あまかける星の粒

望戸

あまかける星の粒

『本日のラッキーおまじない☆ 流れ星を連続で三つ見つけられたら、その場で願い事を声に出してみて! 思いはきっと通じるでしょう☆』

 膝に乗せたスマホがぶるりと震えた。大した通知ではないだろうと思いつつもこっそりと目をやる。画面にポップアップしたメッセージは予想通りどうでもいいもので、私は気にも留めずに画面をスワイプする。ありがたいお告げはすぐに画面の外に飛んで行って、デフォルトの待ち受けが味気なく時間を表示している。買ったときに店員のお姉さんが何やらいろいろ設定してくれたまま、解除の仕方もわからずに、またそれを調べるのも面倒くさく、私のスマホには日替わりでファンシーなおまじないやら占いやらが通知されるのだ。

 それにしても、連続で三つも流れ星を観測できるような強運の持ち主に、果たして「ラッキーおまじない」なんて必要なんだろうか。前提条件がハードモードすぎて、果たしてこのおまじないをどれだけの人が実践できるのか、はなはだ謎である。試しに塾の窓から空を眺めてみたが、雑居ビルの隙間に細く覗いた夜の天井はどんよりと暗い雲に覆われていた。傘は持っていないから、せめて雨は降らないでほしい。誰にともなく祈りながら、シャーペンの芯をカチカチと繰り出して、また戻す。数学の授業は佳境に入っていて、黒板にはよくわからない数字の群れがよくわからない記号と一緒に整然と並んでいる。教室に漂う空気はおおむね怠惰で、やる気のある生徒は教卓の前に陣取ったごく一部だけ、残りの人間は自分も含めて漫然とノートに数字を写しているばかりだ。進学当初の初々しい気持ちは薄れ、さりとて受験にはまだ間がある。親や教師は尻を叩くように急き立てるが、こちらとしてはまだまだモラトリアムに浸っていたい。

 ぬるま湯のようなエアコンの風が室内をじんわりと温めている。重力に負けそうな首をぐらぐらさせながら、ああここで意識を手放したら相当気持ちよく眠れるだろうな、などと夢の国へそっと足を踏み入れる算段を立てていると、丸くなりかけた背中の中心に後ろから鈍い圧がかかった。脳を占拠しかけていた眠気がしゅんとしぼんで、私は肩越しにちらりと背後を振り返る。後ろに座る美香はキャップ付きの色ペンをつまんでいたずらっぽく振った。的確なツボ押しの凶器はどうやらそのペンらしかった。居眠りしそうな私を気遣って起こしてくれたというよりは、単に暇つぶしのちょっかいをかけたのだろう。しかし机の前と後ろではやり返すことも難しく、私はおとなしくまた黒板を書き写す作業に戻る。美香もそれきりこちらをつついてくることなく、ノート取りを再開したようだった。


 いくつかの数式の解き方を丸写しし、宿題の範囲をメモしたところでちょうど授業が終わった。荷物をまとめて立ち上がると、後ろの席の美香も同じく席を立った。示し合わせたわけでもないのに二人して薄暗い階段を下りていく。重いガラスのドアを開けて外に出ると、送迎の車が何台か路駐している。幸い雨は降っていないが、相変わらず重たそうな曇り空だ。それでもところどころちぎり取ったように穴が開いていて、星のない夜空がちょっぴり顔を出していた。

「今日はどんなおまじない?」

 歩きながら美香が聞いてくる。週に二回、同じ時間帯に必ず顔を合わすので、私のスマホに送られてくるけったいなお告げのことを美香はもちろん知っている。そしてもしかしたら私以上にそれを楽しみにしているらしく、毎回内容を聞いてくるのだ。

「流れ星を三つみつけたら願い事を言いましょう、だって」

「なにそれ、めっちゃムズいじゃん。流れ星一つだってめったに見ないよ」

「だよね」

 目の前の歩行者信号がせわしなく点滅している。走るほど急ぐ道程でもない。点字ブロックの手前で足を止めたとたん、美香が「あっ」と小さな声を上げた。

「どうしたの?」

「いいもの持ってるの思い出した」

 言いながら、背負っていたリュックをおなか側に抱える。大きな外ポケットを開いて指先を突っ込み、中をまさぐること一、二秒。

 ジェスチャーで手のひらを出すように促されて、私はおとなしくそれに従う。お皿のようにそろえた両手の上に、美香はリュックから探り当てたものを宝物のようにぽとりと落とした。

 思いのほか軽いそれは手のひらで少しバウンドし、転がり落ちていきそうだったので、慌ててぎゅっと握りしめる。ビニール袋の切り口の、ぎざぎざした感触。開け口が両端についた小さな袋だ。中身を保護するためか、空気が詰まって膨らんでいる。はて、これはいったい何だろう。

 手のひらをそっと広げると、そこにあったのは小袋に入った金平糖だ。駄菓子屋にありそうなチープなパッケージ。透明なビニールから中身が見える。

「流れ星っぽいでしょ」

 いかにも素晴らしい思い付きをしたかのように美香は胸を張る。抱えたままのリュックのせいで少し面白いポーズになってしまっているが、それはご愛敬。

「流れてはなくない?」

「流れた流れた。あたしの手からこう、ぴゅーって。垂直落下」

「じゃあそれ、さっき習ったベクトルのやつで表してみて」

「あたしは習ったけど沙紀は寝てたでしょ」

「ギリギリ寝てないし、黒板を丸写しするのを習ったとは言わない」

 信号が青になった。美香はリュックを背中に背負いなおし、また歩き出す。私も金平糖を握ったまま横に並ぶ。手の中で小さな星のかけらがしゃかしゃかと微かな音を立てる。三つどころか、十粒くらい入っていそうだ。

 おまじないメッセージの後半を思い出す。三つ連続で流れ星を見たら、願い事を口にしなければならないのだったか。

『思いはきっと通じるでしょう』。

「ねえ、美香――」

「なに?」

 美香がこちらを振り向く。なにか顔についていると思ったら、いつの間に取り出したのか、口に棒付きの小さなキャンディを咥えている。その油断しきった表情に、私は言いかけた台詞をそっと飲み込んだ。代わりに、持っていた金平糖を山なりの軌道でパス。慌てたようにキャッチした美香に、有無を言わさず、

「はい願い事。三秒以内ね。さーん、にーい」

「待って待って! えっ、何にしよう?」

「いーち」

「えーっと、あっ、百万円ほしい!」

「結局カネか……うんうん、いいよ、そのままの美香でいて」

「なんかすごいディスられてる気がするんだけど」

「気のせい気のせい」


 もうすぐ志望校別のクラス分けがある。受ける授業が違えば、当然塾に来る時間も変わる。あと何回こうやって、二人で夜の帰り道を歩けるだろう。

 残り僅かな日々を、せめて今まで通り。そのままの美香で、そばにいて。

 ちゃんと声に出したのだから、叶えてくれよ、流れ星。

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