エピローグ いつか見た夢
二〇一九年九月二〇日
「おーい! 彼方―! 梨乃―! 戻ったゾー!」
扉のスライドする音と共に快活な声が滑り込む。
どうやら交代の時間のようだ。
「こっちの売り上げは上々だ。宣伝効果もばっちりだったみたいだし、流石だな、いろは」
「ダロダロー? そもそもこの部室自体が人目についてないんだから、それを利用しないともったいないんだヨー」
「校内に散りばめられた謎を解いて、ここに到達する。体験型の文集販売っていうのも、中々斬新な発想だったよな」
「ただ文化祭を回るだけでなく、その移動中をも堪能する。かなり好評でしたね」
まだまだ文化祭も半ばだというのに、空気は既に歓喜に満ちている。満足したとばかりに。
「それじゃ、店番よろしくな」
「そっちも楽しんでナー」
今度は僕と梨乃が外回り兼自由時間だ。いろはと泉里の二人とバトンタッチし、僕らは部室の外へ出る。
「さて、どこから回ろうか」
隣の梨乃に意見を仰ぐ。
彼女は、気難しそうに顔をしかめていた。僕の声も届いていないんじゃないかと思うほど、遠くを見据えて。
「取り敢えず、外に行くか。屋台を見て回ろう」
そう提案するも、相変わらず返事がない。前ばかり見ている。まあ、よそ見して歩くよりか断然いいのだが。
一体どうしたものか。
下駄箱で靴を履き替え、屋台のある方へ足を延ばす。昨年と変わり映えないのぼりやテントがずらりと並んでいた。
「梨乃は、食べたいものとかあるか?」
幻覚ではなく、彼女は確かに隣に居る。が、またしても声は届いていないみたいだ。まるで、彼女の隣に僕は居ないみたいに。
だから、呼び戻すために彼女の肩を少し叩いてみた。
彼女の肩がビクッと跳ね上がり、のっそりと僕を見上げる。
「な、なに……?」
やっぱり聞こえてなかったのか。
「梨乃は食べたいものとかあるのかなと思って訊いていたんだが、返事がなかったので、つい」
「……別に、何でも、いい」
小さく口籠る彼女の頬が、心成しか赤かったような……気のせいということにしておこう。
「そっか。じゃあ、やきそ」
言いかけたところで、服の袖をクイッと引っ張られる。誰が? とは言わずもがな、相手は一人しかいない。
「か、彼方……君、ちょっと、こ、こっちに……」
袖を摘ままれたまま、是非もなく彼女に連れ去られる。
「ど、どうしたんだよ? やっぱ行きたいとこあった感じか?」
僕の前を行く彼女は、返答も振り向きもしない。今日の梨乃はおかしい。今朝から、見えない何かと対峙しているような感じがあった。無視、なんて多々あるのが日常だが、今日の梨乃は店番中も僕の話も上の空といった感じで、どこか妙だった。
ようやく彼女は歩みを止めた。しかしここには何もなく、体育館の裏なんて言う辺鄙な場所だった。
「えっと、梨乃……?」
振り返った彼女は、似合わず真っ赤な顔をして唇をプルプルと震わせている。これは、もしかして……? 推察するのも束の間、彼女は大きく息を吸い込み、割に小さな声を風に乗せた。
「私は……か、彼方君のことが……好き、です……。わ、私と……付き合って、下さい」
驚きよりも先に、急だ。急過ぎる。そう思った。寧ろ、驚きはあまりない。自意識過剰なんかじゃなく、ここ最近の梨乃は、もしかしたら? という態度が多かった。彼女らしくもなく、挙動不審で顔を赤くすることもが増えて、どうにも対処しづらい。そう感じることがあったのだ。それも、あの日を境に……。
あの夢を見てから九か月が経った。夢の内容は、ほとんど記憶に残ってない。でも、柚希と恋人同士になったという事実は忘れてない。そして、交わした約束だって。
病室で息を引き取った柚希は、満足そうに微笑んでいたという。最後に見せたのが涙じゃなかったことに、僕の想いは報われた。
「……返事がないのは、流石に、辛い……」
梨乃が、若干潤った瞳で気色ばむ。
彼女の表情に多彩な色が生じ始めたのも、きっとあの人の影響、いいや、おかげなのだろう。
大好きだった人の望んだ未来を、今の僕らは歩いている。自分たちの意志で、篝火を胸に少しずつ、でも着実に前へ進んでいる。
もしも、なんてもう考えない。後悔だって何一つとして残っていない。振り返ると、色褪せることのない足跡が輝いて見えるのだから。
だから、僕らは立ち止まらずに歩いていくんだ。
「 」
返事を受取った彼女は、ふわりと花笑んだ。
繰り返される時間の中で僕は〈了〉
繰り返される時間の中で僕は 桃染さつき @momozome_satuki
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