Garble mail

aza/あざ(筒示明日香)

Garble mail

 



 数年後の私から、メールが来た。

 嘘か本当か、偽物か本物か。


 でも、“もっと早く”と嘆く想いは真意だ。







   【 Garble mail 】




 お嬢様が大学に入学された年、数年後の私からメールが来た。すべてが文字化けしていて、わからなかった。何が言いたいのか、何がしたいのか、そもそもアカウントだけで、悪戯でない証拠が無い。訳がわからない。意味不明。

 けれど、差出人は、間違い無く私のアカウントだった。端末が壊れているのかもしれない、と言う考えに落ち着けて、端末を懐へ仕舞った。

「どうしたの? サリュー」

「いえ……お嬢様、私は“サリュ”では在りません。お嬢様。私は……」

「シリアルナンバーは嫌いよ。名前のほうが良いわ。あなたは人型だもの」

 お嬢様はつまらなそうに頬を膨らませてすぐに笑んだ。本当にころころ表情が変わる。コレがヒトなのだろう。私にはわからない。

 この家に来て数年経ったけれど、わからない。




 人々が生体機械『ドール』と暮らすようになってどれ程時が経ったか。

 私が家に来た当初は未だ初期運用で普及も少なかった。持ち主も極僅かで、私自身が男性型『ドール』であることも大っぴらには広まっていない。知るのは、我が家のご当主であらせられる旦那様と奥様と。

「サリュ!」

 旦那様よりお世話を仰せ付かっているお嬢様のみだった。走ってはいけないと幾年月何百何千申しても、聞いてくれない。私が『ドール』だからかと思えば、違うようで、彼女は総じて、こう、なのだ。忙しないと言うか。庭の草花や木々に水をやる私の元へ一目散に走って来る。

「お嬢様。何度も申しておりますが、脇目も振らず走るのはよろしく在りません」

「だって、サリュに一番に見せたかったんだもの!」

 そう言って、お嬢様が突き出して来た手には花が握られていた。先程奥様が庭から摘んだ花だろう。『ドール』に花……。お嬢様に今一度私が機械であると戒めねばいけないかもしれない。私は小さなお嬢様に合わせて屈み目線を合わせた。

「お嬢様、私はですね、」

「知ってるわよ、『ドール』、機械でしょ? でもね、サリュ。駄目よ、『ドール』はめずらしくて高価だから、泥棒に襲われるかもって」

 めっ、とお嬢様が人差し指を立てて私を叱る。逆に怒られてしまった……。地味に凹んでいると笑い声が小さく聞こえて来た。目線を向ければ庭に在るテーブルセットでお茶をする旦那様と奥様が笑っていらっしゃった。私は『ドール』でありながら居心地の悪さを感じていた。


「サリュー!」


 私が家に来てから、お嬢様はどんどん成長された。どんどん、女性としてお美しくなられた。学校でも、そろそろご結婚され、お子様を持つご学友が増えるころだろう。お嬢様は、多くの男子学生から憧れの的で在るそうだ。私は、それが誇らしく、うれしかった。


 長年、しあわせだった。私は最初試験的にこの家にお仕えすることになっただけだけれど、とても。


「……」

 時折、文字化けしたメールさえ来なければ。




 あの日以降、数年後の私からメールが一年毎、定期的に来た。端末を変えても、アカウントを変えても、受信された。おかしなことに、調べても記録は無いのだ。変なプログラムの存在も無く、ただただ不気味だった。

 そして何より不気味だったのは、同じ日付に来ることだ。同じ月同じ日同じ時間に。内容も同じだろう。同じような文字化けをしているから。

「……」

 悪戯にしては、随分手が込んでいた。私は『ドール』のくせに寒気を感じていた。

「サリュ、どうしたの?」

 お嬢様がベッドから上体を起こして気遣わしげに私へ尋ねた。最近になってこのメールをお嬢様はお知りになった。私が旦那様に相談したのを聞いたようだ。私はお嬢様の不安を取り除くため微笑んで見せた。

「大丈夫ですよ……何でも在りませんから」

「……本当に?」

「ええ」

 私が頷くとお嬢様は「そう」と引いてくださった。『ドール』の私は嘘が上手くない。正直、お嬢様が引いてくださったのは有り難かった。あのお転婆だったお嬢様も立派な大人だ。私の、そんなところも理解されているのかもしれない。

 お嬢様が再度床に就くと私はお嬢様の頭を撫でる。就寝前の、幼少のときより習慣だった。電気を消し「おやすみなさいませ」「おやすみ」挨拶を交わすと部屋を出た。




 お嬢様は日に日に麗しいレディに成られて行く。旦那様は威厳と余裕の在る好々爺となり、奥様は上品なマダムとなられた。変わらないのは『ドール』の私と。

「……」

 文字化けしたメールだけ。


 同じ日、同じ時間に来る。年代も、同じもの。だから、年々近付いていた。

 メールの日付に。

 何がしたいのか。何が言いたいのか。何を伝えたいのか。

 文字化けのメールは私に届いても、内容まで教えてくれなかった。

 私はわからないまま、無視した。


 後悔した。もっと解析に努めるべきだった。




 ある日、卒業をあと一年と控えたお嬢様が男性を連れて来た。お付き合いしている人だ、と言った。私は、良かったですね、と祝った。……だけれど。

 私は、好青年然とするその整った外貌の男になぜか、好感が持てなかった。

 旦那様も同じだったみたいで、奥様は「嫌ぁねぇ。子離れ出来ない舅と小舅なんて」と朗らかに笑んでいらっしゃった。

 結婚したい、と宣うお嬢様。

 まだ早い、と諭す旦那様。

 良いじゃない婚約だけでも、と宥める奥様。

 お嬢様が私に向いた。お嬢様は私に問うた。

「サリュは、どう思う?」

 私は、曖昧に黙って微笑した。


 やがてお嬢様は、男の家に入り浸るようになった。旦那様は根負けした。世間体も在っただろうけど、一番は娘の心配をされたのだ。


 お嬢様とあの男は、お嬢様の卒業を待って結婚した。


 相変わらず、旦那様は眉を顰めていらして、私は、男を、本来なら若旦那様と呼ばねばならない相手を、好きになれず。


 文字化けメールも、毎年律儀に来た。


 ……私は、もっと早く、反対をすべきだったのだ。




 何が起きたのか。

 何が。

 脳が、電脳が、拒絶した、訳ではなく。

 私は。




 起きたとき、私はすべてを知った。

 文字化けメールが私にしか送られて来なかった理由も。

 文字化けメールは、ずっと訴えていた。


 あの日も、メールは送られて来た。買い物途中だった私は端末にメッセージ欄を開いた。

 送信者、私。

 受信者、私。

 内容は─────







 文字化けしていない、画像URL。


 急いで帰った。縺れる足を叱咤して。なのに、駆け付けた私の目前には、『ドール』の私でさえ耳鳴りがするくらい静まり返った家。

 踏み込んだ先では、真っ赤な血の海が広がり、中心には倒れている旦那様、折り重なるように身を投げ出している奥様。 

 血塗れのお嬢様は、胸を裂かれていても、うつくしかった。色を失った容色には、涙の痕。

 呆然としていた私も、突如背後から殴られた。

 けれども私は『ドール』。

 チップが無事なら、死なない。

 歪む視界に映るは覆面の男たち。中心で笑うのはあの男。嘲笑を浮かべていた。

 お嬢様は、私が『ドール』で在ることをあの男に告げなかったらしい。どうせ死ぬから放置しておけ、と……火を放った。

 血に気を取られ気付かなかったけど、何か燃料でも撒かれていたらしい。

 燃え盛る家。

 私は。

 は、ははははははは。

 ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは……──────!







「私の、頭がおかしいと思いますか? 『狂言男マッドマン』」

「……わからん」

「ですよね」

 あの家を命からがら這い出た私。無法のスラムと化した地下街に逃げ込んだ。幸運にも、そこで『ドール』も直せる闇医者、通称『狂言男』に拾われた。そうして数箇月程厄介になった私は、いろいろなことを知った。

 あの男は、旦那様の遺産全部相続した。涙ながらに、強盗をゆるさないと叫んでいた。茶番劇だ。

 滑稽で醜い、茶番劇だった。

 男は今、男の祖国に帰国したのだとか。涙を流してゆるさないと喚いていたくせに、犯人の覆面男たちが捕まっていないと言うのに、もう永住するつもりだと。

 旦那様の遺産を元に、祖国で稼いでいるらしい。

 えらく笑えない。わらえないのに、おかしかった。

 ゆるさない?

 それは、私の、科白だ。

 ゆるせない。

 私は、器用にもわらいながら、歯軋りした。

 せっかく狂言男に直してもらったのに、壊れてしまったのかもしれない。

 私は、多分狂っている。

「やめとけよ」

 唐突に狂言男が言った。私はわらうことも歯軋りもやめた。

「何を?」

 あの男に対して苦虫を潰していた旦那様の如く顔を顰める狂言男。私はもう一度「何を?」訊いた。狂言男は、後頭部をがりがり掻いて、溜め息を吐いた。狂言男の長髪が、揺れた。

「……『ドール』に三原則は無い」

 アシモフの三原則。アンドロイドにもロボットにも植え付けられているこの三原則が、なぜか、『ドール』には無かった。倫理は刷り込まれている。道徳も。だけど、拘束力は弱い。『ドール』は、人を嫌えたし憎めた。きっと、殺すことも出来る。

 だって、軍事利用をしている国も在るんだ。

 そうでも、『ドール』は人間を殺さない。基本は。

 人間在っての、『ドール自分』ゆえに。『ドール』にとって、人間は[神]に等しい。何より。

 己の所有者たる『主』を愛している。咎が及ぶのは『主』なんだ。

 だから、『ドール』は人間を殺さない。自殺もしない。

 ……『主』がいる内は。

 同胞のために弁明するけど、『主』が死んだからって、人間を殺そうとするのは、狂った『ドール』だけだよ?

「悔しいのはわかる。だが、頭を冷やせ。お前のチップに記録された映像が在るだろう? アレが在れば罪に問えるんだ、だからさ────」

「は、ご冗談を」

 罪に問える? だから?

 そんな程度で、済ます気はさらさら無い。

「おい、サリュ!」

「ありがとうございました。このご恩は忘れません」

 私は狂言男に捕らえられる前に、外へ飛び出した。そのまま全力疾走。狂言男は追い掛けて来なかった。




 あの男は、現在、家族がいるらしい。再婚した。子供も、いるんだとか。

 ゆるせない。私はまず男の国へ渡ることにした。

 費用なら在る。私名義の、私のための口座を旦那様が作って置いてくれたから。『ドール』でもペットといっしょで、後見が付けば財が持てた。私の後見は旦那様の従姉殿だった。面識は在った。連絡したら、私を『ドール』と知らない彼女はやや涙ぐんでいたようだ。


『ドール』の私にもちゃんと給料を入れてくれていた旦那様。

 いつか、いつか返したかった。


 文字化けメール。

 もっと早く、感付いていたら。

 返せたんだろうか。

 いつか。

 返せたんだろうか。




『ドール』には涙腺が在る。異物を流すために。

 感情に任せて流すのは。

「……」

 今日で最後だ。







   【Fin.】

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