第7話 燐光
途中まで送ると言った香川の申し出を、ユウは断る。
香川がなにかするとは思わなかったが、得体が知れなかった。それはユウにとって初めての得体の知れなさである。
大人になり切れていないとは言え、ユウもまるで子供ではない。善では無い善や、悪では無い悪がある事も知識としては……、概念としては知っていたが、けれども現実で こんなに唐突に善ではないナニカに触れることに、……触れた事が無い事を、思い知らされるとは想像していなかった。
得体が知れない、でも……死んだ女をいつまでも引きずっている。つまらない男だ。
香川の得体の知れなさのおかげで、ユウは気遅れすることなく香川の気遣いを断る。
そんなユウの態度に、特に不愉快さを示すことなく香川も応じる。どころか、香川はいつの間に買ったのか、ホット缶をユウに差し出してくれた。
「はい、長話しを聞いてくれて ありがとうございます。体、冷えちゃったでしょ?」
「あ、……アリガトウございます」
「………」
「………」
「じゃ、変なヤツもいたでしょ?気を付けて帰って下さい」
「……はい。アリガトウゴザイマス」
香川の影が消え去った事を確認してから、ユウは「みんなの広場」を立ち去った。
ユウは細かい道を、あみだクジのように辿って「まろにえ通り」を目指して帰る。通りに出れば、人目もあるだろう。
途中、大きな病院が見えた。明かりがあり、いつでも人がいると思うと心強い。その近くにコンビニも見える。ユウは何やら頭を緩めたい気持ちが込み上げ、甘い物を求めて 自然と足がコンビニに向かった。
コンビニに入ろうとしたとき、先ほど香川から貰った缶を握っているのに気が付く。ぬるくなってしまっていたが、ここまで寒さを緩和してくれていたことは確かだ。けれど、「感謝」にまでは至らぬ その「事実」はユウに、——コンビニに入るに 持ったままだと邪魔だな。そんな想いを何気なく、気兼ねすることなく、心によぎらせて缶を気軽に鞄の中にしまわせた。
日常に戻りつつあったユウは何の気負いも無くコンビニに入ろうとする。ちょうど店から出てきた客とすれ違い、ユウは扉を開けた客に道を譲られた。声に出さずとも 感謝の気持ちを伝えるために会釈しようと、譲ってくれた客を見上げたら。
香川だ。
ギョッ、としてユウは立ち止まる。香川は、––––––
香川は、非常に不愉快そうな顔をしてユウを見ていた。
眉間にシワが深く寄っている。
ユウが立ち止まったから邪魔だと思って 不愉快な顔をしたのか……
ユウだから不愉快な顔をしたのか。けれど、香川の顔はすぐさま驚きの顔に作り変えられ、そこから順に 愛想の良い笑顔に変化していく。
「良く、会いますね」
横目でチラリとユウを見て、会釈をしながら香川は 脇をすり抜けて行った。
ユウは しまいかけていた缶を鞄の中で握りしめて、こちらの返答も待たずに通り過ぎて行った香川の背中を睨んだ。
「ちょっと、あの…」
説明のつかない動機によってユウの口が突き動かされる。
説明がつかないのは、ユウに自覚のない怒りがあったからだ。
確かに時間をかけて距離をとった筈の得体の知れない男に こんなにすぐに会ったのには驚かされた。けれど再び会った時、男に得体の知れなさは無かった。香川から得体の知れなさが無くなれば 残るのは……「つまらない男」のみだ。
そんな男に怯え、蔑視のごとき視線を送られ、相手にする価値も無いような態度を取られた。
ユウは香川の得体の知れなさの源を壊してやりたくなっていた。
「ちょっと!」
かなり大きな声で香川を呼んだ。香川の近くにいた男が驚いてユウを見るが、聞こえているはずの声に香川は振り向くことなく歩いて行く。
「ちょっと、香川さん!」
香川が天を仰いで立ち止まった。
体ごと振り向いた香川は、手を大きく上げてユウに手を振る。それから、もう片方の手に持っていたコンビニの袋を 顔の辺りまで持ち上げ、振るのをやめた手でその袋を指差し ニッコリと笑う。
ユウにしてみれば、香川の行動はまるで不可解だったが、周囲から見ると恋人同士が 今から彼の部屋に行って、スイーツでも食べるのだろうなと勘違いさせる行動だった。
ユウにとって 香川の行動は不可解だったが、ユウを油断させるには十分だった。もともとユウには香川を立ち止まらせた優位性から生じた隙があったのかも知れない。
ユウは香川に近づいて行く。自分が何に近づいているのかも分からずに……
香川の顔には、久しぶりに恋人に会う時にこぼれ出る 待ちきれない笑顔があった。待ちきれない笑顔は、ユウが手の届く範囲に入るなり 笑顔のまま、
「迷惑だよ」
ユウに手を伸ばす。
香川の動きは早くは無いのだ。むしろ急に香川が動けば、驚いたユウも、反射によって逃げ切れていたかも知れない。だが香川はごくごく平凡な速度で動く。
ユウにも手をつかまれる認識はできてはいたが、香川のその動きは警告を発する意識をかい潜ってユウの手をつかんだ。
香川の手は意外と温かかった。
手を握られる認識がありながら、避けることなく手をにぎられた事実は少なからずユウの心理に影響を与えた。––––手をにぎることを私は許した。
香川がじんわりと力を加えてくる。
「何の用だい?」
ユウが答えるまでは離しはしない、といった 有無を言わさぬ意志が伝わってくる。
振り切れた恐怖は、ユウの自我を超えて言葉を吐き出させた。
「なんで確認しないんですか?」
「何を?」
香川が顔を近づける。
構うことなく、ユウは言い放った。
「彼女の"死"をです!」
「そんなに辛いなら、確認すればいいじゃないですか! 死ぬ時にそばにいてやれかったのが辛いんですよね?
貴方がそばにいてやれないまま……
彼女に寂しい思いを抱えさせたまま逝かせたのが受け入れられないんですよね?
だからまだ何処かで生きてるって……
彼女の死に顔を見ていない事をいい事に、まだ何処かで生きてるって幻想を見て、ボクと会ってから最後に安らかに天に昇って行くんだって……
バカじゃないですか!? 彼女は死んでますよ。死んでからも寂しい想いをして待ってます。
–––––ねぇ! 寂しい想いをして貴方を待ってますって!
確認しに行けばいいんですよ!彼女のお墓に行って、暴いて見てみればいいんですよ!
彼女は骨になってます。 小さい 小さい骨壷に納まってます。そして小さい壺の中で、
–––––––泣いていますよ」
「貴方がそんなに、苦しんでいるなら……」
その瞬間、香川にはユウの足元から幾千のホタルがパッと湧き立つのが見えた。漂い彷徨う燐光は、星の光ほどの精彩さは無い、確かにその光は決して星には届かない。届かないが、
けれどその儚い光もまた 確実に美しい。
香川はあっけなくユウの手を離した。
僕は間違っていたのか。僕のようにならないよう怖い思いをさせたけど、この
その淡くしか光らない言葉に僕は救われたのだから。
そして僕の闇も、暗ければ暗いほどに 微かな光を照らし出すのか。
道行く人が二人を見たが、そのまま通り過ぎていく。
すぐに辺りの人は入れかわり、誰も二人を気にしなくなった。
うつむいていた香川が顔をあげる。
「ありがとう。 なんだかスッキリしたよ。 でも知らないんだ」
「はい?」
「お墓の場所だよ」
ユウは言いたい事を言い切った後で、頭が空っぽになっていた。その空っぽの頭に香川の言葉は降り注いだ。
「彼女は病気がちでね。入退院を繰り返していた。彼女が最後に入院した時、僕は仕事で海外に居たんだ。 ある日、彼女から電話が掛かって来た。たぶん死期を悟っていたんだと思う。『私は大丈夫だから、あなたもチャント生きてね』冗談まじりに、そう言ったけど、心配かけたくなかったって事は分かってる。訃報を聞いてからもすぐには帰らなかった。僕は仕事を取ったんだ。
仕事で帰れなかった。と言いたいけれど、彼女の死を聞いたんだ、仕事を放ってでも帰ってくるべきだったと思う。 向こうのご両親は許してはくれなかったよ。 帰って来てからは会ってない」
ユウの沈黙に 香川が言葉を添える。
「君の言った通りだ。ボクと会ってから最後に安らかに天に昇って行くんだって、それが叶わないうちは、彼女がどこかで生きていると思いたくて、確認しようとはしなかった。
僕は最後の電話で、なんて声を掛けたか、それすら覚えていないんだ」
*
部屋に戻ったユウは香川に聞いたサイトを開いてみる。
そこには確かに『雪待ちの人』と言うタイトルで物語を募っている企画があった。
(『雪待ちの人』かぁ、田舎のことしか想いつかないなぁ)
ユウはベランダに出て重い雲のかかった空を見る。
星はない。
(雪でも降れば何か思いつくかも知れないけどなぁ………あっ、そうだ)
ユウはパソコンを操作して、野々 香のページに飛んだ。
(なにかアイディアの参考になるようなものはないかなぁ)
どれもこれも魅力的なタイトルばかりである。
これも面白そう、これも、これも……あぁ、次のタイトルはなんだろうなぁ?
そうして夜が更けていく…
雪待ちの人 神帰 十一 @2o910
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