第13話 祝福
数日後、テオドールはマライアを連れてレジナリアへ凱旋した。港で出迎えたアリアナは、テオドールの後ろから女性が降りて来たのを見て首を傾げた。
「アリアナ、土産があるぞ」
「土産、ですか?」
そう言われてよくよく女性の顔を見て、目を丸くした。それは、もう二度と会えないと思っていた姉だった。
「もしかして……姉様……?」
「……アリアナ……」
「姉様……姉様! 生きていらしたのですね! ああ……でも、どうしてここに……?」
状況が飲み込めず頭が混乱して、久しぶりに会えた喜びよりも疑問が先に立ってしまう。
「説明は後だ。とりあえず、城に戻ろう」
テオドールにそう促されて、一緒に馬車に乗り込む。姉の隣に座って二人から何があったのかを聞き、姉が受けた屈辱に、アリアナは姉の手を握って唇を噛んだ。
「扱いは酷かったが、お陰で後宮から救い出せたのだから、ヤツらの浅はかさには感謝すべきかも知れないぞ。後宮の奥深くに隠されたままでは生死もわからず、手の出しようもないからな」
「そう……ですね」
ひと月後、海戦に敗れ、皇太子を捕虜に取られたクリプトスは、ヒプロスを手放すことに同意し、イダ島で和平交渉が行われることになった。
かつてはヒプロスの周辺にも小国が多数存在していたが、みな徐々に力のある国に呑み込まれ、いつの間にか大国に挟まれる形になったヒプロスには、もはや単独で隣国に対抗する力はない。危機感が募る中でクリプトスに侵略されてそのことをよく理解しているヒプロスの民は、独立は望まず、南のクリプトスよりは北のカンディーナに組み込まれることを選んだ。
そしてカンディーナ皇帝は約束通り、ヒプロスの七つの島を全てダフネシアス公領とし、テオドールがその最初の領主となる。
和平交渉では国境の確定とともに、カンディーナ側から捕虜を返す条件の一つとしてクリプトス王とマライア王女の婚姻の解消が要求された。クリプトスはこれにも応じ、マライアは晴れてクリプトスから解放された。
マライアは気持ちの整理ができるまで神殿に仕えたいと言って、滞在していたレジナリア城からイシス島の大神殿へと旅立って行った。
それから一年と数ヶ月後、アリアナの十八歳の誕生日に、イシス島の大神殿で約束通り二人の結婚式が行われた。
その三日前、準備のため早めに島に来ていた二人は、かつてアリアナがヒプロスによって軟禁されていた屋敷を訪れた。アリアナにとってはあまり良い思い出ではなかったが、テオドールのたっての希望をアリアナが受け入れた形となった。
バルコニーから二人で海を眺めていた時、テオドールが唐突に話し始めた。
「この場所で貴女は歌っていた」
「え?」
「私は祭を見にこの島に来ていた。この近くに夕日を見に来て、歌うアリアナを見かけた。風に乗って歌声が聞こえて来て、貴女を見つけたんだ」
アリアナは目を見開いてテオドールを見つめた。そういえばミリアが、テオドール殿下は以前からアリアナを想っているようだったと言っていたのをふと思い出した。
「そのあと祭の最中に貴女が海に落ちたと聞いた時は、心臓が止まる気がした」
そう言ってテオドールはフッと笑った。
「あれは私のところへ来るためだったんだな」
いくらなんでもその考えは前向きすぎる、とアリアナは思ったが、テオドールの顔を見ていると、もしかしたら本当にそうなのかもしれないと思えてくる。
「ここで待っていてくださいませ」
そう言ってアリアナは一度室内に戻り、当時のままになっていた竪琴を取って来た。静かに歌い出すと、テオドールは目を見張って「ああ、その歌だ」と嬉しそうに呟いた。
その歌は、恋人に向けて自分を攫ってここから一緒に逃げて欲しいと願う歌だった。
「歌に込められた願いが貴方に届いたのですね」
「そうだな」
徐々に日が落ちて家々が色を変えていく。
「あの時、アリアナはこんな景色を見ていたんだな」
「テオドール様もでしょう?」
「私はアリアナしか見ていなかった」
アリアナは苦笑したが、初めて聞く出会いの真実に、それまでの辛い思い出も全てが今の幸せに繋がっていたのだと改めて思い知った。
「ああ、そうだ。あの時ここはクリプトス領だったから、お忍びでここまで来ていたことは母上にも報告していない。だから今話したことは誰にも言うなよ」
「……本当に困った皇子様ですわね」
「だからこうして出会えたんじゃないか」
私、何だか苦労しそうだわ、と思いつつ、アリアナは笑いが込み上げて来た。
「落ち着いたら一緒に旅をしよう。そうだな、領地の視察だ」
「それなら、またイヴァンとエリックとミリアと五人で行きたいですわ」
「あの三人は当然ついて来るだろ」
結婚式には多くのヒプロスの民が他の島からも駆けつけて大層な賑わいとなった。港は多くの船で溢れかえり、式の警備を統括する神殿騎士団長レギウスは忙しく指示を飛ばしていた。そんなバタバタした状況の中にあっても、神殿騎士団の礼装とマントに身を包んだレギウスは大層美しく華やかで、女性たちの目を釘付けにしていた。
「なぁ、あいつ、新郎の私よりも目立ってないか?」
「気にしたら負けです」
冷たい返事を返すイヴァンをテオドールは恨めしそうに横目で睨んだ。
「良いではないですか。アリアナ様がいるでしょう? 殿下も今日はそれなりに華やかに仕上がっていますよ」
何だその言い方は、とテオドールがぶつぶつ言っているところに、支度を終えたアリアナが到着した。南国の白い花で作られた花冠を黒髪に乗せたアリアナは清楚で美しかった。出会った頃より少し逞しくなったテオドールも、カンディーナ海軍の礼装を見事に着こなして背筋を伸ばし、精悍さが増していた。
アリアナが少し恥ずかしそうにテオドールを見上げた時、人々が歓声を上げた。
「イルカだ! イルカの群れがいるぞ!」
「お二人を祝福しに来たんだ!」
神殿の近くの海に、イルカ達の姿が見えた。ヒプロスの人々にとっては紛れも無い吉兆だった。
大神官によって執り行なわれた式を終え、晴れやかな笑顔で民衆の前に姿を現した二人を目を細めて見つめるレギウス神殿騎士団長の隣には、静かに寄り添うマライア姫の姿があった。
――こうして、自由気ままだが領民の文化を愛し、身分に関係なく気さくに触れ合い、皆に愛される若い領主夫妻が誕生した。大帝国の一部となり平和を取り戻したヒプロス諸島は海洋交易で以後永く栄えることとなる。
一方、数年後に死去した王の後を継いでドリアモス王太子が即位したクリプトスは、強引な徴兵などの圧政に耐えかねた民が反乱を起こすなどして徐々に衰退して行き、さらに数代後には国が分裂するに至った――
ヒプロニアの海に棲むイルカは海神の使い。
陽気な海の民に海神様の祝福を。
―END―
アリアナの海 〜亡国の王女と旅の皇子〜 蔦川晶 @chaplum
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