第6話 空洞

「破けた?……よごした?」


 何回も読んだ本を再び買う理由を考えていたユウからは、取っ掛かりになりそうな言葉が自問するように漏れていた。

 香川はそれを香川への質問だと受け取り。


「今まで書籍化されていたのを知らなかったんだ」


「えっ?……はい?」


「投稿サイトってあるだろ? あの小説とかを投稿できる、………まんまだけど……サイト。 僕は、なんだろ?一応 ユーザーなんだ」


 投稿サイト。

 ユウの頭に仄かに蘇りはじめる記憶。

 隙間に紛れ込んでいた欠片達が寄り集まって、徐々に形を成していく。

 –––––野々 香。

 もう少しで 形になりそうなところで、香川の声がそれを遮った。


「僕は一度も何かを公開したことは無いし、他の人の作品も滅多に読まない。 けど、日記みたいな感じで、その日に思った事なんかを入力してる。 日記っていうかゴミ箱かな?」


「ごみ箱?」


「うん、抱えきれない想いを、そこに吐き出していたんだよ。投稿サイトである必要は無かったけどね。どっかに助けを求める気持ちはあったのかも知れない。 ……甘いよね」


 香川は語るのをやめ、

 ユウも黙する。


 きっと 香川には辛いことがあったのだろう。

ユウには香川の気持ちがなんとなく分かってしまう。辛い想いを知って欲しいけど、なにかを言って欲しい訳ではない。知ってもらえるだけでいい。反応があったとしても、自分にとって都合のいい反応しか知りたくない。


「分かります」


 ぽつりとユウが言葉を零す。


 不思議そうにユウを見た香川が、


古吉こきつさんも、やってるの?」


 自分語りをやめて、ユウへ興味を注いだ。


「やってません」


 ユウは足早に逃げる。

 あまり触れて欲しくない周辺の話しなのだろうと察した香川は、また自分語りを始めた。


「数年前に彼女を亡くしてね。……結婚を約束していたんだ」


 初対面の人間に話す話題ではないのは分かっていたが、香川は最初に会ったときから感じていたユウの燐光のような淡い光に、話しているうちに憐れみを強くした。

 このは、燐光を放つには、まだ若い。

 きっとまだ間に合う、もっと健全な光を放てるはずだ。

こっちに来ては行けない。僕のようになってはいけない。

 そんな想いで香川は、カオリがこの世から消えて初めて、仮面マスクをとって他人とあい対した。


 香川は数年前に彼女を亡くしたが、その死に目に立ち会うことはできなかった。

彼女の最後を看取ることの出来なかった香川は、彼女の死を受け入れられず、また自身への責念の想いも重なり、漂茫の日々を送ることになる。

 そんなある日、投稿サイト内の偶然 開いたページをスクロールしていると、彼女と付き合うきっかけになった言葉が目に飛び込んできた。

 誰が書いたのかと思い、作者の名前を見てみると「野々 香」とある。

 亡くなった彼女の姓は「野々」では無かったが、名をカオリと言った。彼女ではないと分かっていたが、香川は救いを求めて 取り憑かれたように野々 香が生んだ物語を読んだ。


 香川は野々 香の、文章の陰影。言葉の温度。句読点の息づかいや、語句のつながる仕草から、生きているカオリを感じようとした。


「僕はあの夜、狂っていたんだと思うよ。……今もかも知れないけど」


 遠くを見ていた香川の目がゆっくり戻って来るのをユウは見ていた。

「怖い」と感じたが動くことが出来なかった。香川の目に捕らえられ、捉えられる。ユウの体が強張り、手の平に汗が噴き出たのが分かった。

 

 これが人のなまの顔なのか……

 普段、人が他人ひとに見せている顔は、多少は作られた顔なのだ。その心の闇を隠した顔で人は他人ひとと接しているのだ。自覚はないがきっと私もそうしてるんだ。

 この人はなんで、こんな剥き出しの闇の顔で私を見るのだろう?目を背けたいのに、離すことが出来ない。怖い。


 と、香川はホロリと雪がとけるように優しく笑った。


「分かってるよ。カオリは死んでる」


 優しく笑った目の奥には

 

 闇があった



 香川の目にとらえられてから数秒。

 

 ホタルの光が流れた。


 ユウは全身から吹き出た汗のせいで、体が冷えていくのを知る。見ると、香川は元の通り仮面マスクを付けていた。

 安心すると共に、仮面をつけた大人たちを見下していた自分を恥じた。夫婦でも 友人でも 恋人でも 、少なからず仮面をつけて一緒にいなければならない。

 素顔の私を愛してなんて、人の生の顔を知らず、自分が人であることを失念している人が言うことだ。


 –––––疲れた。

 ユウが自分の膝の上に目を落とすと、そこには先ほど香川から借り受けた本がある。それは「この人はなんでわざわざ本を買ったんだろう?」と言う疑問を思い起こさせたが、ユウにはもう質問する気力はなかった。

 質問する気は無かったが、一度した質問の責任は取らなくてはいけないと、本を指差して香川が指導するように言う。


「紙の本の場合、『著者近影』ってあるだろ? 分かってはいるけど、もしかしたらって思うと歯止めが効かなくなるんだ。 それで、確かめてしまった。 立ち読みで確認するだけでも良かったんだけど、加筆版って書いてあるし、作者『あとがき』にも興味があった。なにより部屋で一杯飲みながらゆっくり読みたかったんだ」


 心が麻痺しているのか、指導の内容は 教科書通りのつまらない内容のように思えた。

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