第12話 海戦
大神官をイシス島から脱出させる。これを一斉蜂起の合図とすることが申し合わされていた。レギウスの元に一羽の伝書鳩が飛来し、大神官が密かに脱出に成功したことが知らされると、レギウスは直ちにテオドールに連絡し、出航の準備が開始された。
港前の広場でテオドールがカンディーナの兵士や漕ぎ手を鼓舞する一方、アリアナは集められたヒプロス人達に激励の言葉をかける。
「皆さんが無事にこの戦いを終えるまで、私は神殿で祈り続けます。どうぞヒプロスの民の心を守るために力を貸してください。ヒプロスに安らかな未来を取り戻しましょう!」
「ヒプロスを取り戻そう!」
「海神様のために!」
「みんなで帰ろう!」
澄み切った青空の下、集まったヒプロス人達がアリアナの言葉に応えて口々に鬨の声を上げる。そしてそれぞれ割り振られた船に乗り込んで行った。
カンディーナ海軍の軍船百六十隻の他、商人達から漕ぎ手と共に提供された武装商船四十隻が南部の三つの港からイシス島とイダ島へ向けて順次出航して行く。
アリアナは最後に旗艦に乗り込むテオドールを見送った。
「必ず……必ず無事にお帰り下さい。御自分の命を何よりも一番に考えて。私を決して一人にしないとお約束下さい」
「案ずるな。必ず戻る。祈っていてくれ」
右手をアリアナの肩に回して一度だけきつく抱き締め、髪を軽く撫でた後、テオドールは踵を返してイライアスとイヴァンが待つ旗艦に乗り込む。それきりもうテオドールは振り返らなかった。
全ての船が出向するのを見送って、アリアナは高台にある神殿へと移動した。テオドールが戻るまで、ここで祈り続けると決めている。神殿の海に一番近い柱に右手をつき、胸の前で左手を握って大船団が遠ざかっていくのをいつまでも見下ろしていた。
出航したテオドールの艦隊とレギウスの艦隊はイシス島へ向かい、ヒプロスの王城騎士団が率いる艦隊はイダ島へと向かった。
三日後、島影が見えて来ると、神殿騎士団長レギウスが率いる艦隊は崖下に神殿があるイシス島の西岸ではなく、なだらかな東岸の港へと向かい、そこにいたクリプトスの軍船を急襲して沈めた後、接岸して神殿騎士の一隊を港に降ろした。降ろされた騎士の一隊は港で馬を調達し、住民に蜂起を呼びかけながら西岸の港へと移動する。一方、艦隊は島を北から半周し、テオドールの艦隊の背後に付く。テオドールの艦隊も、西の港から出て来ていたクリプトス軍への攻撃を既に開始していた。
クリプトス側は、よもやカンディーナがこれほどの規模の艦隊を差し向けるとは予想していなかった。連絡を受けたクリプトス本国は援軍の準備に手間取り、ヒプロスに駐留していたクリプトス人達は最初から逃げの一手で、決着は早々に着いた。イシス島内の掃除はレギウス達に任せて、テオドールの艦隊はイダ島の応援に向かった。
イダ島に先に向かっていた元ヒプロス王城騎士団率いる主にヒプロス人で構成された艦隊は、かつてヒプロス王が住み、今はクリプトスの行政府が置かれている城近くの港を攻め落とし、上陸した。この城は海辺の岩場の上に建てられており、海から城の地下へと伸びている洞窟に隠し通路で繋がっていた。テオドール達が到着すると、カンディーナ軍が港を守りつつ城の各門前に兵を配置する。それと同時に、王城騎士団員は元近衛騎士の案内で小船で密かに洞窟へと入り、隠し通路から城内へと侵入した。
イダ島にはクリプトスの行政府が置かれていたが、そもそもヒプロスに駐留している兵士の数はさほど多くはなく、カンディーナ軍の攻撃に耐えられるような体制ではなかった。城内に敵が現れ、門が開かれると、城は半日程で陥落した。
こうして各島内の制圧は容易に成されたが、ちょうどその頃、クリプトス海軍がようやく準備を整えて本国を出発した。間者からの伝書鳩でその知らせを受け取ったカンディーナ軍は、すぐさま全軍の態勢を立て直してヒプロスの南の海上に東西横一列に船を並べた。
半日ほど待ったところで南の洋上からクリプトス艦隊が姿を表す。クリプトス側もこちらに合わせて、横一列に陣を展開した。中央に旗艦らしき一回り大きな船が見える。開戦と同時にテオドールが指揮する旗艦とレギウスが指揮する船は隣に並んで敵方の旗艦に近づいて行った。
レギウスの船がスピードを上げて衝角をぶつける。乗っている騎士達が橋をかけ敵船に乗り移ろうとした時、先頭に立っていたレギウスに声がかかった。
「待てよ。これを見ろ」
そう言った男の横の帆柱には、一人の女性がロープで縛り付けられていた。
「――――っ!!」
テオドールには聞き取れなかったが、レギウスが見たこともないような厳しい顔をして何か叫んだ。その声を聞いて女性は一度顔を上げたが、みるみる泣きそうな顔になって首を大きく振り、顔を背ける。
「あれは誰だ?」
テオドールは近くにいたヒプロス出身の船員に尋ねた。
「……恐らくですが……アリアナ様の姉君のマライア王女ではないでしょうか」
まさか、とテオドールは思った。マライア王女は人質としてクリプトス王の側妃になったと聞いている。クリプトスがヒプロスに侵攻した際に処刑されたと思われていた。
「……確か、嫁がれる前はレギウス様と恋仲だったと聞いた覚えが……いえ、あくまでもただの噂です」
テオドールは思わず船員を振り返った。
「……」
レギウスは現在二十八歳で女性にはとても人気があるが、いまだ独身で、婚約者もいない。
本来ならばヒプロスの王族がカンディーナにとっての人質となることはない。しかし、レギウスの件を抜きにしても、マライアはテオドールの妻となるアリアナの姉であり、またもしマライアを見殺しにすればヒプロスの民の反感を買う恐れもある。
もう一度レギウスを見ると、冷静だが周囲の者を凍りつかせるような怒気を纏って言葉を放った男と睨み合っている。風に舞う赤い髪がまるで静かに燃えているようだ。
「ドリアモス王太子か」とレギウスが低い、よく通る声で問い掛けると、男はニヤリと笑った。
「他国に泣きついて反乱の手助けを乞うとは、恥知らずな」
ほう、とテオドールは小さく呟く。王太子があちらの総大将か。なるほど、そのぐらい身分の高い者でなければ、いくら王の許しがあっても、王の側妃をあのように扱うことはできないだろう。
軍神のようなレギウスの迫力に、敵艦の者達は皆レギウスの微かな動きからも目が離せず、こちらに注意を向ける者はいない。弓に自信のあるテオドールは静かに長弓と火矢を用意させた。
テオドールの姿を隠すように部下に前に立たせ、合図をしてしゃがませると同時に敵艦の船尾側に火矢を射込む。長弓部隊の者達が即座に走り寄って同じように火矢を射掛け、敵の気が逸れた一瞬にレギウスが乗り移って一気にドリアモスに近づき、剣を振り上げた。
ドリアモスはなんとか向き直って自分の剣でレギウスの剣を受けたが、体勢を崩してなかなか立て直せず、レギウスの気迫に唾を呑んだ。チラリと周りを見れば、部下達はレギウスに続いて乗り込んできた者たちに応戦している。この旗艦には精鋭を揃えており、部下達の技量が劣っているとは思えないが、船の側面に先ほど火矢を射掛けて来たカンディーナ側の旗艦が迫っており、長弓での攻撃とともに衝角でオールを折られ、そちらからも兵が乗り込んで来る。マライアを気にして弓の攻撃は控え目だが……(チッ……これはマズいな……)と、ドリアモスは焦り始めた。
そんなドリアモスの表情を冷たい炎を宿した目で追っていたレギウスは、決して気を散らすことなく打ち合っていたが、遂に隙をついてドリアモスの剣を叩き落とし、腕を掴んで引き倒すと、片膝をその背に乗せて体重を掛け首筋に剣をあてがった。
その頃にはもうテオドールの旗艦から乗り移って来た兵たちが数でクリプトス兵を圧倒し、イヴァンがマライアのロープを切って助け出していた。カンディーナの騎士がレギウスに駆け寄り、ドリアモスを後ろ手に縛って捕虜として連れて行く。マライアも見たところ大きな傷はなく、無事にテオドールの旗艦に移された。テオドールは味方の兵士にそれぞれの船に戻るように命じ、クリプトス側の旗艦は燃やして沈めた。
他の船の戦況は、数では互角だったが、クリプトスからの移動の疲れもあるクリプトス兵と島で休息を取っていたカンディーナ兵ではやはりカンディーナ側が有利であった。さらに旗艦が焼け落ちるのを見てクリプトス艦隊は戦意を失い、逃走に転じ始める。カンディーナ軍はこれを追うことなく、海に落ちた味方の救助に全力をあげ、敵兵も捕虜として救助し、島に帰還した。
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