第4章 葬送の月(1)




「火焔総帥。そろそろはじめても?」


煌々とした篝火によって浮かび上がる五層もの城壁のうち四層目の壁内の前には甲冑に身をかためた軍勢がつめている。


火焔はその最後尾につき下賜されし宝剣をかかげると火焔直属の軍師である屠北に開戦の合図をおくった。


「開門せよ」


すると三十そこそこの若き軍師屠北は甘いご面相でニコリと笑み、手にした翳を振る。

女性のための翳ではあるが、これは屠北の験担ぎである。

見目のよい屠北にはよく似合う。

薄絹に描かれた大輪の牡丹が小さく風を斬った。


「朗将帥」


はっ!と告げるや朗将帥の号令のもと鼓鐸が鳴らされた。


歩兵はそれぞれの得物をにぎり、構える。


夜は言うも相聞こえず鼓鐸を鳴らすのが上策。


朗将帥は鼓鐸をニ度目にかき鳴らすと同時に次なる命を発する。


「弓箭隊はつがえ待機! 歩兵は前進!」


ふせろっ、そう誰となし叫ぶや、歩兵はその場に突っ伏す。


弓箭隊がためつすがめつ弓をつがえ次々に放たれるそれをかわきりに歩兵がスクリと立ち上がった。


「突撃!」


うぉぉぉーっ、怒涛の勢いでいくつもの土嚢を担ぎ上げ猪突猛進中央を突破する。


これぞ華南の兵がたっとぶ神速攻撃の第一派。歩兵のための援護に箭が放たれる。


甲矢を放ち、次いで乙矢を射る。


だが正鵠を射たはずが一瞬敵の進行速度が弱まった、それだけだ。


火箭も毒箭も効かぬ敵。おそらく火薬すらも。それでも弓箭隊は歩兵を前進させるためだけに箭を放ちつづける。


箭の飛び交う中央は混戦状態。卍ともえ入り乱れ歩兵はさらに中央へきりこむ。


剣戟の残響がそこかしこで響きあい鉄と鉄とがぶつかりあって火花が散る。


火焔の後方にたつ屠北が「いかがいたしましょう」そう遠慮がちに声をかけると火焔は小さく「待て」と言い、白いものが入り交じる白髭を撫で付けながら戦況を眺めだした。


事の成否を存ずるのは歩兵がどれだけ時間をかせぎ足場をかためられるかにかかっている。


歩兵は円を描くようにして陣形をととのえたのち土嚢を一気にくみあげる。小さくうずくまった。


それを見た火焔は「よし!」と薄く笑う。


歩兵の背負った盾は球状の蓋となり、それが亀の甲羅を彷彿とさせることから八卦陣とも呼ばれ、華南の得意とする陣形であった。


敵を分析し、練りにねった戦術がこれだ。

ここを攻撃の拠点として敵の数を減らそうとしている。


「うぉぉぉぉ!!」


歩兵は腰にはいた刀剣を鞘からぬきはなち土嚢の壁越しに突き刺す。


すると血糊のかわりに墨が飛び散りパンと弾けとぶ。


辺りは墨一色にそまった。


「弓箭隊は次の作戦に移行せよ」


火焔の一声で、ど、どんっ、と二回鼓鐸が鳴らされた。


弓箭隊は火箭に火を灯すと箭をつがえる。


歩兵は腰に下げた布袋を敵めがけてほうり、それを弓箭隊が一斉に射る。


するとそれは発火して火の柱となり敵の頭上へ降り注いだ。


それを眺めていた火焔がやおら口をひらく。


「透燕将帥、そこにおるか」


はっ、そうこたえながら馬首をめぐらせ火焔の後方につく。


透燕は次の作戦の要をつとめる。

足の速い馬匹で戦場を撹乱して敵を分散し、その進行をにぶらせる手はずであった。


その透燕の後方には馬匹の横にたち面繋をにぎりしめる多くの武官たちがひかえていた。


「軍命である。透燕将帥以下、これより皇王様の指示をあおげ。無駄死にはゆるさぬ。一兵でもより多く命を永らえ王をお守りもうしあげるのだ。わかったな、わかったら行け」


「は? しかし…………」


いい淀みながら梃子でも動かないといった構えをとる。手綱をにぎり火焔を見据える。


「ならぬ。行け。行かぬと軍命違反として厳しく罰する」


「行けません! どんな罰でもあまんじてうけましょう。それでもこの命令だけは断じて承伏しかねます。絶息のときまでお供したいのです! どうかお連れください」


我々も、火焔を囲む武官たちが膝をおった。


それを見て目をまるくした火焔の脳裏には苦い思い出がよびおこされた。


遺される者の辛さ。この感覚には覚えがあった。

若かれし初陣をかざった十五の春、父と慕った総帥に、将と深谿に赴き将と倶に死すべし、そうぶつけたこともあった。ーーーーだが。


「我々は一粒の麦である。そななたちの命は華南のため、ひいては皇王様のためのものである。これは軍命である」


「総帥…………」


武官たちは一様にうつむき、そのまま立ち上がった。

面をあげられなかったのだ。


鼻をすすりあげながら透燕に続いて手綱をひき、足を引きずるようにして城へともんどりをうっていく。


火焔は涙でぐしゃぐしゃな武官、兵士、一人一人の顔を瞼にやきつけ、後世の名将たちの背に向かって呟く。


「生きながらえ、達者で暮らせーーーー皇王様をたのんだぞ」


一将功成って万骨を枯って生きながえたこの命。

こんどはその万骨にんり時がきた。


危殆に瀕し、我が人生においてこれが最後の戦となるだろう。


誰の上にも星は見えぬ。


だがそれでいい。


託すべき者たちに華南の未来を託したのだから。



ーーさぁ、決戦の時だ。


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