パケロは芋と豆とパンを食べ、悪魔は真っ赤なワインを飲んだ。悪魔はワインを三本あけてからようやく口を開いた。


「槙島がこの世に生まれたときにオレは、槙島を地獄のものにしろと言われた」

「誰にです?」

「神にだ。と同時にある天使にも仕事が与えられた。槙島をオレから守れとな。だが、その天使は……あー、……槙島が生まれた直後に堕天した」

「え!」


 パケロが驚いた勢いで豆を飛ばしたので、悪魔はパチンと指を鳴らしそれが床に落ちる前にパケロの皿に戻した。


「元々駄目な天使だったんだ」

「守護天使が堕天したなんて……そんな……」

「だからこれは簡単な仕事だとオレは思った。オレがちょっとそそのかせば、……守る天使もいない人間はすぐ堕ちる。そういうもんだろ?」


 パケロは曖昧に頷いた。

 たしかに悪魔に魅入られている人間など守ってくれる天使がいなければすぐに落ちてしまう。しかしパケロの知る限り槙島は常に聖人だった。

 と同時に、たしかに槙島の周りには常に天使が控えているわけではなかった。たまに天使が様子を見に来てはいたがそれは常に違う天使であったし、槙島は彼らに敬意は払っていたが愛着を持っている様子はなかった。


「オレは、あー……楽な仕事だと思ったから寝ることにした」

「え!」

「別にいいだろ、そのぐらい。オレはたまには寝たいんだ。こんな簡単な仕事は起きてからやればいいと思ってそれで寝た。起きたら槙島は三歳になっていた」

「三年も寝ていたんですか!」

「角が痛くなって起きた。そしたら、アー……槙島はオレが見えていた。始めからちゃんと見えていた」


 悪魔は嬉しそうに微笑んだ。


「槙島の目は灰色でキラキラしていて宝石みたいだった。あいつはオレを見て『Whoだあれ?』と言った。その声もキラキラしていた。オレは『I am yours.おまえの悪魔だ』と答えた。……槙島は『Mine!おれの悪魔!』と笑ったんだ。槙島は顔をくしゃくしゃにして笑うだろ? オレはあの顔が好きなんだ……」


 たしかに槙島は顔をくしゃくしゃにして笑う癖があるにはあった。

 といっても普段その癖を見せることはほとんどない。それは槙島は成長するにつれて理性的になり、そんな癖は直してしまったからだ。とはいえ気が抜けたときに見せる癖として残ってはおり、パケロもそのことを知っていたため驚いた。

 まさか悪魔にその顔を見せるほど気を許していたなんて、とパケロは驚いた。

 が、悪魔はパケロのその驚きに気が付かず、とろんとした笑顔のまま語り続けた。


「だからオレはすごく欲しくなった。すぐにオレのものにしたくなった。でも同じぐらいあいつがどうなっていくのかが見たくなった。オレはあいつの今も過去もその先も全部が欲しくなった。それで『オレがあいつを守ることにした』」

「『守る』、ですか?」

「だってあいつを守る天使がいないんだから悪魔のオレが守らなきゃいけないだろ? 槙島はオレを『My guardian devil俺の守護悪魔』と呼んでくれた」

「……マキが、そのような過ちを犯すとは……」

「過ちじゃない。あの頃はまだ槙島は聖職者ではなかったし、……あいつにまともな天使はついてなかったから人間に嫌われやすかったし、……要するにいじめられてたのさ。大人からも子どもからも誰からもさ……だからあいつは人間を嫌って『悪魔寄り』な考えをしていた。だからこそオレはあいつをずっと守っていたし、オレたちは仲良く……、……そうだな、仲良く過ごしていた。ただ、問題が起きた」

「問題?」


 悪魔はワインを飲むと、フウン、と息を吐いた。

 悪魔の脳裏には十一歳の頃の槙島の姿が浮かんでいた。十一歳の槙島はとても美しい容姿をしていた。もちろん死ぬ直前すら槙島は美しかったのだが十一歳の頃の槙島は触れることをためらわせるぐらいにはりつめた美しさがあった。それは悪魔に魅入られているからでもあり、同時に神に愛されているからでもあった。灰色の瞳はいつも蠱惑的であり魅力的であり排他的であった。その漆黒の髪は艶めき軽やかに靡いた。その槙島の隣にはいつも悪魔がいた。悪魔はいつも槙島の隣に馴染む姿をしていた。母親や父親の姿になることもあったし、子犬や子猫の姿になることもあった。けれどこの頃はいつも『友人』の姿をしていた。十一歳の少年として槙島の隣にいて、そうしていつも彼を助けていた、……手段を選ばずに。

 しかし『問題』が起きた。


「槙島が恋に落ちた」

「恋……なににですか?」

BIBLE聖書! THE BOOKあの本!」


 悪魔はそう叫んだあと「ああ、クソ! あいつは、なんでよりにもよって!」と喉を掻きむしった。


「あいつはあの本を読みやがったんだ!」

「……それは良いことでしょう?」

「良いことだ⁉ あいつはそのせいでオレにこう言いやがった。『LEAVE去れ』ってな! 今までっ……今までずっと隣にいた友にたいしてあの野郎! しかもっ、オレの……オレの名前を使ってまで!!」


 十一歳の槙島は聖書を読み、そしてその考えに深く共感し、悪魔を捨てることにした。悪魔は名前を使われると抵抗ができないことを把握した上で、槙島は悪魔に名前を尋ねた。そしてその答えを聞いた瞬間に自分の目の前から悪魔を排除したのだ。

 悪魔はそのことを思い出し深く嘆いた。それから「でもな」と顔を上げた。


「槙島はオレを消滅させることはなかった。だからオレはまた槙島の前に現れることができた」

「……しつこい悪魔ですね」

「褒め言葉だな! 槙島はいつもオレを迎え入れた。……『去れ』とか『眠れ』とか『ここから失せろ』とか言うけど……オレは『消えろ』とは言われなかった。だから、今もここにいるんだ。それに……」


 悪魔はまたとろんと微笑んだ。それは人間で例えるなら、母性だとか、父性にあふれた表情だった。


「あいつはたまにな『会いたかった』とか言うんだ。もしくは『俺の悪魔』なんて言ってくれる。めちゃくちゃ疲れていたり、めちゃくちゃ酔っている時だけだどな……でもそういう時に本音って出るって言うだろ? だから、……だからな、オレはやっぱり槙島が好きで、守ってやりたいって思う。それに、……やっぱりあいつが欲しいんだ」


 悪魔はワインを飲んでから、ゲフ、と息を吐いた。


「話はおしまいだ。だからオレは槙島の首を取り返すし、どんな手段を使っても犯人は地獄に落とすオレたちのものにする


 パケロは思っていたよりもずっと悪魔が槙島と長い付き合いであることを理解し、「わかりました」と短く答えた。それ以上の言葉を彼女は思いつかなかったからだ。悪魔はフンと鼻を鳴らすと「また明日」と言って階段を下っていった。その背中を見送ってからパケロは十字を切り「今日の糧に感謝いたします」と悪魔の食事を食べながら神に感謝をした。



 ――わたしは悪魔のジャケットの中で彼らの話を聞きながら、わたしの中の槙島の意思が『そうではない』と言うのを聞いていた。『俺は神に恋をしたのではない』と槙島は嘆き、しかし同時に『だが、きみがそう思っているなら俺の生涯は成功した』と満足していた。悪魔の小瓶の中の槙島の意思は、悪魔の鼓動を聞きながら『本当に馬鹿でかわいい俺の悪魔だ』と笑った。

 それはとても『悪魔的な笑い』だった。


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あるいは崩壊の始まりに悪魔はハーレーに乗る 木村 @2335085kimula

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