Sky beans.

井ノ下功

空豆をめぐるパズル

 


[これは小さな物語の掃き溜め

 これは細かな伝説の寄せ集め

 古い本に挟まっていた一枚のポストカード

 汚い箱に埋まっていた一片のパズルピース

 そういう、どこから来て、どこへ行くのか、何も分からない

 どこで生まれて、どこで死ぬのか、誰も想像できない

 そういうものを、拾って、重ねて、繋ぎ合わせて

 糸くずを撚り集めてもう一度糸にするような

 果てのない作業の僅かな断片

 絵空事に纏わる、些細な語りの集合体]



   ◎[これは二千年近く前のことだろう]



「聞いてよジェイコブ、僕、雲の上までずんずんと伸びていく豆の木を見つけたんだ!」


 俺は、また嘘を言ってら、と唇の端を吊り上げてせせら笑ったけれども、アイソーポスは目をキラキラと輝かせて、まるで本当に見てきたかのように語るんだ。


「僕はそれを登っていってみたんだ。そうしたら、雲の上は一面畑でね、豆の木がずぅっと向こうまで伸びていって、たっくさんの金色の豆が鈴生りになっていたんだ!」


 Sky bean, sky bean.と、アイソーポスは陽気に歌って、くるくると回った。その声があんまり大きいもんだから、俺は慌ててアイソーポスの肩を掴んで、囁いたんだ。あんまし目立つ真似するなよ、ご主人様に怒られちまう、って。するとアイソーポスはぴたりと止まって、囁き返してきた。


「そうだね。ご主人様が知ったら、全部独り占めしちゃうに決まってる」


 そう、その通りだ、アイソーポス。だから頑張って隠し通してくれ。お前の、その夢を。


   /


「登れ! さぁ、さっさと登るんだ! 天上の黄金を、神々の至宝を、我が手に!」


 ご主人様はそう言って、僕の尻を鞭で叩いた。僕は、泣いてしまわないように、唇と唇をぎゅっと合わせていたんだけれど、涙はどんどん溢れてくるんだ。それでも、僕は登ったよ。あの時見つけた、僕だけの豆の木に。やっぱり、ご主人様は独り占めするつもりなんだ。ごめんよジェイコブ、やっぱし、君の言った通りになっちゃった。


「はっはははははっ! 役に立たない奴隷どもでも、生かしておいただけのことはあったなぁ! いつもいつも絵空事ばかり言ってやがったが、絵空事が現実になるならば話は別だ! さぁ早く、早く、早く! その黄金の豆とやらを持ってこい!」


 Sky bean, sky bean.と、僕は歌いながら登っていった。そうでもしていないと、とてもじゃないがやってられない。背負った籠は重たいし、叩かれた尻は痛いし、もう嫌だ。あぁ、でも、もう着いちゃった。前に見たのと同じ、綺麗な金色の空豆畑。


「これで、我が栄光は約束されたも同然っ――」


 ここまで届くほど大きなご主人様の声がぷつりと消えたから、僕は下を覗き見たんだ。


   /


「神様なんていないんだっ!」


 奴隷の少年は、大人たちに上からぎゅうぎゅうと押し潰されながら、それでも腹の底からそう叫んだんだ。彼の叫びは、彼の唇から滴り落ちている血が、そのまま固まったかのように、怒りと悲しみで真っ赤に染まっていた。少年の手から落ちた、血まみれの棍棒が、私の足元まで転がってきて、止まった。


「いるんだったらどうしてアイソーポスに夢を見せたっ? どうしてその夢を本物にして、どうしてその夢を奪った? なんで……なんで、アイソーポスを連れて行ったんだよっ!」


 Sky bean, sky bean.と、狂ったように少年は繰り返しているんだ。大人たちが押さえつけて、殴って、皮膚が裂けても、少年は声を上げ続けていたんだよ。


「Sky bean! 絵空事は絵空事だからいいんだろっ? なのになんで……なんでっ!」


 少年の気持ちは少しだけ分かる。私だって自分の目を疑っていたさ。ついさっきまで、そこには巨大な豆の木があったのに、今はすっかり、何もなくなっていたのだからね。



   ◎[これはおそらく現代だ]



「へぇ、可愛いお菓子。空豆みたいな形をしてるのね」


 いつもお茶らけていて、テンションの高い彼女でも、今日が『死者の日』であることは理解していたらしいと見える。唇を彩るマットな口紅と同じくらい、少しだけ控えめにそう言った。


「知ってる? ピタゴラスは、空豆の茎は冥界に繋がっていて、実には死者の魂が宿ってるって考えたことがあったらしいのよ」


 Sky bean, sky bean.と、露天商が僕らに向かって高らかに謳った。このイタリアで、僕たちの会話が英語だったからだろう。彼女はひらと手を振り、あっさり呼び込みを躱した。


「そう思うと、死者の日に食べるお菓子が空豆の形をしてるってのも、納得できるし、面白いわよね。ずっと昔に死んじゃった人の、想いを受け継ぐみたいで」


 僕は口をつぐんだ――僕なら、死んだ人の思いなんて知りたくない。



   ◎[これはたぶん十九世紀に入った頃]



「空豆の餡子、お食べになったことはありまして?」


 クリスティーナお嬢様はそうおっしゃって、そのぷっくりと膨らんだ艶やかな唇を、何度も指先で触れているのでした。


「そらまめ、って言っても、貴方、普段スープにするようなbroad beanではなくってよ。それは本当に、文字通り、お空に生っているお豆ですの」


 Sky bean, sky bean.と、リズムを刻むように繰り返し呟かれたお嬢様は、ふっと、突然糸を強く引かれた操り人形のように立ち上がって、わたくしの方をご覧になりました。


「私、どうしても“空豆”の餡子が食べたくなってしまったわ。貴方、取ってきて」


 わたくしはこうべを垂れました。


   /


「クリスティーナ、お前に良い縁談が来ているんだ……どうだい?」


 お父様はまるで、私に決定権があるかのようにお話しされるけれど、それはあくまで外側だけ。私はもちろん、頷きましたわ。瞼は半分閉じたまま。唇に下向きの弧を描かせて。控えめに、けれどはっきりと。だって、私はただの、空っぽのお人形ですもの。


「うん、安心して嫁ぐと良い。お相手はとても好い青年だよ。伯爵家の跡継ぎで、しかも立派な軍人だ。これほど良い条件はなかなか無い。よかったな、クリスティーナ」


 Sky bean, sky bean.と、心の中で呟きます。平静を保ちなさい、クリスティーナ。人形なら人形らしく、ふわふわの綿の脳みそで、ただ可愛らしく微笑んでいなさい。


「そういえば、リチャードは辞めさせたのかい? 君のお気に入りだったと思ったんだが」


 お父様ってば、分かってらっしゃらないわ。お気に入りだからこそ、ですわよ。


   /


「お願いいたします……ここが、最後の頼みの綱なのです」


 その男は、地面に両膝をついて、天に向かって祈っていた。水も食料もとうに果てている。男は今にも死にそうな様子で、乾き切った唇を震わせた。


「どうか、どうか……過ぎた欲望であることは分かっております。何のために、ありもしない物を求めさせられたのかも、分かっております。ですが……ですが、本当に存在するかもしれないと知った今、黙っていることなど、できようはずもないのです……」


 Sky bean, sky bean.と、男はおまじないのように、縋りつくように、きつく組み合わせた両手の中に呟いた。


「……叶わぬならば、せめてここで、殺してください……っ!」


 絞り出したその声を、神は、聞き給うたか――


   /


「お帰りなさいませ、旦那様」


 私は生真面目な従者に上着と荷物を預けて、留守中何事もなかったかどうか尋ねた。従者は上着を抱えたまま、考え込むように唇を尖らせ、やがて重たげな声を出した。


「――一つだけ。旦那様のお耳に入れるようなことではないかと思いますが――リチャード、と名乗る不審な老人が、大きな袋を持って、やってきまして……“クリスティーナお嬢様に会わせてくれ”と」


 Sky bean, sky bean.と、口ずさむ声が聞こえた――いや、幻聴だ。分かっている。クリスはもう死んだのだ。三年も前に。彼女が愛した庭園を守っても、空しいだけだった。


「もちろん、お引き取り願いましたが……一体、何が目的だったのでしょうね?」


 詮無い事だ、死んだ人間に用など。もはやなにも、どうでもいい。



   ◎[これは間違いなく現代である]



「なんでジャックと豆の木って、最後の展開を変えられる場合が多いんだろうね」


 教訓を入れたいのではなかろうか、と私は至極まっとうなことを返した。それより、友人の前歯に口紅が付いているのが気になる。あれは、唇の厚みが原因なのか、それとも前歯の角度が原因なのか、どっちなのだろう。友人はそのことに気付いていない。


「そりゃそうなんだろうけど。でも別にさ、教訓って、あっても無くてもいいじゃない、別に。わざわざ差し替えてまで教訓を入れ込む必要性が分からない。というか、ジャックって割とすでに苦労人だし、最後くらい遊ばせてやったっていいじゃんって思うのよね」


 Sky bean, sky bean.と、友人は唐突に呟いた。何それ、と聞くと、最近聞いた洋楽の空耳だ、という。Sky divingがそう聞こえたらしい。


「で、調べて初めて知ったんだけど、空豆の英語ってSky beanじゃないのね」


 それは私も初耳だ。



   ◎[これは少し昔から現在までだ]



「その昔、自分の主人に言われて、幻の豆を求め、空の上まで旅立った従者がいたらしい」


 おばば様はそう言って、しわしわの唇の隙間から重苦しい息を吐きました。


「従者の男は、数々の苦難の果てに、どうにか、天空にたどり着いた。そこには一面、金色の空豆が生っていてな。男はそれを袋いっぱいに詰めて、主人のもとに帰った」


 Sky bean, sky bean.と、何かの呪文のように呟いて、おばば様はにこりと笑いました。目じりのしわを一層深くして笑う時のおばば様はいつも、次に悲しいことを言うのです。


「ところが、男の主人は当の昔に死んでおった。男は己の愚鈍さを呪い、豆と一緒に崖へ身を投げたのよ」


 やっぱり。私は深くうつむきました。救いのない話は嫌いです。だけどどうしてか、そういう話ばかり記憶に残ってしまうのです。きっと私も、これを娘に語るのでしょうね。


   /


「エンドウ豆なら、ファラオのお墓から見つかったけどね。ほら、一時話題になったじゃない」


 マクファーレン教授はそう言って、ほとんどルージュのはがれてしまった唇に紙コップを運んだ。安っぽいインスタントコーヒーがこの人の好物である。


「あなたが求めるような話、私は知らないわよ。だって私は考古学者ですもの。民俗学は――そりゃ、興味はあるけど――専門じゃないわ」


 Sky bean, sky bean.と、書かれた外国のポストカードが、風に吹かれて舞い上がり、教授の手が慌ててそれを掴んだ。それから、それを見てはたと思い出したように。


「そうだ、彼女なら何か面白いことを知ってるかもしれないわね。紹介してあげましょう」


 僕ははっきりと頷いて、感謝した。やはり、ダメもとでも来てみるものだ。


   /


「伝説を聞いて回っているんだ。いろんな場所の、いろんなお伽話を」


 マクファーレン教授の紹介だと言って、その青年は私を訪ねてきた。聞けば、はるばるアメリカからやってきたらしい。伝説を聞くためだけに? なんと、馬鹿げたパワーだ。私は思わず、馬鹿にするように唇を歪めて笑ってしまったのだが、彼はまったく気にしなかった。


「特に今は、空豆の話に注目していてね。なぜか最近、空豆のことをよく聞くんだ。だからどうしても気になってしまって。君、何か、空豆に関する話、知らないかな?」


 Sky bean, sky bean.と、祖母がよく口ずさんでいたのを、不意に思い出した。たわいのない寝物語だ。ファンタジーなのに、救いの無い物語。そんなものでもいいのだろうか。


「大丈夫。どんなものだって構わないよ。君が繋ぎ、今また新しく繋がり、残っていくということに価値があるんだから」


 今日を生きるので精一杯な私には、その価値が分からないのだけれど、この場合、馬鹿なのは私だろうか、それとも学者の方だろうか?


   /


「ロックフォード家は由緒正しきお家柄でして、ええ」


 観光ガイドは慣れた様子で話を進めていく。客の興味は話ではなく、邸宅そのものに向いているのだが。それもどうやらいつものことらしい。私はいつもの癖で、唇を内側にしまい込みながら、適当に辺りを見回していた。ふと、一人の青年が、机の上に並べられていたポストカードを指差して、ガイドに、これは何か、と尋ねた。


「そちらのポストカードは無料で配布しておりますので、よろしければ、記念にどうぞ」


 Sky bean, sky bean.と、スタイリッシュなデザインで書かれたポストカード。空の豆……空豆? いや、英語で空豆はbroad beanのはずなんだが。馬鹿な学生じゃあるまいし。青年は何故かとても嬉しそうに、そのポストカードを鞄にしまっていた。


「――そろそろ、お庭の方にご案内いたしましょう。十九世紀初頭に当主であらせらせました、ジャック・ロックフォード様が、終生愛し続けた庭園です」


 ツアー客全員が目を輝かせたのが分かった。そう、他ならぬ私も、目当ては庭なのだ。歴史をどうでもいいというわけではないが、やはり、英国庭園はロマンである。


   /


「あら! あらあらあらあら、とっても面白いお話ね!」


 ギリシャに着いた途端、ふらりとどこかに消えてしまったマクファーレン教授を捜し始めて、二時間。ようやく見つけたと思ったら、どこの馬の骨とも知れない汚い老婆と話し込んでいたのだから、勘弁していただきたい。その所為で私はリップクリームすら塗れなくて、乾燥した唇が今にも切れそうなのに。


「だって、しょうがないじゃない、すごく面白かったのよ! 巨大な豆の木と、雲の上にある金色の空豆畑。それを独り占めしようとした領主を、奴隷の少年が殺しちゃったって」


 Sky bean, sky bean.と、そんな風な音を、老婆が呟いたらしい。ひどくしわがれて、掠れた声だったので、定かではないが。興味もないが。


「帰ったらリチャード君に教えてあげなくっちゃ。喜びそうね、彼!」


 あぁ、駄目だ、唇だけじゃなくて堪忍袋の緒も切れそう。――そんなことより、発掘調査を頑張っていただきたいのですけど。



   ◎[これは現代]



「小豆は邪気を祓うって信じられていてね」


 彼はそう言って、さっき買ったばかりのぼたもちを頬張った。立ち食いなんて、と思わなくもないが、何も言わないでおく。彼は、唇に付いた餡子の欠片を舌で舐め取って、話を続けた。


「だからぼたもちとかおはぎは、小豆の餡子で作るんだって。なのに、中身のお餅……っていうか、もち米なんだけど、それは潰し加減によって、“半殺し”とかって表現するんだよ。物騒だよね」


 Sky bean, sky bean.と、書かれたポストカードを持って、歩いていく外国人とすれ違った。あのポストカード、ちょっとカッコよかったな。持ってた外人さんも。


「ねぇ、聞いてる?」


 嘘、聞こえてると思ったの?



   ◎[これは――]



「Wow――What a wonderful. ――すごく、おいしい、です」


 外人さんは、慣れない日本語でそう言って、また一口、もう一口って、ぼたもちを頬張っていくんです。本当においしい時の顔って、すぐ分かるんですよ。唇がこう、きゅって、自然に持ち上がるんですから。そういう顔して食べてもらえると、もうこっちは見てるだけで幸せって思えるくらいで。


「ありがと、ございます。とつぜん、きて、すみません、です。わたし、この、空豆のあんこ、ずっと、さがしました。であえて、うれしい。しあわせ。ありがとう」


 Sky bean, sky bean.って、外人さんは、ぼたもちを本当に愛おしそうに眺めながら、そう呟いたんです。あら、スカイビーンって、空豆のことかしらん。安直なのねってその時は思いました。


「Sorry――It's scholar's job to make dreams come true.」


 外人さんは、空に向かって何かを言ったのだけれど、私には分かりませんでした。でもね、その時の外人さんの顔は、やりきったような、誇らしそうな、でもちょっとだけ悲しそうな、そんな表情を浮かべていたんですよ。


   [――おしまい]◎


 

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Sky beans. 井ノ下功 @inosita-kou

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