図書館の君—Precious time for the future—
中澤京華
図書館の君
ある晴れた日の日曜日のこと—。
図書館の受付で本を借りたみのりが出入り口から外へ出ようとした丁度その時、
「ねぇ、君、ちょっと待ってよ!」
後ろから駆けてくる足音と一緒に大声で呼び止める声を耳にしたみのりは反射的に振り向いた。駆けてきた少年はみのりの前で立ち止まった。
「これ、落とし物だよ」
少しぶっきらぼうな口調で少年はハンカチを差し出した。
「あっ、ありがとう」
みのりは慌ててハンカチを受け取った。
少年の瞳が印象的でこのはは首を傾げた。
(なんだか親切な人だけど、今まで図書館で見かけたことあったかな……?)
気が付くと、少年は足早に図書館の奥の方へ行ってしまった。なんとなく呆然とその後ろ姿を見つめた後、みのりはハンカチに目を落とした。
(大切な友達のカズちゃんと一緒に買ったお揃いのハンカチ……カズちゃんが引っ越すことになった時、お別れの前に一緒に買ったハンカチを落とすなんて、このうっかり者—。だけど、あの人が届けてくれてよかった)
みのりはぎゅっとハンカチを握り締めた。するとさっきの少年がハンカチを握っていた手のひらの温度が伝わったような気がした。
翌週の日曜日もみのりはまた図書館へと向かった。みのりは以前から日曜日に図書館に行く習慣がついていた。以前は仲良しのカズちゃんとよく一緒に行ったけど、カズちゃんが引っ越してからは一人で行くようになった。
あの人にまた会えないかな—と心の中でなんとなく思いながら、みのりはいつもより気持ちが少し高ぶっているのを感じた。図書館の出入り口から中へと入った後、みのりはそっと辺りを見回した。その時見渡した限りではあの少年の姿は見つからなかった。
いつものように静かな図書館の空気に包まれながら、みのりは自分を空想の世界を満たす本を探していつしか本棚に釘付けになっていた。ふと、足早に通り過ぎていく人の足音が気になり、通路の方に目をやると、あの少年がそこにいて目が合った。みのりは反射的にに微笑むと少年の方へ向かおうとした。けれど、少年はぷいと目をそらすと他の棚の方に行ってしまった。
(この前のこと忘れたのかな)
心の中の声がしょんぼりと響いた。
みのりは気を取り直して本を探しはじめた。気に入った本を見つけて受付の方へ向かおうとしたとき、受付付近に設置してあるインターネットのコーナーにいる少年の姿が目に写った。
みのりはさりげなく少年の側へ歩み寄り、少年が見ているパソコンの画面を覗き込んだ。画面には古代遺跡らしき写真が写っている—。
—とその瞬間、少年が顔を上げたので、みのりは咄嗟に言った。
「この前はありがとう。遺跡に興味があるの?」
「うん」
少年はほのかに微笑んだ。
「考古学について調べていたんだ」
「凄いね。考古学かぁ……」
「うん、世界遺産について興味があってね」
そう言って笑いかけた少年の目が親しみの色を帯びて、ほんのりと優しくみのりの目に映った。
「ねっ、私にも少しだけ教えて」
「えっ?君に?なぜ?」
「うん、なんとなく」
「今、ここに映っているのはアンコールワット遺跡だよ。カンボジアにあるユネスコの世界遺産だよ」
「カンボジア?カンボジアってどこにあったっけ?」
「えっとね。ここかな。ほらっ、日本がここにある」
少年はインターネットの画面にカンボジアについて記載されているページを出すとそこに載っている地球の地図の画像に赤で小さく区画されている場所と小さく描かれている日本列島を指差した。
「日本ってこの地図の中ではこんなに小さいんだね」
「地球もこの地図では小さいけどほんとうはもっともっともっと大きいからね」
「こんな風に行ったことがない国のことが写真ですぐ見れるのって不思議だね」
「世界遺産は他にもいろいろあるよ。地球には1,000を越える世界遺産があるんだ」
「インターネットってどう使うかよくわからなかったけど、なんだか面白そうだね」
「細かい内容は本の方がもちろん詳しいよね。でも何か調べるのにインターネットは便利だよね。新しい情報も見れるし。俺はだから図書館では両方利用しているんだ」
「私は本を読むのが好きでよく図書館に来ているの。この前までは友達とよく来ていたんだけど、その子、引っ越しちゃって、最近は一人で来てるかな」
「俺は普段からよく一人で来てるけど」
「いろいろなことよく知ってるんだね。また時々教えてくれる?」
「知ってることしか教えられないけどね。ところで、その鞄に書いてある楠瀬みのりって君の名前だよね?」
「うん」
「俺の名前は森大樹。覚えやすい名前だろ?」
そう言って、図書カードを大樹は見せた。
こうして、当時まだ小学5年生の楠瀬みのりは中学1年生の森大樹と知り合った。
その日からみのりと大樹は日曜日に図書館で会うとなんとなく話す習慣がついた。みのりがいつもの時間に図書館に行くと大樹はすでにそこにいることが多かった。
そしてみのりが話しかけにいくと、その時読んでいた本のことを話してくれたり、インターネットコーナーで一緒に調べ物をしたり、みのりにとってはいつからかかけがえのない楽しいひとときになっていった。
それがある日を境に大樹は全く図書館に姿を現さなくなった。それまでにもときどき、それぞれの事情で行き違うようなことはあったが、その日からは何週間経っても大樹は現れなかった。みのりと大樹は住所を交換していなかったし、通っている学校も学年も違ったので、二人の接点はその図書館しかなかった。
みのりはある種の寂しさを感じながらもいつしか大樹が来ないことに慣れていった。でも、心のどこかでまた会えるのではないかと密かな期待を抱きながら、3ヶ月以上が過ぎた。
このままもう会えないかもしれない—とみのりが思い始めたある日のこと—。みのりが日曜日にいつものように図書館で本を読み耽っていると不意にぽんと肩を叩かれた。
(この手のひらはもしかして……!?)
みのりは嬉しそうに顔を上げた。そこには大樹がいた。大樹はみのりに笑いかけた。
「また、ハンカチ落としているよ」
「嘘……」
「みのりってもしかして子どもの頃、ハンカチ落とし、好きだった?」
「その冗談、笑えない。ただの偶然……。さっき、本を読んでて泣けるシーンがあって、ハンカチを出して、その後うっかり落としただけ」
そう言うとみのりは慌ててハンカチを拾おうとしたが、その前に大樹がハンカチを拾い上げた。
そしてそのハンカチをおもむろに広げた。
「楠瀬みのりってここに刺繍してある!みのりが刺繍したの?」
「うん」
「器用だね。僕のハンカチにもそのうち名前を刺繍してもらおうかな。なーんて」
大樹はそう言って笑顔を向けると丁寧にハンカチを畳んでみのりに渡した。
「また、図書館に来たんだね。最近、どうして来なかったの?」
「うん……ちょっとね。ここで話すのもなんだから、外で話そうか」
外に出ると隣にあった公園のベンチに大樹は座った。
「みのりも座る?」
「うん」
図書館では人の目も気にせず話していたのに、公園のベンチでこんな風に二人で座るのは初めてで、なんとなく気恥ずかしさがよぎる—。
「あのさ、高校に入ってから俺専用のパソコンを買ってもらって、いつの間にか嵌っちゃって、図書館に行く時間もなくなって、みのり、どうしてるかな?って思いながら今日まで来れなかった」
「そっか。ゲームとかしてた?」
「まあ、ゲームもそこそこしたけど。自分でブログとか作ったら、なんやかんやで忙しかったし、学校の部活のこともあったからね」
「ずっと来ないから、もう来ないかと思ってた」
「うん。ごめん。それで、みのり、今でも図書館に来てるかなってふと思って、今日は久しぶりに来てみたんだ」
「そう」
「みのりと俺って友達だろ?」
「友達というか、兄貴って感じだけどね」
「そっか。兄貴か」
「そう。いろいろなこと教えてくれる兄貴かな。だから図書館に来なくなってちょっと寂しかったけど、元気そうでよかった」
「みのりもな。それから俺、部活でいろいろと忙しくて、これからも図書館にどれぐらい来れるかわからないけど」
「何の部活?」
「高校になってから地学部に入ったんだ。言ってなかったっけ?」
「言ったかもしれないけど……ずっと来なかったからね。昔のことは忘れた」
「とにかくそれで、今度、地学オリンピックに参加することになって、もっと忙しくなりそうだから、その前にちょっと図書館に寄ってみたんだ。ここに来ればみのりに会えるかなって思って」
「そっか」
「うん。ずっと気になってたから。みのりのこと。会えてよかった」
「私も大樹が元気そうで、ホッとした」
「そうか。ホッとしたか」
「うん。地学オリンピック応援してるよ。私はこれからも図書館に来てると思うからまた報告に来てね」
「図書館に報告に来てもいいけど、そろそろ連絡先、交換しない?みのり、携帯とかメルアドとかある?」
「ごめん。携帯は高校になってからって親に言われてるから。家電とか住所なら教えられるけど」
「じゃあ、それで。念のため交換しておこう」
そう言うと、大樹は名前と住所と電話番号とメールアドレスを書いたメモ用紙をみのりに渡した。
「あっ、私はメルアドはないよ」
「いいよ。念のため教えておくだけだから。それからこの電話番号は携帯のだから、マナーモードの時は繋がらないよ」
「じゃあ、高校になって晴れて携帯を買ってもらえたら、メールも交換しようね。それまでは手紙とか電話かな」
そう言いながらみのりはメモ帳を出すと住所と名前と電話番号を書き、そのページだけ破って切り離すと大樹に渡した。
「まあ、急なことがあったらね」
「うん。私はこれからも図書館に来てると思う」
「あっ、みのりの家、ここから近いんだね。いいな。俺ん家、遠いからさ。とにかく、これからもよろしく。じゃあ、今日はもう帰る。またそのうち来るからさ」
「うん、またね。バイバイ」
「バイバイ」
大樹は軽く手を振ると自転車置き場の方に走っていった。その後ろ姿を見つめ、今度はいつ会えるかなと思いながらみのりはふっと笑った。
図書館の君—Precious time for the future— 中澤京華 @endlessletter
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