勇者からは逃げられない ~というか逃がさない~

@wallachia

第1話

 大陸の西端に位置する小国は、魔の国として知られている。

 国土は小さいが、知性を持った魔物や魔人が住まうこの国は、人類の脅威として長年危険視されていた。

 勇者により辛うじて拮抗上体を保っていたが、三年前を区切りに人類は劣勢に。

 魔王軍の勢いは止まらず、隣国ベルーゼへ侵攻。

 破竹の勢いで国軍を撃退し、ついには王都に進軍した。

 魔の軍勢を率いるは魔将にあらず。

 かの者を目にした人間は、皆一様に驚愕の表情を浮かべてこう、言葉を述べる。

『反逆の勇者』、と。





 ベルーゼ国王都、サフランは混乱の坩堝と化していた。人類の脅威である魔物や魔人が隊列を組み、侵略しているのだ。

 怒声や悲鳴が木霊し、剣戟の音が鳴り響く最中、とある二人組が王城の中を歩いていた。


「リメルの言う通り、全然居ないな。こんな警備で大丈夫なのかここ」


 黒髪の青年が呟く。歳は二十代前半だろうか。一八〇センチの身長に、ガッチリとした体つき。無造作に伸びた濡羽色のボサボサ髪。前髪から覗く焦げ茶色の瞳は、餓えた狼のように鋭い眼光を放っている。

 青年の格好は、黒のインナーとズボン、さらに黒のロングコートという全身黒づくめ姿だ。首には大型犬につけるような革製の首輪。右手に、六尺(一・八メートル)にもおよぶ抜き身の長刀を、だらりとぶら下げている。

 青年の名は桜庭将永。五年前、日本からこの異世界へ召喚された、勇者である。


「それほど意識が低いのでしょう。我々としては有り難いことですが」


 青年の言葉に隣を歩く女性が頷いた。

 歳は二十代半ば。身長は青年より頭一つ分小さく、褐色の肌に豊満な胸とメリハリのついたくびれ、安産型のお尻という非常にグラマラスな体つきをしている。サラサラな紫銀の髪は腰の高さまで伸びており、エメラルドを彷彿とさせる美しい瞳は知性的な光を放っている。

 特徴的なのは、その耳。青年のような丸みを帯びた形ではなく、三角形のように尖った形をしている。

 女性の名はリメル。青年の参謀であり優れた魔導士でもあるダークエルフだ。レザーアーマーの上から黒のマントを羽織っており、その手には身の丈もあるロッドが握られている。

 レッドカーペットを踏みしめながら淡々と歩く将永は、これまでの五年間を思い浮かべいた。


(思えば、この城で召喚されたんだよな……あれからもう五年か)


 将永がこの地に召喚されたのは今から五年前。彼が十八歳の頃だ。

 高校三年生であった将永は、突然の交通事故で両親を失い、財産目当ての叔父に引き取られた。叔父は衣食住に必要な最低限の金を渡すだけで、将永個人には無関心。

 学校に行ってもクラスメイトからは腫れ物に触れるかのように扱われていた。

 誰にも必要とされない。自分を愛してくれる人がいない。両親を失って半年が経った頃、ようやくそのことに気が付き、絶望した。


 ――生きるのが苦しい……母さんたちに逢いたい……。


 自分を愛してくれた人がいない世界で生きるのに絶えられなかった将永は、自ら命を絶つことを決意し、自室で首を吊った。


『おおっ! 成功だ!』


 ――はずだった。


『……えっ?』


 気が付けば、石畳の見慣れない部屋にいた将永。床には魔法陣のようなものが描かれ、フードを被った人たちが陣を囲い口々に『召喚は成功だ!』『これで魔王に勝てる!』と喜びの声を上げていた。


『突然のことで困惑されているかと思いますが、どうか私たちの言葉に耳を傾けてくださいませ』


 あまりの出来事に理解が追いつかない将永に声を掛けたのは、一際美しい女性だった。

 軽いウェーブを描いた金色の髪。困惑を隠せないでいる将永を一心に見つめる群青色の瞳。整った顔立ちは一流アイドルに匹敵するレベルで、あまりの可憐さに見惚れてしまう程だ。

 フリルのついた豪奢なドレスに身を包み、首には高価なネックレスを下げた、その女性はエレオノールと名乗った。


『魔王の脅威から、わたくしたちをお守りください勇者様』


『身勝手なことを申すようだが、どうか我らを救ってはくれんか、勇者殿』


 エレオノール王女とその父、ラインハルト国王は、この国――世界の現状を説明した。人間と敵対している魔王軍の存在。近年、この国は魔王軍の脅威に晒されており、先の戦争で国力が疲弊していること。このままだと魔王軍に滅ぼされてしまうため、異世界人である勇者の力を借りたいと。

 真剣な眼差しで懇願する彼らの話は、平和な日本を生きた将永にとって現実味のないもの。そもそも自分は勇者と呼ばれる存在ではなく、ごく普通の高校生である。

 しかし、王たちの説明によると、この国に召喚した異世界人たちは何かしらの天職に目覚めているらしい。召喚陣はあらかじめ勇者の適性がある人を選び、この地に招くた、将永が勇者であることに間違いはないと言う。

 再三頭を下げる王と王女。二人だけでなく召喚陣を囲っていた魔術師たちもこぞって跪き、救済を求めた。


『……わかりました。俺なんかで、お役に立つのなら』


 彼らの求めに将永は二つ返事で応じた。彼らの願いはまさに将永にしか叶えられないもの。誰からも必要とされない将永にとって、彼らの言葉はとても嬉しいものであった。

 勇者の力をサポートしてくれると言って王女が自ら付けてくれた首輪型の魔道具。何故、首輪なのだろうという疑問も『開発者の趣味です』という言葉に頷くしかなかった。

 そして、勇者の力を自覚するために訓練。使いこなすためにまた訓練。生き延びるためにさらに訓練。王城に居を構えた将永の生活は訓練漬けの毎日であった。

 自分を必要としてくれる人たちの期待に応えたいという想いはもちろんある。しかし、それ以上に王女の言葉と視線、そして向けられる笑顔に強く惹かれた。


『勇者様、本日も訓練ですか? あの、少しだけ見ていていいでしょうか?』


『まあ勇者様! こんなに傷だらけに! 今、治癒魔術を掛けます!』


『勇者様は、その、気になる女の子とかいらっしゃいますか?』


 王族という立場でありながら親身に話し掛け、慈愛の眼差しを向けてくれたエレオノール王女。そんな王女に恋をした将永は、彼女のためにと一掃の努力を重ねた。

 王のため、人々のため、そして愛する姫のためにと研鑽を積んだ将永。しかし、それはすでに過去のもの。人類の希望となるはずだった勇者は、もはやどこにもいない。 

 勇者として活躍するはずだった将永は、今や魔王に屈した『反逆の勇者』として、反旗を翻したのだ。

 今や国王たちに向けていた親愛や友愛は憎悪へと変わり、殺意を漲らせてかの者たちの首を取りに向かう。王都進軍は魔王からの指令であったが、将永からすれば、ものの次いでである。


 逃げ惑う書記官や侍女たちは無視し、立ち塞がる兵士のみを斬りながら奥へと進むと、目的地の一つへと辿りついた。

 両開きの扉を蹴破ると、中にいた人たちがギョッと振り返る。


「やはりか」


 そこは、勇者召喚に使われる一室。床には魔法陣が敷かれ、陣を囲うように魔導士たちが等間隔で立っていた。召喚の真っ只中だったのだろう、魔法陣は青白い光を発している。

 将永がこの世界にやって来た頃とほぼ変わらぬ光景だ。相違点を上げるとすれば、将永の召喚ではエレオノール王女と国王ラインハルトも居たのだが、姿は見えない。どうやら魔王軍の襲撃に備えて一早く逃げたようだ。


「は、反逆の勇者!」


「――シッ!」


 荒々しく部屋に入ってきた勇者に驚く魔導士たち。そんな彼らを余所に、鋭い呼気を発して駆ける将永は、驚愕の表情を浮かべる魔導士たちの首を悉く刎ねていく。

 一瞬で彼らを鏖殺して部屋を血の海に変えると、魔法陣は光を失っていく。

どうやら、勇者召喚は阻止できたようだ。


「しょ、ショーエイ君……」


 後に残ったのは将永とリメル、そして一人の女性のみ。

 歳は将永より少し上の二十代半ば。銀髪のツインテールに緋色の瞳。幼い顔立ちは小柄な体型と相まって庇護欲を搔き立て、女性というより少女といった印象を受ける。

 女性の名はフォルメル。三年前、ともに魔王討伐の旅に出た戦友であり。

裏切り者の一人である。


「あの、あの……! わた、私! ずっとショーエイ君に謝らないとって思ってて……!」


 顔面を蒼白にして、唇を震わせるかつての仲間に、冷たい眼差しを向ける将永。


「そ、その……ごめ、ごめん――」


「遅いわ、馬鹿が」


 ヒュンっという風切り音とともに振るわれた刃が、フォルメルの首を切り落とす。

 床に転がるフォルメルの頭。目を見開き、口をパクパクさせる彼女に視線を落とした将永は、小さく呟いた。


「もう、なにもかも遅いんだよ」





 王城の一画にある謁見の間。通常であれば王と、彼が認めた者しか立ち入ることが許されない聖域だが、今は人でごった返していた。その殆どが近衛兵であり、数にして三十人。玉座には国王ラインハルトが座り、落ち着かない様子で体を揺すっている。

 その隣に立つ王女エレオノールは、苦虫を噛み潰したような顔で、強く奥歯を噛み締めていた。


(あの愚図め! わたくしたちに逆らうなんて!)


 その胸中にあるのは、強い憤り。

 この世で一番美しく、権力もある美姫に飼われる名誉を貰い、主の優秀な駒となる栄誉を蹴ったのだ。

愛犬として可愛がっていた犬に手を噛まれたばかりか、後ろ足で砂を掛けられたような、そんな気分だ。


(平民のくせに! 平民のくせにっ! このわたくしに刃を向けるとは、なんという……ッ! まさに神すら畏れぬ蛮行!)


「エレオノールよ。本当にこれで大丈夫か? あやつを止めることは出来るか?」


 不安な面持ちを隠そうともしない愚王(父)に、エレオノールは微笑み返す。


「大丈夫です。ここには一騎当千の近衛兵がいますし、現在新たな勇者を召喚しています。召喚が出来次第、従属の首輪を使って逆賊に誅を下しますわ」


「そ、そうか、うむ。新たな勇者が来てくれるのであれば心強い」


 娘の言葉に安堵した様子で、大きく息を吐く国王。

 しかし、それも束の間。


「勇者召喚の儀が失敗しました! フォルメル様および召喚の儀に従事していた魔導士、全滅とのことです!」


 近衛兵から伝えられた報に早くも浮足立つ。


「なんだと! ええい、あの無能どもめ! せめて勇者を召喚してから死ねばよいものを!」


「フォルメルまで……。かつての仲間すら斬るとは、そこまで堕ちましたか」


 痛ましい表情で小さく被りを振るうエレオノール。冷静沈着を装っているものの、その心は刻一刻と荒ぶるばかりだ。


(確か、フォルメルとシゼルは魔王を前に勇者を囮にして逃げ延びたのよね。見捨てられたとはいえ、かつての仲間を手に掛けるとは、これまでの甘ちゃんではないようね。厄介だわ……)


 勇者の生きていた世界は平和な時代だったらしく、勇者本人も非常に生易しい性格をしていた。敵である魔族や魔物の命を奪うことに躊躇し、情に脆い。それが桜庭将永という人間だ。


(わたくしの切り札になるはずが、凶手となるなんて……! 笑い話にもならない!)


 魔王討伐は誰もが認める偉業。その功を湛え、勇者と結婚。“魔王を倒した勇者の妻”というアドバンテージを活かし権力を確固たるものにする予定であった。

 しかし、勇者が反逆した今や叶うことのない野望。むしろ自分の命すら脅かす存在と化してしまった。


「お父様、こうなっては勇者を止めることは難しいでしょう。恐らく近衛兵たちでは時間稼ぎにもなりません。今のうちに隠し通路から王都を離れましょう」


「し、しかしだなエレオノールよ。ワシは王なのだぞ? 王が平民を相手に尻尾を巻いて逃げるというのは……」


 娘の顔色を窺うように口を濁す国王。プライドだけは人一倍高いゆえに、逃げることを良しとしない。


(相変わらずの愚王ね。まだ状況を理解できていないなんて)


 そんな父の情けない姿にエレオノールは冷めた目を向ける。


「でしたら戦われますか? 勇者は、今や人類最強と言っても過言ではありません」


 本当はさっさと放って逃げたいが、安全に王都から脱出するには、もはや隠し通路を使用するしかない。

 しかし、隠し通路へ繋がる扉は当代国王の魔力でしか反応しないため、エレオノールは冷めた思いに駆られながらも国王を説得するしかない。


「むぅ……致し方ない、か」


 娘の言葉に折れた国王は玉座から立ち上がると、椅子の後ろに回りこむ。

 背もたれに手を当てて魔力を流すと、重い音を響かせながら玉座が横にズレていった。

 地に響くような音に、入り口を固めていた近衛兵たちが何事かと振り返る。

 国王は兵士たちに足止めをするようにと、告げようとした時――。


『ここか』


 不思議と全員が、その呟きを拾った。

 入り口の扉周辺に幾重もの銀閃が走り、細切れとなって吹き飛ぶ。

 六角形の形で開いた入り口には、一組の男女が。

 長刀を肩に乗せた黒衣の青年と、身の丈もあるロッドを両手で握り締めた褐色肌のダークエルフ。


「よお、逢いたかったぜ」


 勇者として召喚され、今や逆賊として指名手配されている『反逆の勇者』。桜庭将永が、冷たくも獰猛な笑みを浮かべて立っていた。

 この場にいる近衛兵は、幾多の戦場を切り抜けて来た猛者たちである。

しかし、青年から感じる途方もない威圧感に、一同呑み込まれてしまっていた。

 まるで、彼が手にする刀のように鋭く研ぎ澄まされた殺気。鉄火場を経験したことのない人間では感じることの出来ない独特の気配。王族の二人も凍えるような寒気を感じ、ぶるりと身を震わせた。





 将永は顔を引き攣らせながらも立ち塞がる近衛兵たちを無視して、その奥で仲良く震える父娘に声を掛ける。


「久しぶりだな王女サマに国王サマよ。三年ぶりか」


「勇者様……!」


「おいおい、なんて目だよ王女サマ。いつぞやの様にゴミ屑を見るような見てくれていいんだぜ?」


 顔面を蒼白にしたエレオノール王女は目を潤ませて、懇願するような視線を向けてくるが、将永はそれを一笑に伏した。

 三年前、魔王城から這う這うの体で戻った将永を出迎えたのは、王女の冷たい眼差しと、心許ない言葉だった。


『戻ってしまいましたか……。そのまま死ねばよい宣伝効果になったものの、勇者と言っても所詮は平民という訳ですか』


『まあいいでしょう。貴方にはまだ使い道があります。その命尽きるまでわたくしの手駒として生きなさい』


 無価値なモノを見る目で冷酷な言葉を告げられたのを、覚えている。


「……っ! 王女エレオノールの名において命じます! 刃を降ろし、跪きなさい!」


 声に魔力を通して首輪に指令を送るも変化なし。当時は首輪型の魔道具――【従属の首輪】の力に屈するしかなかった将永だが、今は違う。

 将永は長刀の峰で肩をトントンと叩きながら、冷笑とともに告げる。


「無駄だよ。うちの参謀は魔術が得意でね。この忌まわしい首輪の術式はとっくに無力化されてる。アンタらご自慢の魔道具は、今やただのアクセサリーさ」


 そう言って肩を竦めた将永は、立ち塞がる近衛兵たちに視線を向ける。


「さて、感動の再開なんだ。部外者はご退場願おうか」


 ゆらりと長刀を水平に構える将永。その身から瀑布の如き威圧が放たれ、兵士たちの顔が恐怖で引き攣る。


「か、掛かれえええぃ!」


 それでも物怖じせずに立ち向かうことが出来たのは、数多の戦場を潜り抜けた経験からか。この場にいるすべての兵士たちが、勝つどころか傷一つ付けるのも困難だと分かっていながら、忠を誓った主のために剣を振るう。

 裂帛の掛け声を上げる近衛兵たちを静かに見据えた将永は、床を踏み抜く勢いで地を蹴った。

 将永の姿が搔き消えると同時に、近衛兵たちの首が一斉に宙を舞う。

 時間にして、一瞬にも満たない刹那の間。視力に長けているダークエルフのリメルの目をもってしても、辛うじて残像を捉えるに留まった。

 示し合わせたかのように崩れ落ちる兵士たち。勢いよく噴き出た鮮血が雨となって降り注ぐ中、血振りをする将永の外套には血の一滴すら付着していない。


「何度見ても惚れ惚れとする剣技ですね」


「死ぬ気で鍛えたからな。それにしても……」


 涼しげな顔で返事をした将永は、その視線を玉座に向け、小さく眉を顰めた。


「兵士たちを囮にして逃げやがったか。往生際の悪い奴らだ」


 国王と王女の姿はそこになく、玉座の横には地下へと続く階段が伸びていた。


「追跡の魔術を掛けましょうか?」


「それでもいいが、ただ追うんじゃ面白くないな」


「と、いうと?」


 不思議そうな顔で将永の顔を見上げてくるリメルに、悪戯っ子のような笑みを見せる。


「どこまで逃げても決して逃れられない、絶望を味合わせてやる」


 そう言うと、優秀な魔導士を連れた勇者は踵を返し、謁見の間を後にした。





「ひいっ、ひいっ……! ど、どうだエレオノール! 奴らは追ってきているか?」


「はぁ、はぁ……今のところは、大丈夫なようです」


「そ、そうか……! この隠し通路は蟻の巣のように張り巡らされておる。出口までの道筋をしっておるのは、ワシだけじゃ。このまま奴らを振り切ってくれる!」


 迷路のように入り組んだ道を迷いなく進む国王と、その後に続く王女。

 隠し通路に逃げ込んでから三十分。勇者たちの追って来る気配はない。どうやら上手く逃げることが出来ているようだ。


(このままなら、なんとか逃げ切れる……!)


 走るには向かないドレスの裾をたくし上げながら、薄暗い通路を駆けるエレオノール。髪が汗で顔に張り付くなか、縺れそうになる足を懸命に動かす。

 少しでも遠くへ、一秒でも前へ。

 心臓が張り裂けそうで、息が苦しい。なぜ、こんな苦しい思いをしているのか。誰よりも高貴な、選ばれた人間である自分が、なぜこんな目に遭っているのか。走りながら、エレオノールは自問を繰り返す。


(そんなの、決まってる! すべて、あの男が悪いのよ!)


 答えは明確だ。


(無事に王都から出たその時は覚悟しなさい! この屈辱、必ず倍にして返してやるわ! とっ捕まえたらギッタンギッタンにして、わたくしに歯向かったことを後悔させてやるんだから!)


 心の中でありったけの罵詈雑言を吐き出しながら、必死に足を動かす。


「そこの、角を曲がればっ、あとは直線だ……っ! もうすぐで出られるぞ!」


 父の言葉に一筋の光明を見出す。


(もう少しで出口! もう少しで勇者から逃げ切れる!)


 顔を輝かせたエレオノール王女は、そんな希望を胸に通路の角を曲がり――絶句した。

 同じくラインハルト国王も体を硬直させ、唖然とした表情を浮かべる。


「よう。無駄足ご苦労さん」


 忌まわしき勇者たちがそこにいた。悪戯が成功した小僧のような笑みを浮かべ、立ち塞がるように通路のど真ん中に立っていたのだ。


「ば、馬鹿な……この隠し通路は迷宮のように入り乱れている! 出口までの道筋は王であるワシ以外知らないはずだ! それなのに、なぜ……! なぜ、貴様がここにいるっ!?」


 唇を戦慄かせる国王に肩を竦める。


「なに、然程難しい話じゃない。うちの参謀は魔王の右腕を務めるくらい優秀でね。魔術を使って地下通路の隅々まで調べてくれたんだ。その後は転移魔術で出口の前に転移しただけ」


「転移魔術? あれは行ったことのない場所には行けないはずです!」


「正確には座標が分からないため転移できない、ですが。この一帯の構造はすべて把握済みですので」


「……っ!」


 涼し気な顔で淡々と返すリメルの言葉に、王女は沈黙した。魔術に明るくない王女だが、転移魔術は第一級魔術であることくらい知っている。王宮魔導士でも扱えるのは片手で数えるくらいだろう。

 少なくとも、このダークエルフの女は、王宮魔導士筆頭に匹敵する魔術の使い手であることが分かった。勇者の話が本当であるなら、魔王の右腕を務めるほどの実力者ということだ。


「さて、殺るか」


 狭い通路の中、長刀を水平に構えた勇者が、臓腑の底まで凍り付くような殺気を飛ばしてきた。


「覚悟はいいか? 国王サマ、王女サマよ。まあ、出来てなくても殺すがな」


 凍てついたその殺意に、王女の体が勝手に震える。


「じょ、冗談じゃない! こんなところで死んでたまるか! ワシは死なんっ、ワシは死なんぞ!」


 このままでは勇者の言葉が現実となるのを理解したのか、顔色を変えた国王は懐から何かを取り出す。

 それを見たエレオノールは一瞬、目を見開き。

 父に飛びかかると、その手に持つ何かを奪い取った。

 そして――。


「転移!」


 甲高い声でそう告げると、青白い光が身を包み、パッと燐光を散らして姿を消した。

 まさに、一瞬の出来事だった。


「…………は?」


 何が起きたのか理解できないのか、それとも理解したくないのか。間の抜けた顔で、エレオノールがいた場所を眺める国王。


「え……」


 やがてプルプルと震えながら、般若の如き顔で娘の名を叫んだ。


「エレオノオオオオオオル――――ッ!」


 流石に同情を覚えたのか、勇者は憐れむような視線を向ける。


「おいおい、じゃじゃ馬すぎるだろあの王女サマ。この状況で父親を蹴落として自分だけ逃げるとか、どんだけだよ」


 王女の往生際の悪さに若干引きつつも、長刀を下ろす気配はない。

 同情はするが、復讐を止める理由にはならん。そう胸中で呟きつつ、水平に持ち上げた切っ先を国王に向ける。


「ま、ままま待て待て! 待ってくれ! いや待ってください! な、なんでも差し上げますっ、勇者様が願うことでしたら何でも叶えますっ! ……そ、そうだ! 宰相の地位なんてどうでしょうか! この国を意のままに動かすことが出来ますぞ! 美女!美女も手配しましょう! 国中の娼館から特級の娼婦を――」


「もういい」


 ものを言わさぬ口調で国王の言葉を遮った勇者は、構えを解いた。刀を下ろすその姿に微かな希望を見出した国王は、目を輝かせるが。


「斬る価値すらない」


 そんな言葉が背後から聞こえたかと思うと、顔に凄まじい衝撃が走り。

 国王ラインハルトの意識は、そこで途絶えた。





「……俺が思って何倍もクズだったなコイツ」


 手に付着していた血と脳漿を、リメルの魔術で洗い流す将永。

 国王のクズ人間っぷりに、愛刀を使う価値すらないと感じた将永は、一瞬で王の背後に回ると、その頭を壁に叩きつけたのだ。

 壁が陥没するほどの力で叩きつけられた国王は、血と脳漿をぶちまけ一瞬で物言わぬ屍と化した。

 穢れを落とした将永は、ロッドに意識を集中させている参謀に話しかける。


「それで、あの王女サマは?」


「……今、場所を特定しました。ここから少し離れた、丘陵にいます。座標も特定できたので、いつでも跳べます」


「よし。じゃあ、じゃじゃ馬王女サマを迎えにいくか」


 将永の言葉に頷いたリメルはロッドの柄を地面に突き立てると、緑色の魔法陣が浮かび上がる。

 そして、眩い光に包まれたかと思うと、次の瞬間には陰気な隠し通路から、澄み渡った青空の下に躍り出ていた。


「んん? 王女サマはどこだ?」


 エレオノールが言っていた通り、転移した先は緩やかな丘の上。

 自然豊かな、緑に囲まれた場所だ。見渡す限り人はおらず、肝心の王女の姿もない。


「絶望から逃げられない、といったシチュエーションを好まれるようですので、あえてエレオノール王女の向かう先に先回りしました」


「お、おう。いや、流石リメルだ。卒がない」


「恐縮です」


 驚いた顔をする将永に、リメルは恭しく頭を下げるのだった。

 王女が現れたのは、それから十分後のこと。


「――っ! な、なんで、アナタたちがここに……」


 丘を登ってきた王女は、その先に立つ勇者たちの姿を目にすると、思わず立ち止まった。


「まさか土壇場で父親を出し抜いて一人逃げるなんてな。王女サマにそこまでの行動力があるなんて思ってもみなかったわ」


 エレオノールは歩み寄ってくる将永に後退る。すでに満足に走れるほどの体力はなかった。


「鬼ごっこもこれで終いだ。」


 ついに立ちはだかった死を前に、恐怖で顔を歪めたエレオノール。


「あ、アナタ、わたくしのことが好きだったんでしょう? ほ、本当にわたくしを殺す気なの?」


 無言で長刀を構える将永。凍てつく殺気を浴びせられたエレオノールは、自分のプライドを捨てでもこの死から逃れようと必死だった。


「わ、分かったわ! わたくしの体を好きにさせてあげる! どうせアナタもわたくしの体が目当てなのでしょう!? わたくしの体を好きに使っていいから――」


「もう、喋るな」


 奇しくも父親と似たような言葉を口にする姫を前に、静かに刀を振う。音すら置き去りにするその太刀は、痛みを感じる間もなく、首を斬り落とした。

 将永は、緩やかな傾斜の上を転がるエレオノールの首を、そっと持ち上げる。


「この親にしてこの子あり、か。どうして俺は、こんなクソ女に惚れたんだろうな……」


 恐怖で引き攣った王女の顔を見降ろし、複雑な表情を浮かべた将永は、そう小さく呟くと、地面に向けて無造作に刀を振るう。

 深さ一メートルほどの穴を開けると、王女の遺体をその中に入れた。


「…………さよならだ、王女様」


 かつて愛した人に最後の言葉を送った将永は、その亡骸に土を掛けていく。

 燃え盛る憎悪の炎で焦がれた心が、酷く疼いた。

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