第11話 レジナリアへ

 しばらくして、テオドールは皇帝に呼び出された。


「婚儀の日取りを決めたそうだな」

「はい」

「うむ、それについて言うことはない。ただ、お前が結婚するにあたって考えていることがある」

「何でしょうか?」

「クリプトスがヒプロスへの攻撃を始めた時から、我が国も南海の海軍の増強を計っていることは知っているか?」

「はい、聞いています」

「現在、百隻の軍船を作らせている。元々保有していた百隻と合わせて二百になる。これだけあればクリプトスと総力戦になっても戦えるはずだ。お前には総大将としてその海軍を率いてもらいたい」

「は……い? 正気ですか?」

「もちろんだ。南部地方の皇帝直轄領を、結婚を機にお前にやろうと思っている。レジナリアの城と軍港をお前の拠点として使うが良い。操船に長けたヒプロス人を出来るだけ多く集めて、操船の指揮を当面は彼らに任せ、育成にも協力してもらえ。アリアナ姫の存在がお前の大きな力になるだろう。クリプトスに対してヒプロス人が決起した暁には全面的に協力する」


 カンディーナ海軍の弱点は実戦経験の少なさだ。それを、海戦経験の豊富な海洋民族のヒプロス人に補ってもらい、指導も受け、ヒプロスに協力する形で経験も積ませてもらおうというわけだ。


「クリプトスを追い出した後のことはヒプロスの民の動静次第だが、我が帝国に編入できれば、ヒプロス全土をお前の領地としてアリアナ姫と共に統治することを許そう。最終的な目標は、ヒプロニア海をクリプトスの自由にさせないこと。ヒプロスと我々で制海権を取り戻すことだ」

「……つまり、私とアリアナの結婚は、父上にとって願ったり叶ったりだったわけですね?」


 皇帝は惚けた顔をしていたが、否定しなかった。テオドールは大きく息を吐いた。


「確かに私にとっても魅力的なお話です。ヒプロスをクリプトスから解放できればアリアナも喜ぶでしょう。しかし、私には荷が勝ちすぎていませんか? さすがに話が大きすぎて、今までそういった心構えや経験をしてこなかった私がいきなりすべてうまくこなせるとは思えないのですが」

「わかっておる。それぞれの分野について、お前なしでも動かせるぐらい能力のある指南役と、助言も出来る知識のある部下を付けてやる」


 ――当面、お飾りで良いということか。


「クリプトスの動きから考えて、時間もないですよね」

「レギウス殿が既に密かに動いている。とりあえず一度レジナリアへ行って、現状を見て来るがいい。アリアナ姫も連れて行け。既に集まって来ているヒプロス人の士気が上がるだろう」


 やはり父には敵わないことを実感してしまった。



 宮に戻ったテオドールは、皇帝から聞いた話をアリアナに説明した。


「陛下が私達の婚約を簡単に認めてくださったのは、そんなお考えがあったからなのですね」

「全く、私にそんな大きな責任を押し付けて来るとは思わなかった」

「まぁ、私のせいでしょうか?」

「そんなことは言っていない」


 アリアナの咎めるような問いかけに、テオドールは口を尖らせた。


「押し付けるだなんて。国の未来も息子の未来もよく考えて下さっているのですわ」

「結局、政略結婚と変わらないことになってしまうな」

「でも、私達が二人で決めるまで話を待って下さったのは、私達の気持ちを優先して下さったからでしょう? 私としては、本当に私で良いのかと悩んだりもしていましたから、政略的にも価値があると言って頂ければ堂々と嫁げますわ」

「私が貴女が良いと言っているのだから、それで良いではないか」

「それだけでは民は納得しません。私にも立場というものがありますの」


 テオドールはまだ何か不満そうだが、結局親の言いなりになるのが癪に触るのだろう。アリアナはそんなテオドールを見て、笑いを隠せなかった。


「ヒプロス王家最後の一人として、ヒプロスを捨てたと思われることも恐れていました。陛下は全てお見通しの様で……全てまとめて良い方向に持って行ける力のある方なのですね」


 アリアナは心底感心した様子だった。テオドールはまだ口を尖らせていたが、自分の親を褒められて、やはり悪い気はしなかった。テオドールにとっても、内心ではやはり尊敬できる父なのだ。


「テオドール様には荷が重いかも知れませんが、陛下はきっとテオドール様の力量も見極めた上で決められたのでしょう。無理だと思ったら、こんな大役をお任せしないはず。ただ……やはり戦場に行って欲しくはありませんけれど……」


 テオドールは立ち上がり、暗い顔をしたアリアナの肩に腕を回して抱き寄せ、ポンポンと背中を叩いた。アリアナも王家に生まれ育った王女だ。それが仕方ないことだとは理解している。


「とりあえず、レジナリアへ行かなくてはな」

「はい、出発はいつになさいますか?」

「少し下調べもしておかなければならないから、五日後でどうだろう?」

「わかりました。準備をしておきます」

「……もしかしたら、こちらに戻って来るような余裕はないかも知れない。荷物は後から送らせることも出来るが、そのままレジナリアで生活することになっても大丈夫なようにしておいてくれ」

「私は元々こちらの人間ではありませんから、ご心配は要りませんわ」

「そうだな……落ち着いたら皇都を案内してやろうと思っていたのだが……先の話になりそうだ」


 テオドールは残念そうな顔をしていたが、アリアナは笑顔で「楽しみにしています」とだけ応えておいた。



 五日後、テオドールとアリアナはレジナリアへ向けて出発した。皇都へ来たときとは違い、騎士団の一隊が護衛に就く。


 あらかじめ知らせが行っていたレジナリアでは、二人を迎える準備が大急ぎで整えられ、二人が到着した時には大勢の市民と南部の各地から集まって来ていたヒプロス人達が大歓声で二人を迎えた。


「お、驚いたわ。こんな風に迎えてもらえるなんて」

 とアリアナが素直に口にすると、ミリアはさも当然というように

「アリアナ様は今やヒプロス人達の心の拠り所になっているのでしょう」

 と言い、テオドールも同意するように頷いた。

「ヒプロス人に限らず、南部の民は皆、貴女を歓迎している」


 二人は沿道の人々に手を振って歓声に応えた。


 城に到着すると、この領の行政官と海軍の総大将代理イライアス、そしてイシス島の神殿騎士団長レギウスが待っていた。


 テオドールは早速彼らと会合を持ち、現状を聞いて今後について話し合う。ヒプロスでは海神教徒に対するクリプトスからの締め付けが強まっていて、民の抗議が武力で抑えられるような事件も増えている。そうした武力がイシス島の神殿に向けられるのも時間の問題となっていた。


 テオドールもヒプロスの情勢が落ち着くまで海軍総大将の役目に専念するため、皇帝から与えられた領地の経営は行政官にそのまま代理人として代行してもらうこととした。因みに、この領地を拝するにあたってテオドールはダフネシアス公の名を与えられ、その領地はダフネシアス公領となった。


 それからテオドールは毎日レジナリア軍港の海軍基地でイライアスから南部海軍の現状について学ぶこととなった。カンディーナでは有事には皇族が各軍の総大将を務める慣しのため、平時は総大将代理が各軍のトップとなっている。また、ヒプロス各島の状況の確認やカンディーナ国内にいるヒプロス人への呼びかけはレギウスが行い、テオドールと連携をとっていた。


 一方アリアナは早くも城の女主人として迎えられたため、様々な指示を求められ、足りない知識は急いで学ばねばならず、こちらも忙しい日々が始まっていた。


 そうした中、レギウスが懐かしい人々を連れて来た。


「ヨハン先生! ジーノさん! それに、ユトも!?」

「アリスタ! ……じゃなかった、アリアナ王女様? な〜んか変な感じ」

「こら! ユト、無礼だぞ。アリアナ様お久しぶりです。もう先生はやめて下さい」

「私も、呼び捨てでお願いしますよ。お元気そうで何よりです」


 ヨハンとジーノはにこやかにそう話したが、ユトは何やら膨れている。


「黙っていなくなっちゃうんだもんなー。それに何? 俺に黙って結婚するってどういうこと?」

「お前には手紙を残して下さってただろう? あ、そうそう、ご婚約おめでとうございます。なかなか電撃的な展開で、聞いたときは驚きましたけど」

「ホントに好きなの? 俺のことは忘れちゃった?」

「お前は最初から対象外だ」

「……なんの話だ」


 ちょうどテオドールが帰って来て顔を出したところだった。


「テ、テオドール様!? お帰りなさいませ!」


 全員慌てて立ち上がり、訪問客達は深く頭を下げる。


「なんの話だ」

「こちらはカルネ村の海岸で私を見つけてくれたユトと、治療をしてくれたヨハン先生、それにレギウスに連絡をしてくれたジーノです。先程の話は、ただの冗談ですわ」


(……俺、ヤバイ?)

 ユトは小声でヨハンに囁いた。ヨハンは諌めるようにユトを睨む。


「フン……子供か」


 テオドールのその一言に、不満気に顔を赤くしたユト以外の全員が苦笑を噛み殺す。テオドールの後ろにいたイヴァンは「どっちが!」と心の中でツッコミを入れた。


「顔を上げよ。その節は我が婚約者殿が世話になった。後で褒美を取らせよう。ゆっくりして行かれるが良い」


 それだけ言うと、アリアナの頬に軽く口付け、得意気にチラリとユトに視線を送って出て行った。


「……大人気なくてすみません」


 呆れ顔で謝ったのは、アリアナの護衛をしているエリックだ。


「そりゃぁ……皇子様には敵いませんよ。とーちゃん漁師だし!」

「いや、だからお前は最初から……」

「ハイハイ、じょーだんです。わかってるって! ……でもなんか、大事にされてるみたいで安心したよ!」

「うん、そこは同感だな」


 ヨハンとジーノが頷く。アリアナは恥ずかしそうに微笑んだ。


「それで、ヨハンとジーノはわかるけど、どうしてユトもここにいるの?」

「ヨハン先生がアリスタに会えるかもって言うから強引について来たんだ。やっぱりあんな別れ方をしたまんまじゃ納得できないじゃん。もう一回ちゃんと顔を見ておきたくて」

「そうよね……助けてもらったのに、本当にごめんなさい」

「いや、あの時は事情があって仕方なかったんだってことはもう良く分かってるから、責めてるわけじゃないんだ。ただもう一度だけちゃんと会いたかったってだけ!」


 それに……、とユトは続けた。


「軍船の漕ぎ手を募集してるって聞いて、それなら俺でも役に立てるかなぁって。戦があるかもしれないんだろ? 今回だけのつもりだけど、結構良い報酬が出るみたいだから来てみたんだ。海には慣れてるしな!」


 ヒプロニア海では、軍船も商船もオールで漕ぐ人力と帆に風を受ける風力を併用する船が大半を占めていた。漕ぎ手はきつい単純労働なため、軍船の場合は囚人や捕虜、奴隷などにやらせることが多いが、足りない分は一般市民から募集され、それなりの待遇が約束されていた。


 ユトは明るい声で話していたが、アリアナは眉間にシワを寄せて難しい顔をした。本当はユトまで戦争に行って欲しくはない。しかし、誰かに行ってもらわなければならない時に、自分の知り合いだけはやめて欲しいなどとは、アリアナの立場では言えなかった。


「ご両親は反対しなかったの?」

「今回は海神様のための戦いだってみんな言ってるから、特にうちみたいな漁師の家からは結構来てるよ。俺、三男だし、反対はされなかったな」

「そうなの……」


 こうなるともう、アリアナには無事を祈ることしかできなかった。

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