・・・」


 けれど、それは小春の生き方。誰にも邪魔されるものではない。

 少なくとも俺も日課なんて口実付けて街中を回っていたんだ。バカにはできない。


 小春は顔を上げて、前を向いて明るい声を絞り出す。


「それに、何も手応えがないわけじゃないよ。それが証拠に・・・。ほら、そろそろ」


「何だ? って・・・」


 山を登り切った先は、幾分開けた丘だった。

 視界に映ったのは、ずいぶんと小さくなった街だった。ここからなら、俺の住んでいる街を遠くまで見渡せる。

 この街にいい思い出なんてあまりないのに。それでもこの景色は・・・。


「綺麗、だな」


「でしょ」


 日中とは思えないほど、その光景は美しく見えた。ただ息を飲んで、遠くを見る。


「こんな場所・・・。知ってたのか?」


「ううん? ここに来たのは初めて。事前情報もなし」


「は?」


 小春はさも当たり前のように胸を張って答える。


「自分探すんだもん。自分の心に従って動かなきゃ見つかるはずないよね。だからここに来たのも、気まぐれ。私の心が呼んでいる気がしただけ」


「なんだよそれ・・・」


 小春は、あまりにも自由奔放すぎた。

 何も考えていないのだろうか。それはそれで、少し羨ましく思える。


 でも、どこか危なっかしくも思えた。

 こんな性格だ。こんな行動だ。怪我をするかもしれない。迷うかもしれない。それでもいいのだろうか。


「心配しないでも大丈夫だよ。もう何年もずっと一人でやってきてるんだ。痛いことも怖いことも、ちゃんと慣れているから」


 俺の心の呟きに答えるように、小春は俺と同じように街を眺めたまま大丈夫だよと笑った。

 でも、人を信頼していないからこそわかる。


 小春は、笑ってなどいなかった。


 声の奥深くに孤独がある。寂寥せきりょうを滲ませた笑いを見透かせない俺ではなかった。

 同情はしない。だが、似ているとは思った。


 だからこそ、俺は何も言えないでいたが。



×××



「ありがとう! 今日は楽しかったよ!」


「結局何も見つからずか」


「ドンマイドンマイ。いつもこんな感じだからさ、落ち込まずにいこう」


 駅に戻ったのは昼の一時過ぎ。何も見つからずじまいだったが、小春の表情は曇りに陰っていなかった。

 頭上の太陽ほどに、笑っている。


 さすがに、そんな日なたに俺はいられなかった。

 だからこそ・・・こいつとはここで。


「それじゃ、俺はそろそろ帰るわ。じゃあな」


「うん! またね!」


「・・・。また会う時があれば、な」


 また会う日が本当にあるのなら、それこそまた付き合ってやろう。

 きっとそれこそ、縁、なんだろう。



×××



「あっ!!」


「・・・」


 次の週の土曜。今度は会うまいと川土手からコースを変えて歩いていたにも関わらず、俺は小春に出会ってしまった。こうなればもう言い逃れは出来ない。

 

「お願いしても・・・?」


「・・・今回だけ、だからな」


「やった!」


 もう一回だけ、こいつに付き合うことにしよう。



×××



 そうして、どれくらい時を重ねただろう。

 『もう一回』を何度も数えた。10は超えただろう。

 

 待ち合わせのたびに、小春は俺を待たせまいと30分前から待っていてくれた。でもそれは、俺がお願いしたわけじゃない。

 小春は本当に、俺を裏切らないようにとしていたのかもしれない。



 だから、こいつだけは、もう少しだけ信じていいと思った。


 けど。



 雪のちらつく日曜日の午前九時。いつもの場所に、小春はいなかった。



「・・・どういう、ことだよ」


 吐き出す白い息に怒りを滲ませる。


 あいつがこの場所にいないことを、俺は信じられなかった。

 またいつものように、『行こうか』と声を掛けてくれるかと思っていた。


 でも、目の前にいない。

 小春とはとっくに連絡先も交換している。もし来ないのなら、そう言ってくれればいい。

 でも、その連絡もないままだ。小春はここにいない。


「また・・・俺は」


 裏切られたのだろうか?

 こんな人間だ。またどこかで反感を買ってしまったのかもしれない。それで、俺を出し抜こうとしてそれで・・・



「・・・・・・違う、だろ・・・!」


 人を信じるつもりなどない。誰にも心は許していないつもりだ。

 けれど、今だけは。



 何よりも誰よりも、小春を



「っ!!」

 

 居ても立っても居られない俺は、新雪を踏みしめて走り出した。

 どこかに小春はいる。必ずいる。

 きっとその身に何かあって、この場にいないだけだ。そう


 もしそうなら、駅の近くにいるはずだ。

 あいつが一人で何かを出来るやつなのは知ってる。でも俺が隣にいるとき、あいつは一人で何もしなかった。

 本当は自分から一人になるような奴じゃないんだ。絶対に。


 だったら・・・今もどこかで俺を呼んでるはずだ。



 そう思えた時、微かに声が聞こえた。


「・・・き、樹!!」


 二つ先の細路地の方だろうか。細々とした叫び声が、俺を呼んでいた。走り回って疲れた体はじんじんと痛んだが、立ち止まって小春を一人にする心のほうが、何よりも痛いはずだと俺は駆けた。



 薄暗い路地に辿り着く。

 俺を呼んでいた小春は、確かにそこにいた。面識のない男に羽交い絞めにされ、まさに拉致されようとしていると言わんばかりの状態で。

 その後ろに止められている黒いバンが、スカーフで口元を隠したその男たちの姿がそれを物語っている。


 どうにかしようと、俺はとっさに大声で叫んだ。


「てめえら! 俺の彼女に何してるんだ!!」


「っ! まずい、逃げるぞ!!」


 何を言ったかは覚えていないが、確かに叫んだことだけは覚えている。

 俺が来たことがよほど分が悪いと判断したのか、男たちは小春を放すと一目散にバンに駆け込み、逃げていった。

 車の煙が大気に混ざり消えてなくなる。その瞬間、小春は俺に駆け寄り、抱き着いた。


「樹・・・!」


 小春は、泣いていた。ぼろぼろと大粒の涙を流している。

 あれだけ怖い思いをしたのだ。当然だろう。


「分かってるから、泣くなって。俺はここにいるから」


「ごめんね。 約束、守れなくて・・・」


「・・・!」


 怖がって泣いているのかと思っていたが、それは間違いだった。

 小春は、約束を守れなかった自分を悔いて泣いていた。嗚咽を漏らしながら、ただごめんねと繰り返す。


「・・・馬鹿、本当だよ。心配させやがって」


「ごめ・・・んね・・・」


「でも、よかった」


「え・・・?」


「小春を信じたことが報われて。だからこうして、小春を助けることが出来た。信じたことが無駄じゃなかったんだ」


「樹・・・」


 本当に、恐ろしいほど、心は晴れていた。

 自分の親しい人間が襲われそうになっていたというのに、俺は笑っていた。



 全部全部、小春のせいだ。

 こんなに悲しいのも、こんなに嬉しいのも。

 もう一度だけ、人を心から信じてみようと思ったのも。



 その時、小春は俯いて、悲し気な瞳を見せた。

 それは一瞬。だけど確かに俺の目に映る。


「小春、どうした?」


「・・・ごめん!!」

 

 何を言い出したかと思うと小春は俺を突っぱねた。わき目も振らず、遠く遠くへ逃げるように駆けていく。

 その姿は遠く離れるにつれ、小さくなっていった。

 

「何・・・だよ」


 目の前の行動が理解できなくて俺は、思わず言葉を零す。

 ちょっと離れただけなのに、裏切られた気になって胸が痛む。もう何度目だろうか。

 昔、誰かに裏切られた時に感じた感覚と近いものを感じる。喉元に絡みつくような、嫌な感覚だ。


 けれど小春は違う。その確信が今の俺にはあった。

 その予想通りと言ったところだろうか。遠く離れ、その姿が見えなくなったところで、俺の携帯に一通のメッセージが届いた。



『明日の夜、あの丘へ来てほしい』



×××

 

 あと一回だけ、約束を守るように俺は初めて小春と出向いた山の向こうの丘へと向かった。

 冷たい風に吹かれながら、足元の草原はゆっくりと凪いでいた。

 そこには、もう一つの凪があった。体の後ろで手を組んで、澄んだ瞳で俺を待っていた。



「来てくれたんだ」


「約束だからな」


 今まで何度もそうやって、小春とは一緒にどこかに向かっていた。だからこそ、その言葉は少しだけ信じられた。

 

「・・・今日はね、君に伝えることがあるんだ」


「伝えること・・・? まさか、自分探しの旅が終わったとか言うんじゃないだろうな?」


「うん、そうだよ」


「え・・・」


 小春は満足そうに、ほんのり悲しそうにただ俺を見つめている。小春のことを少しでも信じている俺は、それが嘘ではないことを確認した。

 だからこそ、信じられない。なんでこんな急に。



「昨日、樹に助けてもらったとき、私、思い出したんだ」


「思い出した・・・?」


「うん。私ね、昔交通事故で記憶を無くしてたの。私が探してたのは、記憶を失う前の私の心。それと、私の記憶だったんだ」


「だから・・・自分探しの旅かよ」


「そう。・・・そしてね、やっと見つかった。・・・樹」


 慈しむような小春のほほえみ。それがいたたまれない。


 嫌だ、聞きたくない。

 せっかく結ばれた縁なのに。


 この時を、終わらせたくなかった。



「私はね。樹、君のことが好きだったんだ。もうずっと何年も前から」


「・・・は?」


「君が覚えているのかは知らないけどね。私、もうずっと小さいころ、一回君に助けてもらってるんだ。川で溺れてたところを引っ張り上げてもらってね。その時から、樹が根から優しい人間だと分かってたよ」


 どうやらそのことを、俺はとうの昔に忘れたらしい。

 きっとそれは、人間不信になってからだと思う。


 それでも、助けた人間の事すら思い出せない人間になってしまった自分が悔しくて、俺は歯ぎしりをした。


「・・・」


「私が探してたのは、そんな樹を好きになってた自分なんだ。・・・それでもって、

見つけちゃった」


「・・・困るんだよ。一方的に好きなんか言われても」


 第一、言われたところで、俺に何ができるっていうんだ。

 目の前の人間を好くには、まだ信じることが出来ないでいた。しかして気持ちだけは確かに渦巻いている。

 そんな自分がどこか悔しくて、胸が痛くなる。



 俺だって、小春のことを・・・。



 そんな俺を見てか見ずか、小春は困ったように笑った。


「困ったなぁ・・・。でも、口実付けてどこか行く自分探しの旅ももう終わっちゃったし」


「じゃあ、ここでお別れか?」


「・・・それも、嫌だな」


 小春は明確な意思をもって口先を尖らせた。


「あのね。別に返事をしてくれなんて言わないよ? でも私は、樹とともに過ごした週末が大好きだった。またああして、二人でどこかいって、何かを探したいなって今も思うんだ。・・・・・・ねえ、そうだ。樹、また約束してよ」


 もう何度目かの約束。

 俺の返事は決まってこうだ。


「・・・仕方ない。あと、一回だけな」


「ふふ、ありがと」


 小さく笑って、小春は樹の真正面から深々と頭を下げた。


「また、旅に付き合ってくれるかな。続・自分探しの旅ってことで」


「ったく・・・今度は何を探すんだよ」


「幸せ?」


「・・・ぷっ」


 堪えきれなくなって、俺は笑ってしまった。それほどまでに、小春にかしこまった言葉が似合わなかった。

 ああ、そうだ。小春はこういうやつだから。


 付いて行きたくなる。信じたくなる。・・・好きでいさせてくれる。

 今はまだ好きとは言えないかもしれないけれど、もう少しだけこいつと居れるのなら、いつかそう言える日が来るのかもしれない。


「こら、何で笑うのさ」


「いや、小春はどこまでも小春だなって」


「なんだいそれ」


「まあ、もう少しだけ付き合うよ。お前がちゃんと約束を守ってくれるならな」


「大丈夫。ちゃんと守るよ」


 小春がビシッと敬礼して、それからまた二人は笑う。

 


 ああそうだ。もう少しだけ、俺はこいつと・・・・。



×××

 


「樹、どうして目をそらすの?」


「そりゃ・・・手をつなぐなんて恥ずかしいだろ」


「何言ってんのさ。私たち、もう恋人でしょ?」


「そう、だけど・・・」


「今度はキスでもしようか」


「人前だけはやめてくれ・・・!」



 もう少しだけ・・・



×××



「つまり、このリングを指に通したら私たちは晴れて夫婦ってわけだ」


「・・・こんな安物しか用意できなくて悪かったな」


「ううん、気にするわけないよ。・・・結婚の価値なんて指輪の値段で決まるわけないでしょ」


「そうだな」


「じゃ、そういうわけだ。結婚おめでとう。樹。そして私」


「ああ、おめでとう」



 もう少しだけ・・・・・・



×××



「樹・・・出来ちゃった」


「え・・・」


「赤ちゃん」


「俺たちの・・・子供なんだよな?」


「もちろんだい。私がお母さんで、樹がお父さん」


「なんか・・・実感わかないな。親になるって」


「私も。・・・でも、だからこそ、頑張らないとね」


「だな」



 もう少しだけ・・・・・・・・・



×××



「小春!!」


「うん、私は大丈夫。この子も元気だよ」


「よかった・・・!」


「何泣いてんのさ。頑張るのはこれからだよ? 女々しい親父なんて子供に疎まれちゃうぞ?」


「・・・そうだな。俺、強くなるよ」


「うん。私も頑張る。だから一緒に幸せになろう?」



 あと少し・・・もう少しだけ・・・小春の傍で幸せを。



×××




 あれから、どれだけの時が過ぎたか。

 小さかった娘、美結みゆうももう高校生になった。俺の顔にも沢山のしわが出来ている。

 

 時間が経っても変わらないものがたくさんある。そのことに気づいたのは、最近になってからだ。

 初めて二人で行ったこの丘も、まるで変わってない。


 

 でも、ここにもう、小春はいない。



 しゃがみ込んだ俺の前には、『草凪 小春』と彫られた小さな墓石が一つ立っている。それは間違いなく、俺が愛した小春の墓だった。



~過去~



 小春は、50にもならないうちに末期がんを宣告された。

 本人が、もともと体が強い人間ではないと俺に告げたのは、その後。

 けれど、それは何を尽くしてもどうしようもないことだった。


 小春は笑う。


「ね。悲しまないで。きっと、こうなる運命だったんだ」


「でも、お前はそれでいいのかよ?」


「ううん。やだな。だってまだ、幸せ見つけてないもん」


「なら・・・」


「だから、ね」


 病気で力を無くしつつある細い腕は、俺の手をしっかりと握った。


「入院もしなくていい。治療もしなくていい。ただ・・・もう少しだけ、続けよう? 幸せを探す旅を」


「・・・分かっ、た」


 それを受け入れてしまえば、小春との時間はより短いものとなる。

 分かっていた。


 それでも小春が望む幸せがそうする先にあるのなら、俺もそうしたかった。



 いくつもの時を重ねる。

 小春の身体は次第に壊れていった。立つことも出来なくなった。力強く何かを握ることも出来なくなった。

 それでも、俺の前で笑い続けてくれることだけは変わらないでいてくれた。


 

 そうして、最後の時を迎える。

 小春も今日がその日だとうっすら感じていたのだろう。執拗しつように『あの丘へ・・・』と言われた時、俺もその死期を察した。


 だからこそ、その言葉に従う。


 襲われかけたあの日以来、小春が約束を破ったことは一度もなかった。

 だから、俺も答えたかった。


 車いすを押し、街を一望する丘へ登る。

 あの日と同じ、草を凪ぐ風がほのかに吹いている中、小春は目を閉じて短くつぶやいた。


「・・・幸せ、見つけちゃった」


「ああ。見つけてしまったな。・・・これでまた自分探しの旅も終わりか。さて、俺はこれからどうするかな」


「・・・」


「小春・・・?」


「ねえ・・・樹。・・・生きてね」


「・・・!」


 小春は、自分が死んでしまえば俺が後を追いかけて死んでしまうのではないかと感じていた。無論、俺はそうするつもりこそなかったが、それは失って初めてわかること。だからこそ、その約束は俺に刺さった。


「美結がいるよ・・・。見知らぬ誰かとの出会いも・・・まだあるよ」


「分かってる。死なないよ。・・・だから、今日はもう寝ろよ」


「うん。・・・そうする、よ」


「・・・小春、大好きだからな。俺は何よりも誰よりも・・・お前だけが・・・!」


「・・・うん」



 小春は目を閉じたまま、ついには言葉も発さなくなった。ほどなくして、その体の熱が失われる。

 心臓の鼓動が止まる。穏やかな表情を浮かべたままで。



 そして俺は、確かな死を理解した。



 ~現在~


 この歳になっても、俺はまだ他人を信用することが怖い。

 でも、俺は確かにここで小春に生きることを誓った。それに少なくとも、俺はもう一人じゃない。


 美結が俺の服の端を掴む。何か伝えたそうな瞳に、俺はそっと問いかける。



「あのさ、お母さんは最後に、ここでお父さんに何ていったの?」


「ここでか?」


「うん」


「そうだな・・・」


 俺は美結の頭にポンと自分の手を乗っける。歳を気にして娘は恥ずかしそうにするが、構わず俺は続けた。


「生きてね、って言われた」


「それだけ?」


「あいつはいつも、一言少ないからな・・・」


 思わず苦笑する。


「また今回も言葉足らずだ。・・・ああ、でも」


「でも?」


「あいつのあの言葉はきっと・・・。俺に幸せになれって言ってるんだろうな」


 それは約束の続き。

 あいつならきっと続・続・自分探しの旅とでも言うんだろうな。



「・・・お父さん」


「ん?」


「幸せに、なってね」



 慈しんだような娘の微笑み。そこに俺はいつかの小春の面影を感じた。 

 そうだ。俺の愛した人間との始まりはここからで・・・そして、これからも続いていくんだ。


 だから。



「ああ、幸せになるよ」





 もう少しだけ、ここで俺はその行く末を見届けよう。

 いつか旅の果ての幸せを見つけれる。そう



 


 

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