第10話 祝宴

 婚約披露の宴が始まる。皇族はもちろん、皇都にいる多くの貴族達が集まっていた。


 父親として、皇帝が集まった人々に挨拶をし、二人を紹介する。乾杯が終わると余興の時間だ。


 まずアリアナがヒプロスの求愛の舞を披露する。


 アリアナは、袖のない薄紫の衣の上に、手首に向かって広がった袖のついた白の総レースの上衣を重ね、その上から腰紐を結んで紐の両端は正面に長く垂らしている。光沢のある絹の衣の丈は足首まであり、裾には銀糸の刺繍が施されていた。両サイドの髪を細い三つ編みにして、残りは背に下ろし、頭に乗せたサークレットで留められた薄衣の美しいベールが、その背を隠して足元まで垂らされていた。


 皇都ではあまり聴く機会のないエキゾチックな弦楽器の曲に合わせて裸足の足を床に打ち降ろすと、右の足首にぐるりと付けられた小さな鈴がシャンシャンと軽やかに鳴り響く。手をゆらゆらとくねらせ、くるりと回ると、ドレープがたっぷり取られた衣の裾と背後のベールが舞い上がった。


 可憐で清楚な少女が普段は見せない色香を漂わせ、誰もが息を詰めて見入っていた。


 求愛の舞であるため、時折テオドールに視線を送り、腕を伸ばし、手で誘うような仕草をする。その度に客達が囃し立てるが、テオドールの目はアリアナに釘付けで、伸ばされた腕を掴みそうになるのを必死で堪えていた。



 アリアナの舞が終わると、次はテオドールの剣舞である。テオドールの衣装は各所に金の飾りや刺繍が付けられた白の上下で、詰襟の上着の丈は膝近くまであり、横にスリットが入っていて、こちらも動きに合わせて裾が舞う。髪は邪魔にならないように後ろで一つに束ねられ、飾り紐が結ばれていた。


 剣舞の伴奏には旋律はなく、数種類の打楽器のリズムに合わせて舞って行く。まずは一人で長剣をくるくる回しながら舞い、その後、少し短い剣と小さな盾に持ち替えて、イヴァンと二人で打ち合いながら舞う。


 勇壮で美しい動きに、アリアナを含めその場の女性達は皆、感嘆のため息を漏らした。



 二人それぞれのアピールが終わると、最後は二人一緒に舞う。


 アリアナは靴を履き、足首の鈴とベールは外していた。二人お揃いの紺のベストを羽織って、背中合わせに立つ。音楽に合わせて二人同時に足を一つ踏み鳴らし、手をパンパンと叩くと、くるくると回りながら離れていく。


 二人同時に離れては近づき、アリアナが一人回って離れれば、テオドールも回ってその後を追う。照れ臭そうに、恥じらうように、視線を絡ませながら笑顔で踊る二人の姿は、何も知らない人が見ても恋人同士と分かるだろう。


 そして最後に二人は片手を繋ぐとアリアナがくるりと一回りしてテオドールの腕の中に収まった。お互いの顔を見つめて小さく笑う二人の仲睦まじい様子に、取り囲んでいた人々は改めて祝いの拍手を送りながらも、驚愕、羨望、呆れ、その他諸々の混じった声を発し、騒めいていた。


 ホールの隅から教え子たちの成果を見守っていたエムレは、してやったりと言わんばかりのニンマリとした笑顔で顎を掻きながら一人頷いていた。あの日の自分の判断は本当に効果絶大だったと。



 二人が踊った後は、客達は自由に、食べたり飲んだり、音楽に合わせて踊ったりと、それぞれ楽しんでいた。


 一方、主役の二人は完全に二人の世界に入り込んでいる。特にテオドールが。


「テオドール様の剣舞、素晴らしかったですわ。あんな風に剣を回せるなんて」

「貴女の舞の方が、息をするのも忘れるほど美しかったぞ。他の奴らには見せたくなかった」

「まあ」


 酒の入ったテオドールは、二人がけのソファでアリアナの肩を抱き、アリアナの顔を覗き込むように話している。意識的にか無意識にか、話しながら徐々に寄りかかるようにして顔を近づけ、ついには頬に口付けた。そのままアリアナの肩に頭を預け……


 ――寝てる!?


「テ、テオドール様?」


 あの、ちょっと、と声をかけるがテオドールは動かない。クスクスと笑う周囲の視線がいたたまれず、アリアナは顔を真っ赤に染めながら、テオドールの頭が胸元に落ちてくるのを防ごうと片手で必死に肩を押し支えた。顔を覗き込むとなんとも幸せそうに微笑んでいて、起こすのも忍びない。


 どうしようかと戸惑っているうちに、皇帝は「我々はそろそろ戻ろう」とテオドールを一瞥して呆れ顔で立ち上がり、苦笑する皇妃を連れて去って行った。アリアナは立てないので、その場で頭を下げて見送る。それを合図に他の客たちも徐々に帰り始めた。


 見かねて寄って来たイヴァンがテオドールの片腕を引っ張るように掴みながら顔を覗き込み、他の客に聞こえないようにテオドールの耳元で小声で言った。


「殿下、起きているんでしょう? 自分の足で立ってください。姫の前で担がれたいですか?」


 起きていたの!? とアリアナが改めてテオドールの顔を覗き込む。テオドールは片目を開けてふてくされたような顔でイヴァンを横目で睨み、しょうがないというように薄目のまま顔を上げようとした時、すぐ目の前に艶やかで『美味しそうな』唇が見えた。通りすがりに偶然触れたとでもいうようにごく自然な流れでその唇にチュッと軽く口付け、うーん、と大きく一つ伸びをして立ち上がったテオドールは、ニヤリとアリアナに微笑んだ。


「重かっただろう。悪かった」


 恥ずかしいやら呆れるやらで、アリアナは口を押さえて目を瞬かせていたが、悪かったと言いながら全く悪びれていない様子になんだか可笑しくなってしまった。


 テオドールの手を借りてアリアナも立ち上がると、残っていた客を見送り、徒歩で帰途についた。「無事、終わりましたねぇ」と星空を見上げながらアリアナが呟くと、テオドールは「婚約なんてすっ飛ばして結婚でも良かったな」などと無茶なことを言う。護衛たちが笑う中、アリアナが大事なことを告げた。


「海神教の巫女は通常、十八になるまで巫女として勤めてから結婚します」

「……は!?」


 つまりそれは、巫女として、十八歳になるまでは純潔を守れということである。


「海から離れた皇都ではいずれにしても巫女としての務めは果たせないですし、巫女という地位の返上を願い出ることも可能ですけれど……もしかしたらまだ私にも、ヒプロスの民のために出来ることがあるかもしれませんし、できれば……」

「い、一年以上も、待て、と……?」

「そう……なる……でしょうか?」


 上目遣いにちらりと見て、アリアナは申し訳なさそうにそう返した。


「ある日突然、もう巫女は出来ません、なんてことになったら、全ての海神教徒から顰蹙を買いますからね。充分自重してください」


 どこか楽しそうなイヴァンにそう釘を刺されて、テオドールは憮然とした。


「……仕方ない。だが婚儀の日取りは決まったな。アリアナの十八の誕生日に式を挙げよう」


 テオドールがアリアナを呼び捨てにしたことにも二人の関係の変化を感じつつ、二人がこのまま結婚することは決定事項なんだな、とイヴァンとエリックは確信した。


「良いな?」

「……はい」


 頬を染めたアリアナの同意も得て、先の長さに落胆しつつも、テオドールの機嫌は上昇した。


 そして後日、二人はその婚儀の日取りについて皇妃に報告した。

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