四葉四郎の奇譚
@taromaro-taro
写真
――不思議体験を聞かせてくれた方、謝礼として五千円差し上げます――
SNSの自己紹介文の先頭にこう記してあるホラー漫画家である僕(ペンネーム四葉四郎)の元に、ある日ダイレクトメールが届いた。
「謝礼はいりません。でも私の話を聞いてもらえませんか?」
興味をそそられた僕は、その女性と会う段取りをつけた。運良く彼女も都内に住んでいる。彼女の地元だという駅まで電車に揺られ三十分。駅前の喫茶店で待っていると、白いブラウスに青いスカートの女性が入ってきた。僕の顔を見てペコリと頭を下げる。SNSには僕の顔写真を載せてるからすぐに分かったらしい。
「立花真由美です。今日はわざわざお越しいただいてありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ。四葉です。どうぞよろしくお願いします」
僕はアイスコーヒー、彼女はクリームソーダを注文した。話はドリンクがテーブルに届いてからにするのがマナーだが、僕は好奇心を抑えきれず身を乗り出した。
「昨日の夜から、ずっと楽しみにしてたんです。あ……楽しみって変ですね。因果な商売ですみません」
「いえ」
彼女は曖昧な表情で微笑み小さな声で言った。
「私も、助かりますから」
憂いのある表情に、ますます興味をそそられる。お茶を濁すようなどうでもいい世間話をしていると、やっとドリンクがやってきた。店員が去るのを見届けると、彼女は僕を見つめ、フーッと息を吐いて言った。
「これは私が体験した恐ろしく、奇妙な出来事です」
彼女――立花真由美さんがグラスの液体を見つめ口を開いた時、方々で怖い話を聞いてきた僕でも何故か背筋がゾクッとした。静かに頷き、テーブルの真ん中に置いたボイスレコーダーの録音ボイスをオンにする。
「お願いします」
「……三年前、看護学校に通う私を含む生徒八名が、研修として千寿の里を訪れたのは五月のゴールデンウィークを過ぎた頃でした。要介護3以上のお年寄りが入居している特別養護老人ホームです」
◇ ◇ ◇
「さっちゃんはねぇ、さちこっていうんだ、ほんとはね」
「わぁ、定子さんと同じさっちゃんですね」
車椅子の定子さんの小さな歌声に反応すると、定子さんが私を見上げ無邪気に微笑みました。でも次の瞬間、心配事があるように眉を寄せ浮かない表情になります。もうその時には定子さんの目に私は映ってません。
「ちゃんとしまってあるかしら……」
ブツブツとひとりごとを繰り返し、また歌いだします。
「……さっちゃんはね、さちこっていうんだ、ほんとはね」
そしてまたつぶやきます。
「……たら、どうしよう……」
現実と妄想の狭間にいらっしゃる入居者さんとはまともな会話はできません。教職に就いたことなど一度もないおばあちゃんが「私は女学校の教師だったのよ」と誇らしげに話したりします。こちらは「わー、すごい、そうなんですね」と相槌を打たなくてはいけません。否定をしてはいけないのです。本人はウソをついているつもりはありません。頭の中ではそれは現実なのです。私は三日働いて「これはご家族が一緒に住めないはずだ」と痛感しました。
千寿の里は三階建てでした。二階の「サツキ」には十人、三階の「ヒグラシ」にも十人の入居者がいますが、サツキの九名のおじいちゃんおばあちゃんは会話ができません。ヒグラシの方は反対に一名だけが会話ができない状態です。定子さんがその一名でした。他の方との意思の疎通ができないですし、歩行も困難なので散歩はいつも介護士さんと車椅子に乗って施設内をグルグル回ります。
介護士さんについてお世話やケア方法を学んでおりますが、基本的に皆さん体調は安定しており病院の研修よりずっと気楽でした。
私達看護学生はあくまでも補佐。入浴介助など、ベテラン介護士さんたちの働きを見守っていることの方が多く、手持ち無沙汰な状態です。私は暇つぶしに入居者さんの個人ファイルを眺めていました。
定子さんは三年前にここへいらっしゃったようです。ふと生年月日を見て「え?」と思わず声が出ました。定子さんがまだ六十代前半なことに愕然としたのです。
定子さんの髪は真っ白で細く、頭皮が透けて見えます。手の甲はシミだらけですし、骨とスジが浮かび上がり、ガリガリにやせ細っています。お顔も皺が深く刻み込まれており、目は皺の間のくぼみのようです。なので、てっきり八十代後半か九十歳くらいに思っていました。もうすぐ五十歳になる私の母と一回りしか違わないとはとても信じられません。
どんな心労があり、あんなに老けてしまったのか……。
壮絶な人生だったのかもしれないと、ファイルを眺めながら定子さんの人生に思いを馳せました。
そんな定子さんの散歩の準備をしていたある日のことです。
その日は気温が二十五度まで上がり、日差しがとても強く、定子さんにもつばの広い帽子が必要でした。職員の村田さんへ尋ねると、個室についている棚の中にあるとのこと。
車椅子に座った定子さんの両足に靴下を履かせ立ち上がり、部屋に備え付けてある棚の戸を開けました。薄いピンクのリボンがついた麦わら帽子を取り出すと、引っかかったのか、本が一緒に落ちてしまいました。
「あっ」
バサッと床に落ちた本のページがめくれ、しおりらしき紙がヒラリと飛び出します。
「ごめんなさい」
定子さんの足元に落ちた紙を拾うと、それは写真でした。家族写真のようです。立派なお屋敷と門構えが背後に見えます。カラー写真ではありましたが随分色あせ、セピア色という表現がピッタリな写真でした。
立派なヒゲをたくわえた男性はいかにも頑固そうで、頬がふっくら盛り上がった笑顔の女性が寄り添っています。並んでいる感じから夫婦のように見えました。五十代くらいでしょうか。そのふたりの横に、映画俳優のように整った顔の背の高い男性と、メガネをかけた知的な印象の若い女性が微笑んでいました。
……もしかして、このメガネの女性が定子さんかも?
写真から定子さんを見上げれば、定子さんはボーッと宙を見つめています。メガネの女性の目はつぶらな二重でした。定子さんの目は加齢のため、瞼が垂れ下がっており、つぶらとはとても言えません。しかし骨格や体型などは似ておりましたので、定子さんへ写真を向けてみました。メガネの女性に指先を当てます。
「この女の人、もしかして定子さんですか?」
返事は期待していませんでした。案の定、定子さんのくぼんだ黒目は動きません。私は定子さんとそのメガネの女性を見比べて気づきました。
定子さんは左手の薬指に指輪をしており、写真の中のメガネの女性も指輪をしています。指輪のデザインはハッキリ見えませんが、似ているような気がしました。やはり定子さんなのでしょう。もしかして、隣の男性は定子さんの旦那さんかもしれません。
「素敵なご家族ですね」
反応のない定子さんへ微笑み、落ちた本の中へ写真を戻し棚にしまうと、定子さんに麦わら帽子を被せ散歩へ出かけました。
翌日の休憩時間中、村田さんとお弁当を食べていて、フッと昨日見た写真を思い出しました。
「定子さんて、いいところのお嬢様だったんですね」
村田さんが目を丸くしました。
「どうして?」
「定子さんのお部屋にあった写真を見たんです。立派なお屋敷を前にご家族で記念撮影をしたような写真でした。旦那さんかな? すごくカッコイイ男性とご両親らしき人と写ってました」
「そう、あの写真を見たのね」
村田さんがしんみりした口調になりました。その様子に私は箸を置き、村田さんが口を開くのを待ちました。
「ここにいらっしゃる時に付き添った方から聞いた話によると、定子さんのご両親は定子さんが結婚してすぐに交通事故で亡くなったそうよ」
「そうなんですか」
幸せの絶頂期に両親を一度に亡くすなんて……。と、私は定子さんに同情しました。
「遺産があり生活には困らなかったそうだけど、今度は旦那さんが原因不明の病で寝たきりになってしまったの」
「……ひどいですね」
「結局、定子さんは四十年近く旦那さんの介護をして、旦那さんが亡くなったあと体と心を病み、最終的にここへいらっしゃったの」
「そうだったんですね」
男性の介護を女性ひとりでおこなうのは精神的にも肉体的にも大変だったに違いない。時代が違うとはいえ、他人に助けを求められないのは辛かったろうな。
「定子さんの持ち物の中で写真はあの一枚だけ。きっと一番幸せな時を思い出すのでしょうね」
村田さんはしんみりした口調で言うと、お茶を飲み「ふー」と息を吐きました。
◇ ◇ ◇
その晩、母の作ってくれたカレーを食べながら定子さんのことを話しました。
「……でね、その入居者さん、写真も一枚しかないの。なんかすっごい切なくなっちゃってさー」
「結婚してすぐにご両親が死んじゃったのなら、その写真が最後の家族写真だったんでしょうね」
母の言葉に「なるほど」と納得しました。
四人で撮影した最初で最後の一枚……。人生で一番幸せな日を収めた写真だけ肌身離さず持ってるのだと思うと胸が締め付けられるような気がしました。そんな大事な写真を本に挟んでおくなんて。
お風呂を済ませ、自分の部屋へ上がりベッドに潜って考えているうちに閃きました。
そうだ。定子さんに写真立てをプレゼントしよう。
翌日、シフト休みだった私は雑貨屋さんで可愛らしくてレトロな風合いの写真立てを購入しました。これに写真を入れて部屋に飾ったところで、定子さんは知らん顔かもしれない。それでもなにかのキッカケで定子さんが写真に気づいた時、幸せな時代を思い出してくれたらいい。そう思ったんです。
休み明け、その日は千寿の里での研修の最終日でもありました。定子さんの食事の介助と散歩を終え、お部屋に戻ります。定子さんはいつにも増して独り言が多く、精神的に不安定な様子でしたが「今日で最後なんです」と挨拶をするとフッと正気に戻ったように私をジッと見ました。
「そうなの……」
「そうなんです。二週間ありがとうございました」
なんとなく気持ちが通じたような気がして、うるっとしました。定子さんの表情も和らいで見えます。
「あ、そうだ。あの、記念にと思って写真立てを買ってきたんです」
車椅子に座る定子さんの手をキュッと握り、テレビのうしろに隠しておいたプレゼントを定子さんへ見せました。
「写真、飾っておきますね」
定子さんの表情はもうボウとしたものになっていました。一瞬でも会話ができて良かったと思いながら棚を開け、麦わら帽子をどけると下に置いてあった本がありません。
「あれ?」
棚は二段になっているので、もう一段上を見ました。そこには定子さんの私服などが入っています。本は見当たりません。私はつま先立ちになり、荷物の裏側に手を伸ばしました。指先に硬い物が触れます。
「あ、あった」
その時フト、本が移動していることに違和感を覚えました。まるで誰かが本を隠したようです。でも定子さんは歩行が困難で、支えなしには自力で立つこともままならない状態です。立てたとしても私より背が低い定子さんに二段目の棚は手が届きません。
ああ、……もしかして村田さんが奥へしまったのかも?
衣類の奥にある本を引き出し、間に挟んである写真を取り出しました。笑顔の家族写真に私も微笑み、写真立てにセットしてもう一度じっくり眺めます。
「あら?」
光の加減か汚れているのか、屋敷の窓のあたりに白いモヤが見えました。ガラスの表面を拭っても汚れは取れません。どうやら内側が汚れているようです。私は写真立てを裏返し蓋を開け写真を取り、ガラスの内側を見ました。目立った汚れはありません。
「んー?」
写真立てをテレビの台へ置き、写真をじっくり見ました。
よく目を凝らして見ると、屋敷の窓に人間が立っているようです。最初に見た時にはまったく気づきませんでした。
ぼんやり白く浮かび上がっているのがエプロンだと認識した途端、その上にくっついてる顔が見えました。中年の女性が恐ろしい形相でこちらを見ているのです。くぼんだ目に見覚えがあります。
……これ、定子さん? ……って、ことは……?
ギシッ……とかすかな物音に背筋がヒヤッとしました。おそるおそる振り返ると、車椅子の上に定子さんが立っています。写真の中の女性と同じ形相で。
「ぎゃあぁぁぁぁぁっ!」
金切り声とともに、血走った目を見開いた定子さんが飛びかかってきたことまではハッキリ覚えています。
開いた口は真っ赤で耳まで裂けているようでした。倒れた私はしたたかに腰を打ち、激痛に悶え、その私に覆いかぶさって首を絞める定子さんはまるで赤い鬼のようでした。細くて小さな老婆のどこにそんな力があるのか、必死に抵抗しましたが指は食い込んだまま離れません。だんだん意識が朦朧としてきて、チカチカした黒点が宙に浮かんできます。
なんで、なんで、やだ、くるしっ……。
私はどうやら意識を失ってしまったようで、気が付くと仮眠室のベッドにいました。
「気がついた?」
上から覗き込んだのが村田さんだと認識した途端、ブワッと涙が溢れます。
「む、村田さん! 定子さんがっ!」
声がかすれて上手く話せないのは喉を圧迫されたからでしょうか。
「分かってる。大変だったわね。頭はどう? 打ってない?」
「頭は、頭は、大丈夫、それより、さ、定子さんが……」
「大丈夫よ。定子さんなら鎮静剤を飲んで眠ってるから」
村田さんは宥めるように布団の上から私の胸をポンポンと叩きました。
「……首を絞められたんです……殺されるって……思いました」
思い出すと新しい涙が溢れます。首に触れるとガーゼの感触がしました。
「怖い思いさせちゃって、ごめんなさいね」
頭を下げる村田さんに「いえ……」としか返事ができません。
「あの人たちは妄想の中で生きてるから、それを否定すると激高してしまうのよ」
「……え……あ、はぃ……」
妄想って? あの老婆は定子さんじゃない。あの屋敷の使用人だった。じゃあ本当の定子さんは?
疑問が口をついて出そうになりましたが思いとどまりました。
あの屋敷にいた人達はもうとうに皆亡くなってる。誰があの老婆を定子さんじゃないと証言してくれるだろう。証拠はあの写真しか……。
「あ、あの、しゃし」
「研修も今日で終わりだし、早めに帰って休みなさい」
村田さんは私の言葉を遮りにっこり微笑みました。
「今日のことは学校へ報告しないでおきます。あなたも口外しないようお願いね? あ、首の治療は済んでます。少し赤くなってる箇所はあるけど、一週間もしないうちに消えるから」
「……はい」
「二週間、お疲れ様でした」
村田さんの目が笑ってないような気がして、私は無言で頷きました。もうその時点で、私はうっすらとした恐怖を感じていました。
村田さんは定子さんの正体を知っているのかもしれない――。
知っていて表沙汰にしないのは何故なんだろう。
◇ ◇ ◇
「……でもそれを調べる術も気力も、当時の私にはありませんでした」
立花さんはそこで顔を上げ、僕へかすかに微笑んだ。
「私の恐怖体験はこれで以上です。……いえ、本当に聞いてほしいのはここからなんですけど」
彼女はまた視線をグラスに落とした。
グラスの中のクリームソーダはすっかり溶け、淡い緑色のついた白濁した飲み物になってしまっている。
「そうなんですか?」
録音を一旦オフにして、彼女を見る。彼女は唇をキュッと結んで小さく頷いた。それを確認してまた録音を開始する。
「現在、私は市内の総合病院の循環器内科で働いています。あの頃は怖くて誰にも言えなかった出来事ですが、先月、偶然あの頃の話をする機会がありました。同じ看護学校を出た同期の女性と久しぶりに飲みに行ったんです。名前をMさんと言います」
僕はゆっくり頷いた。
「Mさんとは千寿の里に同じタイミングで研修に行きました。なので、彼女から看護学校時代の話が出た時に思い切って話してみたんです」
「ほう」
「Mさんは知らないと言いました。定子さんのことも、村田さんのことも……。同じグループだったのに」
「ふむ」
三年も前の、しかもたった二週間の研修期間中のことだし、記憶にないのも仕方ないのでは? と思いつつ頷くと、立花さんがバッグからスマホを取り出した。
「千寿の里の前で撮影したものです。Mさんと別れてから送ってくれました」
「拝見します」
画面を見る。確かに、建物の玄関前で八人の女性がはちきれんばかりの笑顔で並んでいた。二列になっており、立花さんは前列の右から二番目で屈んでいる。
「施設名を見てください」
「え……」
背後の自動ドアには『エバーグリーン』とある。
「Mさんは、私達が研修に行った施設はエバーグリーンだと言うんです。でも私は千寿の里に二週間いました」
背後に忍び寄る悪寒。
立花さんは戸惑った表情で言葉を続けた。
「……私はいったい、どこで研修を受けていたんでしょう?」
了
四葉四郎の奇譚 @taromaro-taro
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。四葉四郎の奇譚の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます