王手
倉井さとり
王手
ある日の夕方、あたしはショッピングモールにやってきた。とくに買いたいものが決まっているわけじゃない。ただ、必要かもわからない小物をあれこれ買い
ショッピングモールといっても、だいぶ昔に作られた建物だから、人で
そのたたずまいと、物欲の浅ましさとが、どこかアンバランスで、ここにくると不思議な気持ちになる。
気分が落ち込んだときは、ここで、人ごみとその物欲に流されながら、
あたしは夕日に顔をしかめながら、少し荒っぽく、駐車場に車で乗りいれた。ちょうど、ショッピングモールの近くに空きがあり、そこに車をとめることができた。みんな考えることは一緒だから、建物の近くはたいてい車で埋まっているものだ。ため息とともに「ラッキー」とつぶやくと、うすい幸せをかんじたような気がした。
車のキーを抜き、ポケットにしまい入れようと、手を差し入れる。そしてすぐに違和感。
「んん? ……あちゃー……」
ふたたびエンジンをかけ、さて出発しようとした瞬間、複数の車が
車たちはハザードをたいて、とめる場所はほかにたくさんあるにもかかわらず、あたしの車の
「な、なんなの、こいつら……?」
「……」
さっきの3台は、白線の四角の内側に停車させたのだから、まだ話はわかる。しかし、前の車は白線の外に堂々と停車させている。完全に、あたしの車の動きを、
四方を車でかこまれ、車を動かそうにも、動かせなくなってしまう。しばらくようすをうかがうが、なんの進展もない。
これでは
「あのー」
とあたしは、中年男性に声をかけた。
「王手」
と男は言い
「あ、あの、すいません! あの……!」
ふたたびノックし、男に声をかける。しかし、男はじっと前を向いたまま、
はやく買いものをしなくちゃ。
男の目は
おそらくテコでも動かないのでは、とそんな印象をうけ、それが確信にかわり、あげく敗北感をおぼえる。だからってこのままじゃいられない。
それならとあたしは後ろを振りかえり、後ろにとまった車に近づく。すると、それに乗る若い男性と目があった。その瞬間、若い男性は微笑みながら何かを
声は聞こえなかったが、男性の口の動きから「王手
「こいつらぐるかよ……」
次にあたしは、左右の車に視線をうつした。右の車には太った主婦が、左の車には
「……」
あたしは
電話はすぐにつながった。
「チェック」
電話口の男は、開口一番、そう口にした。あたしはすぐに電話を切り、携帯電話を自分の車の助手席に放り投げた。そして自分の車のボンネットに腰かけ、タバコに火をつけた。ゆっくりと深く煙を吸い込む。あまり記憶はさだかではないけれど、こんなに丁寧にタバコを吸ったのは初めてのことに思えた。ボンネットに乗るのは、はじめてだと確かに言える。
短くなったタバコを、前の車の車体に押しつけ、火を消してやろうかと、一瞬だけ思った。でも結局、あたしは自分の車の灰皿にタバコを捨てた。
いつの間にか、買いものをする気も
あたしは
「
と、口にした瞬間、4台の車は
「……」
あたしは
辺りは、買いもの客たちの
そのまま何分か経ち、その
あたしはすぐに電話をとった。
「もしもし」
「こちら警察です! さきほどお電話いただいたようなのですが、どういうわけか気がつきませんで……、たいへん失礼致しました。それで何かございましたか?」
あたしは、どう答えたもんかと
「どうされました?」
あたしの沈黙に、警察官は問いかけた。こちらを慌てさせないように
懐かしさに身をゆだねると、時間がとけ、消えていくようにかんじるのは、あたしだけだろうか。という頭のなかの
「……
「ああ、なるほど……。平和でなりよりでございます」
「それは言えてますね。平和がなによりです。すいません、お騒がせしました……」
電話を切ろうとしたおり、警察官は慌てたように、「あっ! お待ち下さい!」と言った。
「はい?」
あたしの声は、雲のように気が抜けていた。
やや間を置いて、返るのは、真剣そのものの声。
「
警察官は、
「……わざわざありがとうございます」
「いえ、では、失礼致します」
と、少し恥ずかしそうに言って、警察官は電話を切った。
運転席に乗りこみ、シートに身をあずける。そして、少しのあいだ、目をとじた。
「……帰ろう」
エンジンをかけ、アクセルをゆっくりと踏みこみ、ショッピングモールを後にした。
少しして、バックミラーに目を
現在頭を
ハンドルをかたく握りしめ、再度バックミラーに目を
王手 倉井さとり @sasugari
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