第3話 クリスマスはなぜ煌びやかなのか


 みなさんは考えたことはないだろうか。


 どうして正月はイルミネーションしないのに、クリスマスはするのだろうか、と。


 もちろん、欧米がそうしているからだ、という至極簡単な理由はすぐに思い浮かぶだろうが、そういうことを言いたのではない。日本人は昔から他国の文化を柔軟に受け入れ、それを自分なりにアレンジしてきたではないか。北山文化じゃあるまいし、金箔や瑪瑙を散らしたような装飾をする必要性はそこにはないはずだ。わびさびを重視するなら、全てを煌びやかにするのではなく、ここぞという場所でさりげなく柔らかな光を演出するのが「らしさ」というものだろう。


 だから、僕は最終的に「みな、目を眩くらませたいのだろう」と結論付けた。


 そもそも、クリスマスとはキリストの誕生を祝う日だ。だが、キリストの誕生を祝っている人を私は見たことが無い。キリストに対して「クリスマスを作ってくれてありがとう!」とコンビニ前に立つサンタコスの女性を見て思った男性諸君はたくさんいるだろうが、キリストの誕生を祝っているわけではないだろう。


 そんなことは分かっている。ハロウィーンがただ仮装して大騒ぎするだけのイベントに変容したことを、理解していない人はいない。そこに参加している人であっても、だ。


 だから、クリスマスにおいて人々はぎらぎらとした装飾で己の目を眩まし、その本懐を見ないようにしているに違いない。祝うべきものを祝わない後ろめたさを目映い光で消し去ってしまっているのだろう。その意味でとても人間らしい祭りだと私は思う。都合の悪い部分を見ない人間の浅ましさが良く表現されたアイロニーに富んだ祭りである。


 それでも煌びやかな光は美しい。

 僕もこの光は好きである。


 そうして、隣に誰もいない現実を眩い光でくらましながら、一人で光に満ちた街中を歩いていくのだ。あぁ、クリスマスが光に満ちていて本当に良かった。


 その時、ひらひらと闇夜から落ちてきた雪が頬に触れたような気がした。


 

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女はつれなし喚けよチェリー Askew(あすきゅー) @Askew

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