(2)忠犬
くしゅん、とくしゃみをして、ぱちくりと瞬く。
「ーー今のーー夢?」
『あらやだ、朔ちゃん。顔が赤いわ、風邪でもひいた?』
人を食ったようにせせら笑う瓊蘭は、クク、と喉の奥をふるわせる。
ある意味含み笑い、ともいえるだろう。
付き合いの長い瓊蘭には夢戯言すらお見通しだったのかもしれないが、明宝の存在を気遣ってか不問にふしてくれているようだ。
それでも! 男子たる矜持だけは人一倍だ。
「むむむ」と口をへの字に引き結んで複雑極まりないでいると後頭部をペチンと叩かれた。
「痛ってぇな、何するんだよ!」
「何を寝ぼけたことを、ほんに顔が赤いではないか! みよ、だから言わんこちっちゃない!どれ」
スッと白妙の腕がのびる。
「何のつもりじゃ?」
が、ひょぃとかわした。
「ただの条件反射ってやつ! 熱なんてねぇし! なんともねぇ!! 気遣いはむようだっっ」
焦った。
今ここでさらに赤面するわけにはいかない。
明宝に気取られるわけにはいかないのだ。
「そうかーーーーなんて言うと思うてか? 無いかは妾が確かめる、そら」
今度はかなり強引ぎみに手がのばされた。
「って、おぃ!?」
さっと避ける。
「何故避けるのじゃ!」
「お前がむきになるからだろう?」
「当然じゃ。主人が下僕を気遣うのは至極当然に思うが?」
確かに言っていることには筋がとおっている。至極まっとうな言い分。
けれど、年頃の男子に対する気遣いはもう少しあってもよくないか?
「…………」
「…………」
しばらく睨みあった。
触診しようとする明宝と触らせまいとする朔。
どちらも必死で、隙あらば手を伸ばしてくる明宝も、どちらも譲れない何かがそこにある。
触れられれば身体の芯が火照って正気でいられるとは思えない。
下半身は別の生き物とはいうが、気持ちとは裏腹に明宝を傷つけてしまいそうで、己を制御できるのか自信がなかった。
「だから違うって言ってるんだろうが! んなことより瓊蘭、どうだ?」
無理に話題を変えようとして、朔は傍観をきめこんでいた瓊蘭に話をふる。
『あら、もう終わった? 痴話喧嘩。妬けるわ。この零距離でそ知らぬふりも大変なんだけど?』
やめてくれる? と悪戯っぽく謗る。
カァと朔の頬がほてった。
すべてお見通しなのだ。
「痴話喧嘩じゃねぇ! 目、腐ってんのか? それとも耳でも患ってんのか!? あん?」
『生憎どちらも正常よ。見えてきたわ、あれが華南国境。あの山をひとつ越えたところにあるのが華南城、玻離宮よ』
ふぅんと気のない返答をし、朔は起きぬけで朦朧とする頭を無理にはたらかせる。
想定していたよりも早い到着だ。
朱色の月は頭頂よりやや傾いている。
この傾きからして徒歩で3日費やすだろう距離を一刻ほどで移動したことになる。
ねぎらいの言葉のひとつもかけるべきところではあるが、また痴話喧嘩などとはやしたてられでもしたら、それこそ話がふりだしに戻されてはかなわない。
朔はそっと腕をくみ、それらしく神妙に下方をみわたす。
「どれ」
朔は寝ぼけ眼をこすりながら瓊蘭が指し示した嘴の先、国境付近とやらをよくよく見つめ、ゾッとした。
紅き光輪をいただく月下の抱擁のもと、暗い山渓が濃くうかびあがり、さわさわと魑魅がざわめいている。
魑魅とは、いわゆる妖怪の類いとひと括りにされがちであるが、どちらかといえば聖霊に近い。
戦場の影響をうけてか、それがうじゃうじゃと枯れた山肌を這いずりまわっている。
それなのにーーーー
「妙に静かだ」
国境を越えた先は戦場だというのに息がつまるほど静謐すぎる。
その不自然さに身の毛がよだつ。
それは武者震いによるものかもしれなかった。
『今宵はことに気温が下がっているからだと思うわ。華南ではよくあることよ』
「それはどういうことじゃ?」
朔を押しのけ、明宝がずずいと顔をだす。
「瓊蘭はよく華南を訪れるということか?」
明宝のその食いつきぐあいに鼻白みつつ瓊蘭の黒い二つの玉が明宝をとらえた。
『ぇぇ。近くに手頃な湖があって、羽休めにたちよるの。けど、何故かそのたびに不審火がおこるのよ。それをアタシたちのせいにされたらたまったものじゃない。でしょう? それで犯人を捕まえてやろうかと仲間とともにはっていたの。で、捕まえてみればなんと子供よ!?』
どうしろっていうのよ、とぐちぐちとごちる。
明宝は顎先に拳をあてながら、ふむふむと頷く。
「昔から子供は火遊びを好むゆえ。いけないという意味を真に理解してないからじゃろうが。なるほどな。真犯人が捕まれば四の五の言われる筋合いはない、というわけじゃな」
『そ。明宝様の忠犬も違う意味で火遊びとか教わっていたわよねーーーー老師に』
「ほぅ? 火遊び? 大人の火遊びとはいかなるものじゃ? 見た目はいとけない男子のくせしてからに」
聞かせてもらおう、といい終えた明宝の眸がワクワクとして楽しげに見えるのは目の錯覚だろうか。
瓊蘭めっっ、と毒づく。
明らかに瓊蘭は朔で言葉遊びをしているのは明白だ。
もしや、飛ぶのにあきてきたのか!?
そうなのか!?
「このっっ……………」
仕返しとばかり、馬でいうところの腹部付近をちょんと蹴る。
『いゃゃぁん』
「おぃ。紛らわしい声を出すな! そしていらん火の粉をふりまくな! 俺は師匠にそんな教えをこうた覚えはない! 」
殴るぞ、と耳元で囁く。
この程度の脅しが果たしてどこまで瓊蘭に通じるだろうか。
『やってくれたわね、東方朔。アタシの急所をよくも。そこが弱いと知っていて…………? ならアタシにも考えがあるわ』
つん、と嘴を突き上げる。
『口ではなんとでも言えるわよね? あんなことやこんなことも? ね……明宝様』
するとじっとりと絡みつくような冷たいものを感じる。
「…………」
「明宝、んな白い目で俺を見るな!」
こ汚いものでも見るような皿のように目を細くして朔を凝視している。
明らかに軽蔑の眼差し。
これが何の接点もない赤の他人からされるものであれば屁の河童。痛くも痒くもないが、ごく親しい、それも主人からのものとあればかなりへこむ。
しゅんとうつむくと、瓊蘭は何かを察知する。
『あらあら、やってられないわ! 爪牙をもがれた東方朔なんてみちゃいられないったらーーーー』
その桃色がかる甘酸っぱさに瓊蘭はぴんと閃いた。
『ぁぁ。そういうことね。若いっていいわね。ワタシも一花さかせようかしら。パッと。丁度あんな感じに』
ドォォォォーーーー。火柱があがった。
まだ遥かに遠くである。が、形状がわかるほどには十分すぎるほどに克明な火の柱であった。
「ーーぇ?」
初めは何言ってるんだかと鼻で笑いとばしかけた。
それがいくつもあがったとなれば笑い飛ばせるレベルではない。
「な、なにごとじゃ!?」
いつのまにやら握られた朔の麻衣が小さく震えている。
『王宮のある南東からだわ』
「……朔」
朔はその手に自らをかさね、ぎゅと握りかえす。
「案ずるな。大丈夫だから」
風にのって鼻先へ運ばれてきたのは異臭。
「この臭いーーーーまさか火薬、か? 朔!」
「…………だな、間違いない。この臭いは紛れもない火薬のそれだ。城下で火を使うってのはある意味禁じ手。それを惜しげもなく遂行するってことはーーーー」
河南、存亡の危機に瀕している?
「瓊蘭!」
『ガッテン! 二人とも、アタシにしっかりとつかまって。急ぐわよ』
鵬翼が光速で風を斬った。
災ーSAIー幽戯 冰響カイチ @hibikiarisa
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