雪待ちの人

尾八原ジュージ

雪待ちの人

 まーさんは僕の継母である。

 僕が小学三年生のとき、父が少し緊張した面持ちで僕に「会わせたいひとがいる」と切り出した。ホテルのラウンジで初めて会ったその女性がまーさんで、僕は「お母さんじゃなくてお姉さんだな」と思ったのを覚えている。

 まーさんは僕より十六歳上の当時二十五歳、父とは十二歳差で、とても「母親」なんて感じはしなかった。もっとも、僕に実の母の記憶はほぼなかったから、友達のお母さんたちとはずいぶん雰囲気が違うな、と思った程度だった。

 まーさんの本名は雅美というのだが、彼女もやっぱり「お母さん、なんて感じしないでしょ」と言って、まーさんというあだ名を教えてくれた。僕のことはてっちゃんと呼んだ。まーさん、てっちゃんと呼びあううちに、いつしか彼女と会うのは外ではなく僕の家になり、そのうちまーさんの荷物が運び込まれて一緒に住むようになった。僕は幼心に「これが結婚かぁ」なんて思ったものだ。

 僕の母は僕が赤ん坊の頃に亡くなっていたので、僕は母親というか、女性のいる家庭を知らずに育った。だからかえってまーさんが生活に入ってくることへの反発や違和感を感じずに済んだのかもしれない。ともかくそんな過程を経て、まーさんと父が入籍し、結婚式と称してささやかな食事会を開いたのは、僕が小学五年生のときだった。


 まーさんが僕の継母になったときほど、他人に「とやかく言われた」ことはなかった。普段は正月にも会わないような伯父だの叔母だの大伯父だのが駆けつけてきて、父に説教をしたり僕に猫なで声を出したりと、それはそれは喧しかった。

 突然割り込んできた彼らに「血がつながっているんだから」と言われても、それはまーさんより僕たちのことを理解しているという証拠にはならなかったし、正直なところ僕はめったに会わないじいさんばあさんよりも、一緒に暮らしているまーさんの方がずっと好きだった。まして彼女に嫌なことをされたとか、言われたとか、そんなことはひとつもなかった。

 どうも世間の大人というもの、少なくとも僕が関わる範囲にいた大人というものは、継母というと決まって継子にいじわるを働くものだと決めつけているかのようだった。僕はまーさんをそんな風に言われるのが嫌でたまらなかった。

 まーさんは外野に何を言われても気にしていないような顔をしながら、よく僕の面倒を見てくれた。父が出張でいない日には、決まって僕の好物だけど父は苦手なクラムチャウダーを作ってくれた。僕の宿題を見てくれ、誤字の多い作文をいちいち校正してくれた。僕がクラスメイトを殴ったときは、まーさんは普段着ないスーツを着て学校に来て、ひとつも悪くないのに一緒に謝ってくれた。


 まーさんの仕事は画家というかイラストレーターというか、今でもよく区別ができない。とにかく絵を描くのが生業だった。

 僕はまーさんの画風が好きだった。特に彼女の描く空はどれもこれも、うまく言葉にできないくらい凄かった。

「僕、まーさんの空が好きだな」

 と明かすと、

「実は私も、空描くのが一番好きだな」

 と、まーさんは僕に笑いかけた。

 彼女が描く空なら僕は、透きとおり過ぎて悲しくなるような青空も、どこか暖かい感じがする曇り空も、かすかに星明かりが煌めく夜空も、冷たい空気の匂いが漂ってきそうな薄紫の朝も全部好きだった。

「いつか雪が降り始める瞬間の空を描きたいんだけど、実物を見たことがないんだよね」

 まーさんは僕に、大事な秘密を打ち明けるようにそう話したことがあった。

「いっつも雪が降ってきて初めて気づくからさ。降る瞬間ってのは見るのが難しいよね」

 そんなわけでまーさんは、寒くなるとよく空を見上げていた。


 まーさんは、僕にとっては魔法使いのようなヒーローのようなものだった。いつのまにか僕は、自分でもこんな絵を描けるようになりたい、と思うようになっていた。どうやってこんな風に描くんだろうと彼女の仕事を見せてもらったけれど、まーさんの手際はまるで魔法みたいで、端から見ているだけではよくわからなかった。

「僕もこんな風に描けるようになるかな?」「なるなる。よく勉強しな」

 そう言われた僕は、ちゃんと絵の勉強をしたい、と思うようになった。当時僕は中学二年生だったが、県内に美術科のある高校があったので、ゆくゆくはそこに行きたいと思った。父とまーさんに相談すると、幸いにも二人は賛成してくれた。ただし、学科の勉強もきちんとやれと釘を刺された。

 父が出張先の事故で突然亡くなったのは、そんな話し合いをした直後のことだった。あまりに突然だったので涙も出ず、自分は意外と薄情だったんだなと傷ついたような気持ちになった。うまく眠れない夜が続いた。

 葬儀が終わった日の夜中、やっぱり寝付けずにいた僕がトイレに立ったときのことだった。家に泊まっていた父方の祖父母と、まーさんの話し合いが聞こえてきた。

「息子たちのこと、大切にしてくださったのはわかってます。ほんとにありがとう」

 祖父の低い声が言った。

「でも雅美さんはまだ30歳でお若いんだから、ご自分の人生をやり直された方がいいんじゃないですか。哲也なら大丈夫、うちから越境通学させてやれるし」

「やめてください」

 遮るようにまーさんの、聞いたことのない鋭い声がした。「公彦さんがいなくなっても、哲也は私の息子です」

 僕はトイレのことも忘れて自室のベッドに戻ると、声を殺して泣いた。僕はまーさんのことを「お母さん」と呼んだことは一度もない。なのにまーさんはあんな風に言ってくれたということが嬉しかった。

 翌朝「おはよう」と言ったまーさんはなに食わぬ顔で、僕は迷った挙げ句「お母さん」と呼ぶタイミングを逃してしまい、でも僕とまーさんはそれでいいのだ、と自分に言い聞かせた。祖父母も「困ったことがあったら連絡しなさい」と言って帰っていった。


 僕とまーさん、ふたりだけの生活が始まった。と言っても特別なことは何もなかった。父が出張でいないときの日々が淡々と続いているような感じだった。

 おはようと挨拶をして、学校に行く僕をまーさんは見送り、帰ってくると彼女は仕事をしていて、その進捗度合いによって、まーさんがキッチンに立ったり、僕がまだ覚束ない手つきで支度をしたりするが、ともかく夕食は一緒にとる。今日あったことを話し合って、代わりばんこに風呂に入って、おやすみと言いあって眠る。そんな生活が続いた。父が亡くなったのに美術なんてお金のかかりそうな方面に進んで大丈夫だろうかと心配したこともあったが、まーさんが「金ならあるんや、心配すんな」とおどけ半分、真面目半分に言い張り、僕の進路は結局変わらなかった。

 父の死は僕たちに大きなショックと傷を与えたけれど、僕とまーさん、ふたりでいればきっと大丈夫だという気がした。こんな生活が、少なくとも僕が美大に合格して一人暮らしを始めるまでは続くだろうという、勝手な目算があった。

 そして僕が志望校に受かって新しいブレザーを着、高校に通い始めた四月。まーさんに癌が見つかった。


 病気の進行は早かった。自営業のまーさんは勤め人みたいに定期的な健康診断を受けていなかったからだろうか、発見が遅れたのだ。

 あっという間に入院することになったまーさんは日に日に痩せていき、僕は自転車で毎日病院に通った。彼女はそんなに来なくてもいいと言ってくれたけど、まーさんのいない家はひどく寒々しくて、一人でいるとだんだん心が死んでいくような気がした。

「死ぬ前に雪が降ってくる瞬間の空、見たいなぁ。私、冬まで生きてるかなぁ」

「そんなこと言うもんじゃないよ。今年だって来年だって見られるさ」

 そんな話をされると、僕はせめて声が震えないようにするので精一杯だった。そのとき、まーさんにはすでに余命が宣告されていた。

 病室の窓は小さかったので、空がよく見えなかった。僕は時々まーさんを車椅子に乗せて、病院の屋上に連れていった。高校に入ってから僕は背が伸びて、彼女をベッドの上から移すのだけは上手くなった。まーさんは屋上から病室に戻ると、僕が差し入れた画材を取り出して絵を描いた。線が震えても、細かい描き込みができなくなっても、まーさんの絵はまーさんの絵だった。だけどだんだんそれすら億劫になってきて、とうとう彼女はベッドから動けなくなった。

 その頃の僕は、できる限りの時間を使って空の絵を描いていた。もう病室の小さな空しか見ることができなくなったまーさんに、僕が別の空を見せてあげたかったのだ。どうしても本物や、まーさんの描くような空にはならなかったが、それでも何も描かないよりはずっとマシだと思って、へたくそな絵を見せ続けた。彼女は誉めてくれたが、僕は悔しかった。

 一度、あまりに悔しい気持ちが込み上げてきて、僕は自分の描いた夕焼け空を手に持ったまま、ボロボロ泣いてしまった。驚いたまーさんに僕は、何もお返しできなくてごめん、と途切れ途切れに呟いた。

 まーさんは言った。

「てっちゃん。てっちゃんにお返ししてもらわなきゃならないものなんか私、何もないよ」

 小学生のとき、友達殴って呼び出されたでしょ、と彼女は続けた。

「普段のてっちゃんは絶対そういうことしないじゃない? あれね、私の悪口言われて怒ったんだって聞いたよ。こんなこと言っちゃいけないけど、嬉しかったなぁ。私、家族運薄くてねぇ。そんな私でもこの子のお母さんになるんだって思ったら、ほんとに嬉しかったんだよ」

 だから何もいらないんだと言って、まーさんは布団の端から手を出し、ひらひらと動かした。僕がその手をとって握ると、彼女は弱々しく握り返してきた。

「てっちゃんがいると安心する」

 まーさんの意識が混濁して戻らなくなったのは、その夜のことだった。僕はそれから何日も学校を休んで、病室に泊まり込んだ。手を握ったり頬を触ったりして、ここにいるよと伝えた。

 やがてまーさんの心臓が止まって、痩せて小さくなった顔から酸素マスクが外されたとき、僕は彼女の顔が、僕の涙でびしょびしょになっていることにようやく気づいた。


 まーさんの葬儀が終わり、僕は祖父母の家から越境通学することになった。父と彼女の位牌をもって、祖父の運転する車の後部座席に乗り込んだ。

 寒い日だった。寒波がやってくるとニュースは告げていた。

「こりゃ雪が降るかもなぁ」

 祖父がそう呟いたとき、僕はふと天啓を得たような気持ちになった。鞄の中からまーさんの位牌を取り出すと、窓を少し開けた。

 まーさんに、結局一度もお母さんと呼ぶことがなかった彼女に、少しでも空が見えるようにと願いながら、僕は手の中で位牌を傾けた。

 やがて、白く曇った空の彼方から、鳥の羽のような雪がゆっくりと落ちてきた。

 

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