第5話 エスカレーターが運ぶもの

寒い。二人の意見が一致して、ひとまずショッピングモールに戻った。店は閉まっているところが多かったが、二人はエスカレーターホールの長椅子に腰掛けてユウの話しの続きをする。

 そこで、香川はユウの『まだ読んでいない』の意味を理解した。


古吉こきつさんもあのお店にいたのか」

 

 香川が視界に入っている古本屋を指差しながら言う。


「ハイ、でもお店からつけた訳じゃないです。本を買い終わって帰ろうと思って、ホントに普通に、いつもみたいに、……本屋に立ち寄った時のいつもみたいに帰ろうとしたら、あの広場に香川さんがいたから……」


「あぁ、うん。分かってるよ。 いや、でも見られてたのか。恥ずかしいな」


「すいません。ちょっと気になってしまって」


 会話が途切れた。

香川も先程のように、頭の中で会話の展開を巡らせている訳ではない。エスカレーターの駆動音が物憂げに、二人の沈黙の上に注がれていく。

 

 耐えかねたようにユウが口を開いた。


「あの。何を買ったんですか?」


 ユウの質問に香川は先ほど買った3冊の本を出してくれた、それは ユウが想像していたより短めのタイトルで、どうやら異世界も魔法もない、青春ストーリー物のようだ。


「いつも、こうやってまとめて買うんですか?」


 思わず 羨ましい、と思ったことを、質問の形にして口にしてしまう。


「いいや、本を買うのは久しぶりだよ。今はホラ電子書籍とかで読めちゃうから」


 では、なぜこの3冊の本は、わざわざ紙媒体の物を買ったのだろう?

 ユウは当然のようにその疑問を立ち昇らせたが、聞かなくても相手が説明してくれるだろうと言う、若さ故の傲慢さを持って、香川の話しの続きを待っていた。待ちながら、3冊の本の表紙をながめる。

 どれも同じ作者の物だった。

 野々 香とある。

 どこかで見たことのある名だ。

ひどく特徴的な訳ではないが、凡百と言う訳でもない。記憶に刻まれた訳ではないが、記憶の隙間には紛れ込んでいる。

 いつ紛れ込んで来た名前なのか、自身の中に半ば解答を持っているユウは 記憶の隙間をつぶさに見るように本を開いた。その様子を見ていた香川が微笑む。


「ホントウに本が好きなんだね。 気になったのがあったら、持って行っていいよ」

「えっ? いいんですか?」


 本を開いて、最初の2行で引き込まれたユウは、遠慮と言うものを忘れてしまっていた。もう、返さないと言うように


「うれしい」


 そう言って、3冊の本を抱きしめてしまう。

それを見ていた香川は、また微笑む。


「3冊ともどうぞ、僕は用が済んだと言えば、済んでしまったからね」

「あ、ごめんなさい。 大丈夫です。でも、この1冊だけ借りていいですか?」


 2行で引き込まれ、その2行でユウにとってはになった本を除いて、残りの2冊を返す。それでも、粗筋くらいは目を通せば良かったと、もう一度 香川の手に渡った2冊の本をチラリと見やると、ユウの視線に気付いた香川が、無言でユウに2冊の本を差し向けてくる。

 ユウは恥ずかしそうに首を横に振った。


 ユウの羞恥は、それほど時をかけずに収まったが、代わりにまた疑問が浮かび上がってくる。

 香川は先程から本に必要性を感じさせない発言を繰り返す。電子書籍で良いとも言っていた。ならば、何故 わざわざを買ったのか。


「あのぉ……」


 聞いて良いものか迷いつつも、ユウは香川の——

———「月亭や」でユウを相席を誘った時の、強引だが 丁寧で人当たりの良い感じと、ユウの分の会計も済ませるために2枚の伝票を持って行った時に見せた、人を物のように見る冷たい視線。

 そのあと、「みんなの広場」で交わした言葉遣いは優しく温もりさえ感じられるのに、終わって見れば 予め決められたプロセスに沿って会話が展開されていたような無機質さ。

 そして お金を出してわざわざ紙媒体で手に入れた本を、読んでいないだろうに、用が済んだと言って手放してしまう———

 その温度差の源が知りたかった。


「まだ読んでないんですよね? なんで、そんな、もう価値が無くなったような扱いをするんですか?」


 書けなくなってしまったが、ユウは本が好きだ。言葉が好きだ。文字が好きだ。

 普段は閉じ込められている、ユウのそう言った想いが、本を粗略ぞんざいに扱う香川を非難するように問いたててしまう。

 香川は少し目を大きくした。


「価値が無くなった訳ではないよ、用が済んだんだ」


 違いが分からないユウは、首を傾げる。

それを見た香川は三度目の微笑みを浮かべた。

 が、あとに続くのは悲しげな言葉だった。


「もう読んだんだよ。それこそ擦り切れるくらいに……」


 香川の声は空洞だった。

ユウがこれまで耳にしてきた音の中で、一番なにも無い音だった。

 虚無に落ちたのではないかと錯覚したユウに、一転、明るい光がさす。


「今は擦り切れてるなんて言わないか。 それこそ、………サーバーをパンクさせるくらい読んだよ」


 その温度差について行けず、ユウは黙る。

再びエスカレーターの駆動音だけが響いて、やがてゆっくりと、ユウの前に一つの想いを運んで来た。


 この人は……どこか変だ。

 



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