王手

倉井さとり

王手

 ある日の夕方、あたしはショッピングモールにやってきた。とくに買いたいものが決まっているわけじゃない。ただ、必要かもわからない小物をあれこれ買いあさって、日頃のらしをするため。


 ショッピングモールといっても、だいぶ昔に作られた建物だから、人でにぎわっていても、どこか古びた雰囲気をかんじる。夕方ともなれば、夕日にてらされ、なおさら寂しげだ。


 そのたたずまいと、物欲の浅ましさとが、どこかアンバランスで、ここにくると不思議な気持ちになる。

 気分が落ち込んだときは、ここで、人ごみとその物欲に流されながら、財布さいふのお金を、ただ無意味に消費することが、定例ていれいになりつつあった。


 あたしは夕日に顔をしかめながら、少し荒っぽく、駐車場に車で乗りいれた。ちょうど、ショッピングモールの近くに空きがあり、そこに車をとめることができた。みんな考えることは一緒だから、建物の近くはたいてい車で埋まっているものだ。ため息とともに「ラッキー」とつぶやくと、うすい幸せをかんじたような気がした。


 車のキーを抜き、ポケットにしまい入れようと、手を差し入れる。そしてすぐに違和感。


「んん? ……あちゃー……」


 財布さいふを家に置いてきてしまったようだ。しゅんじゅんのすえ、あたしは財布さいふをとりに戻ることにした。どこか意地になっているのが自分でわかる。けど、だからってどうにもならない。


 ふたたびエンジンをかけ、さて出発しようとした瞬間、複数の車がもうスピードで近づいてきた。

 車たちはハザードをたいて、とめる場所はほかにたくさんあるにもかかわらず、あたしの車の両隣りょうどなりと後ろに、それぞれ停車させた。


「な、なんなの、こいつら……?」


 怪訝けげんに思いながらも、あたしは、ふたたび車を動かそうとした。しかし、もう1台車が近づいてきて、あろうことかあたしの車の真正面に停車し、そのまま、エンジンを切った。


「……」


 さっきの3台は、白線の四角の内側に停車させたのだから、まだ話はわかる。しかし、前の車は白線の外に堂々と停車させている。完全に、あたしの車の動きを、ふうじにかかっていた。それにくわえて、ほかの車の往来おうらいの邪魔になっている。


 四方を車でかこまれ、車を動かそうにも、動かせなくなってしまう。しばらくようすをうかがうが、なんの進展もない。

 これではらちが明かないので、あたしはしぶしぶ車から降りて、前の車に近づき、窓をノックした。するとウィンドウが降り、中年の男が顔をのぞかせた。


「あのー」


 とあたしは、中年男性に声をかけた。


「王手」


 と男は言いはなち、あたしにいちべつをくれて、ウィンドウを上げ、前に向きなおった。


「あ、あの、すいません! あの……!」


 ふたたびノックし、男に声をかける。しかし、男はじっと前を向いたまま、微動びどうだにしない。


 あきれと怒りが拮抗きっこうし、なぜか切なさに落ち着いてしまう自分の心の動きに驚く。かんじるのはなんともいえない居心地いごこちのわるさ。頭の浮かぶのは、はやく買いものをしなくちゃという思い。というよりも、言葉。


 はやく買いものをしなくちゃ。


 男の目はうつろで、どこか仏像めいた雰囲気をかんじないこともない。

 おそらくテコでも動かないのでは、とそんな印象をうけ、それが確信にかわり、あげく敗北感をおぼえる。だからってこのままじゃいられない。


 それならとあたしは後ろを振りかえり、後ろにとまった車に近づく。すると、それに乗る若い男性と目があった。その瞬間、若い男性は微笑みながら何かをつぶやいた。

 声は聞こえなかったが、男性の口の動きから「王手飛車ひしゃとり」とつぶやいたのが、なぜかはっきりとわかった。


「こいつらぐるかよ……」


 次にあたしは、左右の車に視線をうつした。右の車には太った主婦が、左の車には老紳士ろうしんしが乗っていた。それぞれあたしと目が合うと、「りょう王手」「王手かくとり」とつぶやいたようだった。


「……」


 あたしはふところから携帯電話をとりだした。うまれてはじめての110番は、なんというか、もっとドラマティックなものを想像していたのに。なんとなく裏切られたような気がして、番号をうちこみながら、口がへの字になる。

 電話はすぐにつながった。


「チェック」


 電話口の男は、開口一番、そう口にした。あたしはすぐに電話を切り、携帯電話を自分の車の助手席に放り投げた。そして自分の車のボンネットに腰かけ、タバコに火をつけた。ゆっくりと深く煙を吸い込む。あまり記憶はさだかではないけれど、こんなに丁寧にタバコを吸ったのは初めてのことに思えた。ボンネットに乗るのは、はじめてだと確かに言える。


 短くなったタバコを、前の車の車体に押しつけ、火を消してやろうかと、一瞬だけ思った。でも結局、あたしは自分の車の灰皿にタバコを捨てた。


 いつの間にか、買いものをする気もせてしまっていた。なんだか、すべてがどうでもいいような、そんな心境しんきょうだった。

 あたしは途方とほうにくれて、ボンネットに体をあずけ、まっかにゆれる空をあおいだ。


まいったな」


 と、口にした瞬間、4台の車は一斉いっせいにエンジンをかけ、まるで逃げるように、あっという間に走り去ってしまった。


「……」


 あたしは呆然ぼうぜんとして、しばらく動くことができなかった。心がとまり、いつまででも呼吸をとめていられそうに思えた。

 辺りは、買いもの客たちの喧騒けんそうとは無縁むえんの静けさで、満たされていた。

 そのまま何分か経ち、その静寂せいじゃくをけたたましいベルの音がやぶった。助手席の携帯が鳴っていた。

 あたしはすぐに電話をとった。


「もしもし」


「こちら警察です! さきほどお電話いただいたようなのですが、どういうわけか気がつきませんで……、たいへん失礼致しました。それで何かございましたか?」


 あたしは、どう答えたもんかと思案しあんした。素直に、「間違えました」と言えない自分にあわれみをかんじつつ。


「どうされました?」


 あたしの沈黙に、警察官は問いかけた。こちらを慌てさせないように気遣きづかってくれているのか、優しげな声色こわいろだ。なぜだかわからないけれど、子供の頃に、ひろった財布さいふを交番にとどけ、警察官にほめられたことが、ふと思いだされた。ほんの一瞬思い浮かべただけなのに、心に穴が空いたように、懐かしくかんじた。今までずっと忘れていたけど、これからはもう、生涯しょうがい忘れられないような予感。


 懐かしさに身をゆだねると、時間がとけ、消えていくようにかんじるのは、あたしだけだろうか。という頭のなかのひとごとが、めぐりめぐって形をかえて、口からこぼれる。


「……時報じほうを聞こうと思ったら、間違えてしまったみたいで……」


「ああ、なるほど……。平和でなりよりでございます」


「それは言えてますね。平和がなによりです。すいません、お騒がせしました……」


 電話を切ろうとしたおり、警察官は慌てたように、「あっ! お待ち下さい!」と言った。


「はい?」


 あたしの声は、雲のように気が抜けていた。

 やや間を置いて、返るのは、真剣そのものの声。


只今ただいま6時58分です」


 警察官は、時報じほうの声を真似まねたようだった。あまりてはいなかったけど。


「……わざわざありがとうございます」


 面食めんくらったが、自然とお礼の言葉が口をついていた。


「いえ、では、失礼致します」


 と、少し恥ずかしそうに言って、警察官は電話を切った。


 運転席に乗りこみ、シートに身をあずける。そして、少しのあいだ、目をとじた。


「……帰ろう」


 エンジンをかけ、アクセルをゆっくりと踏みこみ、ショッピングモールを後にした。

 少しして、バックミラーに目をうつす。あれほど頭のなかをめていたショッピングモールだったのに、いまでは夕日の残り火にかすむほど、希薄きはくなものになっていた。


 現在頭をめるのは、免許不携帯めんきょふけいたいと安全運転のふたつの言葉、そればかり。

 免許証めんきょしょは、ただいま自宅の財布さいふのなかで、ひさかたぶりの休暇中きゅうかちゅう。と、そんなふざけたことは言っていられない。間違っても事故なんか起こせない。香車こうしゃ的な運転は事故のもと、手堅てがた的に行こう。


 ハンドルをかたく握りしめ、再度バックミラーに目をうつす。夕焼けに溶けかけたショッピングモールは、どこか古城を思わせ、朱色しゅいろにぬれて、遠ざかるほど、乾いてゆくようにかんじられた。

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王手 倉井さとり @sasugari

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