Side彼方 ㉙繰り返された時間の中で


 二日目の朝柚希が家まで僕を迎えに来てくれた。会話はなかったけど部室まで一緒に登校した。それからは一回目通りに体育館で開会式に参加して僕は一人で文集販売をやった。長く感じたそれもすぐに終わって梨乃と一緒にお笑いを観てクレープを食べて。柚希と梨乃が交代して僕と柚希で調理体験で芋まんじゅうを作って食べた。お化け屋敷に入って柚希と口論をしてビビった柚希が僕に抱き着いて幽霊に助けてもらって外の光を浴びた。かき氷を食べて互いに取り合いになってスマホを無くして気づいて探して部室にあって梨乃に怒られて。キャンプファイヤーは三人で見て柚希に告白したしてない。わからない。三回目は柚希が来てくれなくて一人で部室に向かった。柚希とはメイド喫茶に行って梨乃とは喧嘩した。キャンプファイヤーは一人だったかもしれない。四回目は……四回目は……。柚希に告白、いや告白された? されたんだ僕は告白されたんだ柚希に。ちゃんと梨乃とも仲直りしたんだ。キャンプファイヤーは三人で眺めた。笑った。笑い合った。五回目は柚希と二人きりだった。部室で他愛もない話をして肉まんを買って食べ歩きをした。星空を二人で眺めて短冊書いて笑い合った。柚希からバレンタインチョコを貰っていや違う、クリスマスだったか? わからない。クリスマスプレゼントにチョコを……。違う、ホワイトデーだ。スコーンを貰って、ないチョコだ。何だ。何だ。何だ。何だ。何なんだよ!

 何で! どうしてだよ⁉ 僕は何を貰ったんだよ⁉ いいから思い出せよ!

 何で忘れてんだよ! 忘れちゃ駄目だろうが! そんなの……そんなのってねぇよ!

 僕の思い出を返せよ! 頼むから奪わないでくれ! それだけは奪わないでくれ!

 忘れるわけにはいかないんだ! 彼女との大事な記憶なんだ! 思い出なんだよ! 僕の宝物なんだから、だから、なかったことにはできない!

 夢での出来事を、彼女との思い出を、なかったことにはしちゃいけないんだ! だから! だからお願いだ……。大事な記憶を、忘れさせないでくれ……!


「――彼方君っ!」


 突如、僕の体は誰かの手によって抱き寄せられた。

 何だ、これ……。誰が、僕のことを抱きしめている?

 温かくて、優しくて、どこか懐かしくて……。


「柚希……? 柚希、なのか……?」


 そうだ。きっとそうに違いない。あれは夢だから、柚希が僕に大丈夫だって笑顔を向けて――。


「ごめんなさい。私は、柚希じゃない……」


 柚希じゃ、ない……? そんなはずは……。だって、だって今、僕のことを彼方くんって呼んでくれた。僕のことをそう呼ぶのは、柚希だけだったじゃないか。

 なのに、柚希じゃないって言うんなら……一体、誰が……。


「じゃ、じゃあ……僕を抱きしめてくれているあんたは、一体誰なんだ……?」


「私は、私は華崎梨乃。あなたの友達」


「梨乃……? どうして、梨乃が……ここに……?」


「あなたが泣いているから、私はここに駆け付けた。あなたを、一人にしないために」


「何だよそれ……。人を、子どもみたいに……」


「実際そう。今のあなたは、子どもみたいにわんわん泣いてる」


「それを慰めに来たってことか……?」


「ええ。あなたを慰めるために、わざわざ苦労してまで走ってきた。不本意ながら」


「ははは……。冗談みたいな話だ……。あんたは本当に梨乃か……?」


「正真正銘、華崎梨乃。顔を見せれば、納得してもらえる?」


「いや、いい……。そんな小言を言うのは、梨乃以外いないからな……」


「その判断基準は不服……。でも、今回だけは大目に見る」


「ああ、助かるよ……。今は……」


 子供をあやしつけるように、梨乃が背中を擦ってくれている。ただ、不器用さは拭い切れていなくて、どこかぎこちない。そんな彼女らしさが、今はただただありがたかった。


「なあ梨乃……? もう少し、このままでいてくれないか……?」


 凄くかっこ悪いことを言っている。女友達に向かって、抱きしめていてくれだなんて、みっともないったらこの上ない。

 わかっているけど、今の自分は誰かに支えてもらわないと、きっと正気を保てない。


「もちろん。あなたの気が済むまで、ずっとこうしているつもり」


 梨乃の優しさに包まれて、少しずつ、少しずつ、自分の中に冷静さが取り戻されていく。まだ些か暖かかった夢の中とは違い、現実は凍えるような寒さだった。ようやく、その温度が肌に伝わる。非情な事実が、痛いほどに僕へと降り注ぐ。でも、それらから僕を庇うように、彼女が僕のことを包み込んでくれている。だから、打ちのめされることはない。


「僕は、さっきまで柚希と一緒に文化祭を回っていたんだ……」


「うん」


「柚希に告白されて……付き合うことになって……」


「うん」


「二人で、たくさん……プラネタリウム、とか……肉まんとか……バレンタイン、だっけ? クリスマスだっけ? 何だったか思い出せない……けど……とにかく、色々……楽しかったんだ……」


「……うん」


「柚希が、たくさん笑ってくれて……僕も、今までで一番ってくらいに、笑って……楽し、かったのに……」


「……うん」


「なのにさ……全然、その時のこと……思い出せないんだよ……。あれは全部、嘘……だったのか……?」


「……違う。嘘なんかじゃない。あの夢は、決して……自分の都合のいい夢なんかじゃない。あれは夢だったけど、でも、私たちにとっては確かに現実だった。……おかしな話だけど、あれは夢であって夢じゃなかった」


「だよ、な……嘘、じゃ……ない……よ、な……っ」


 安心した。その言葉を聞けて、少し肩の荷が下りた気がする。

 夢での柚希の告白は、僕の妄想でもなく、都合の良い解釈でもなかったってことなんだよな。


「だから、どうか……柚希の、あの子の本当の想いだけは、忘れないであげて……」


「ああ……。それだけは、絶対……絶対に……忘れたり、するもんか……」


 能天気なくらい前向きな君が好きだった。

 親しみやすくて人懐っこい君が好きだった。

 アホみたいにノリがよくて元気な君が好きだった。

 自由奔放でグイグイ周りを巻き込む君が好きだった。

 馬鹿正直に人の望みを叶えようとする君が好きだった。

 器が大きく見えて実は嫉妬深い君が好きだった。

 口には出さないけど、誰よりも他人のことを大切に想っている君が好きだった。

 そういう優しさが玉に瑕で、自分のことを気遣えない、自分のことを疎かにしてしまう悪い部分もあって心配だったけど、でもそんな君も好きだった。

 僕にはない、たくさんのものを持っている君が好きだった。

 悪戯っ子のように楽しそうに笑う君の声が好きだった。

 そして何より、そんな君の無邪気な笑顔が大好きだった。

 でも、もう、そんな君は、どこにもいない。

 僕にそのすべてを見せてくれることは、もう二度とないんだ。


「ぁぁぁああああああああああああああああ! うっ、くっ、うあああーああああああああああああああああっ! ひっっくぅ、あああああぁああああーああああっ!」


 もういない。君はいない。夢の中で逢えたことが奇跡だった。僕の想いが届いたのも、君の想いが知れたのも、全部、全部奇跡だったんだ。あの夢で逢った僕らは、付き合って、結婚までして、幸せだった。今までで、間違いなく一番幸せだった。

 生まれてきてくれてありがとう。

 僕と出会ってくれてありがとう。

 僕の手を引いてくれてありがとう。

 僕を好きでいてくれてありがとう。

 僕に幸せな夢を見せてくれてありがとう。

 君が僕を好きでいてくれたこと、君と一緒に過ごした時間を、かけがえのないあの日々を、大切な思い出を、僕は絶対に忘れない。

 どれだけ君と過ごした日々が遠くなろうとも、僕は絶対に君を忘れない。

 だからもちろん、君を好きでいたことも絶対に忘れやしない。

 約束。約束だから、大好きだった君への想いとは、きちんとさようならする。

 僕は君と約束した。あの夢の中で、確かに言ったんだ。

 繰り返される時間の中で僕は、君への想いを断ち切ると、そう誓ったんだ。

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